第7話:カリブディス、死す!
美羽たち三人が、たいそうに家を飛び出していったのは数時間前のことだった。
やがて夕食を準備していると、遠くに位置した場所から、なにか大きな気配を感じた。
この気配はかつて学校でも感じたことがあるものだ。それはおそらく、例の魔法少女のような人物が、あの黒い霧を置いた怪物と戦っているのだろう。
なるほど。であるなら、平和を守るために頑張っているのは有難いことではある。
それならそれで、俺はそのままルンルンと鳴きごえを口ずさみながら夕食を作り、スマホを手に取って美羽に連絡を入れた。
いつもなら、連絡を入れてから五分と絜たず返信がくるのだが、今日は三十分経っても連絡がこない。
そもそも、晩飯前には帰居しているはずの美羽が、今日は行方知れずのままである。
先ほど感じ取った謎の気配のこともあり、不安になった俺はエプロンを外し、探しに行く準備を始めた。
「巻き込まれていないといいけど」
彼女が心配なのは兄として自然な情というものだ。
家を飛び出た俺は、不穏な気配がする方向へと急いだ。その気配は倉庫街からしており、ついに到着すると、そこには依然見たことのある結界もどきのようなバリアが張られていた。
無理やりこじ開けて中に入ると、視界ががらりと変わった。
ほんの数分前まで何事もなかった倉庫街は、跡形もなく破壊され、空には巨大なクジラのような怪物が黒い霧を纏って悠然と浮いていた。その異様な光景に、一瞬言葉を失う。
そんな中、怪物と果敢に戦っている三人の少女たちがいた。どこかで見覚えのある可愛らしいコスチュームだ。そうだ、この前、公園で見かけた――。
「なんで美羽たちがここに?」
そう。俺の妹、美羽たちが怪物相手に全力で戦っていたのだ。
つまり、以前、公園で見かけたのはこの三人の誰かだったということになる。三人が息の合った動きで、怪物に大打撃を与える。これで決着がつくかと思いきや、怪物の霧が一層濃くなり、気配も倍増。どうやら強化されたらしい。
そこから状況は一転。
三人はじりじりと追い詰められていく。俺は深い溜息をつき、駆け出した。
「妹を助けるのは、お兄ちゃんの役目だからな」
そして、怪物の放った刃のような攻撃を拳で吹き飛ばしながら、三人の前に颯爽と着地する。
うん。髪色は違うけど、間違いなく俺の妹だ。
「お、お兄ちゃん⁉ こ、これはその――」
慌てて言い訳しようとする美羽に、できるだけ優しい声で応じる。
「まあ、そういう時期もあるよな。うん」
完全に中二病だと思った。
だって、昔美羽の『妄想ノート』なるものを見つけてしまったことがあるから。
その時は、何事もなかったかのように、そっと閉じたのを覚えている。
「ち、違うって! 別に魔法少女に憧れてたとか、そういうんじゃ――」
「はいはい。話はあとで聞くよ」
「信じてないでしょ⁉」
いやいや、こんな非日常的な光景を目の当たりにしてるんだ。信じない理由がない。
だが、それはそれとして、夕飯の話は別問題だ。
「てか、もうそろそろ夕飯になるってのに、なんで連絡返さないんだ?」
「いや、この状況見て今それ言うの⁉ てか、お兄ちゃん、どうやって入ってきたの?」
「お兄さん、結界が張ってありましたよね?」
今まで黙っていた桜ちゃんが、不思議そうに問いかけてくる。
「やっぱり結界だったんだ」
「知ってるということは……?」
「こう、無理やりこじ開けた」
「「「えぇ……」」」
三人が揃って呆れ顔だ。近くに浮いていた小さな生き物が「結界って、かなり頑丈なはずで……それに一般人には見えないし、近づけないようになっているはずじゃ」とか何とか呟いていたが、まあ知らん。
「まあ、とにかく。そろそろ夕飯だから帰るぞ」
「いやいやいや! アレを倒さないと!」
「うん? 聞こうと思ってたんだ。なんだ、アレ?」
今まで静かだった凛ちゃんが、簡潔に説明してくれた。
「アレは『ナイトメアズ』。個体名は『カリブディス』。負の感情などをエネルギーとする異界の生物。奴らの浸食を防ぐため、私たちはこの契約精霊を通して魔法少女になって戦っている」
彼女がそう言うと、三人のそばに手のひらサイズの妖精がふわりと現れる。見た目は、まあ、ニチアサアニメでお馴染みの相棒キャラといった感じだ。
「へぇ……」
「お兄さん、どうやってあれを防いだの?」
「俺か? 殴っただけだよ。」
「殴ったって……ナイトメアズは魔法少女じゃないと触れることもできないはずじゃ……」
桜ちゃんが何か不思議がっているが、俺にも分からん。
「まあいいや。早く倒して帰ろうぜ」
「いや、その……強化されたみたいで」
「つまり、倒せないと?」
三人が静かに頷く。
放置して帰るわけにもいかなそうなので、ここで決着をつけるしかない。
「んじゃ、倒してくるか」
「え? でも……」
「お兄ちゃん、何言ってるか分かってるの⁉ アレは魔法少女じゃないと倒せないの!」 「ハッ、美羽よ。お兄ちゃんを舐めるなよ。伊達に父さんと母さんから『お前は突然変異種だ』と言われていない」
「……へ? 突然変異種……?」
美羽は完全にポカン顔だ。
「んじゃ、ちょっと行って来る」
「そんなコンビニに行って来るみたいな感覚で⁉」
美羽たちが引き止める間もなく、俺はふっと気配を消して一歩前に踏み出す。次の瞬間には、カリブディスの目の前に現れる。
「おいおい、デカいだけで大したことないんじゃないのか?」
その言葉に反応するように、カリブディスが不気味なうなり声を上げる。黒い霧が再び蠢き、無数の刃や触手を形成して一気にこちらに襲いかかってきた。
だが、俺は動じない。ゆっくりと拳を握りしめる。
「さて、まだ夕飯の準備が終わっていないんだ。これで終わらせるぞ」
一瞬の静寂。次の瞬間、俺の拳が真っ直ぐにカリブディスの中心部に突き刺さるように放たれた。その一撃はまるで雷鳴が落ちたような轟音を響かせ、カリブディスの胴体に巨大な穴が空いた。
巨大なクジラのような怪物――カリブディスは断末魔のような音を上げ、開いた穴から黒い霧となって消え去った。
音もなく着地した俺が振り返ると、ぽかんと口を開けてこちらを見ている美羽たちの姿があった。
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