第2話 沈黙の距離

再び雨が降る夕方、彼女はまたあのカフェに足を向けていた。前回の出来事が心に残り、無意識のうちに同じ席を選んでいた。窓際に座り、雨に濡れる街路樹を眺めながらコーヒーを待つ。そのとき、背後からふと声が聞こえた。


「また会いましたね。」


振り返ると、あの男性が立っていた。前回と同じ少し疲れた表情だが、どこか嬉しそうに微笑んでいる。


「偶然ですね。」彼女も自然と笑みを返す。


彼は、彼女の向かいに腰を下ろした。前回の短い会話と静けさの中に、どこか安心感を覚えたのだろう。どちらからともなく始まる会話は多くない。お互いに近況を話すでもなく、目の前の雨音や店内のざわめきに耳を傾ける時間が続く。


「忙しいですか?」彼がぽつりと聞く。


「ええ、相変わらず。でも今日は少し…息抜きしたくて。」


「僕も同じです。」


その短いやり取りの後、また沈黙が流れた。しかし、その沈黙は重くはなく、むしろ心地よいものだった。彼女は、不思議と彼となら言葉がなくてもいいと思えた。


やがて彼が言った。


「こんな雨の日に、どこか静かな場所でただぼんやりできたらと思いませんか?」


彼女は少し驚きながらも、その提案に魅力を感じている自分に気づいた。いつもなら、そんな誘いを断るだろう。それでも、この疲れた日常から離れる一歩を踏み出したいと思った。


「どこか、いい場所があるんですか?」彼女が尋ねる。


「少しだけ遠いけど、静かな湖があるんです。車で行けばすぐです。」


少しの躊躇いの後、彼女は小さく頷いた。「行ってみたいです。」その言葉が、静かに二人の距離を縮めた。


カフェを出ると、彼の車が店の近くに止められていた。雨音がフロントガラスに響く中、二人は言葉少なに車を走らせた。道中、彼は少しだけ自分のことを語った。


「こう見えてデザインの仕事をしてるんですけど、最近はほとんどデスクワークばかりで。たまにこうして何も考えない時間を作らないと、やってられないんですよ。」


彼女は頷きながら、「わかります。私も何かに追われているような気がして、休むことすら許されない気がするんです。」と答える。


道中の会話は短く、しかしどれも心に響くものだった。やがて車は郊外の湖にたどり着いた。雨は止み、霧が湖面を薄く覆っている。静かな夜の中、街の騒音は消え去り、聞こえるのは自分たちの呼吸と水のさざ波だけだった。


二人は湖畔のベンチに座り、何も話さずに景色を眺めた。沈黙の中で、互いの存在だけが感じられる。雨上がりの冷たい空気が肌に触れるが、それすら心地よく感じられる。


「こうしていると、何かから解放された気がしますね。」彼女がぽつりと言う。


彼は小さく微笑み、「そうですね。ただ、じっとしているだけなのに。」と応えた。


ふと、彼の手が彼女の手に触れた。互いに何も言わず、その手を握り返す。言葉のない夜の中で、二人の距離はそっと縮まっていった。

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