第8話 食中毒の夜に

 王宮の使用人専用の食堂から、突如として異臭が漂い始めたのは、王宮全体が夜の宴に盛り上がる最中だった。颯太がその異変に気付いたのは、宴の準備を手伝っていたポーターが突然倒れ、激しい腹痛と吐き気を訴えたからだった。


「ううっ……助けてくれ……腹が、腹が裂けそうだ!」


 周囲で作業をしていた他のメイドやポーターたちも次々に倒れ始め、その場は瞬く間に混乱に包まれた。使用人の一人が颯太に助けを求める。

「異界の医者様、どうかお助けを!皆が苦しんでいるんです!」


 颯太は即座に駆けつけた。床に崩れ落ちた使用人たちの顔色は青白く、冷や汗をびっしょりとかいている。


「この症状……」

 彼は患者たちの様子を確認し、迅速に判断を下した。

「食中毒だ。調理ミスが原因だと思われる。食堂で何を使ったのか確認が必要だ」


 近くにいた使用人から聞き取りをすると、平民用の食堂で提供された料理に問題があった可能性が高いことが分かった。肉の保存状態が悪かったか、調理が不十分だったのだろう。


「食事と関係している以上、これ以上被害が広がるのを防ぐ必要がある」

 颯太は冷静に指示を出したが、そこへ王宮の僧侶エリアス・フォンデルが現れた。


 エリアスは険しい表情で患者たちを見渡し、颯太を睨みつけた。

「何をしている、異界の医者!ここはお前の力が及ぶ場所ではない。癒しの魔法で事足りる」


 颯太はその言葉に眉をひそめた。

「食中毒は魔法だけで治せるものではありません。適切な処置と経過観察が必要です。このまま魔法を乱用すれば――」


 エリアスは彼の言葉を遮った。

「余計な口を挟むな。王国において、癒しの魔法は神の恵みだ。それ以外の方法は不要だ!」


 その言葉と共に、エリアスは自身の能力「魔力拡散」を発動した。

 彼の体から放たれた魔力が、周囲の僧侶たちに広がり、それぞれの癒しの魔法を強化する。その魔法が患者たちに次々と施され、苦しむ人々の表情がわずかに和らいだ。


 一見すると症状が緩和したように見えたが、颯太の目には危険な兆候が見えていた。

「そんな……無理に症状を抑えるだけでは、体力が回復しないどころか、余計に負担がかかる!」


 その場に立ち会っていた王国貴族のカミラ・ロッソンが、冷静な目で颯太とエリアスのやり取りを観察していた。


「篠宮颯太、あなたの方法には興味があるわ。医療という概念、それがどれほど有効なのかを知りたいと思う」


 颯太はその言葉に期待を抱いたが、カミラは続けた。

「ただし、ここはエルヴェンテリア王国。魔法がすべてを支配するこの国で、あなたのような医者が必要とされるかは別の話よ」


「そんな……命を救う手段があるのに、それを使わないのは――」


 カミラは冷たく笑った。

「政治の世界では、有用性だけでは意味がない。魔法の体系に属さないものは、混乱を招くだけの異物よ」


 颯太は何も言い返せなかった。カミラの言葉には容赦がなく、現実を突きつける重みがあった。


 さらに、宰相であるアリステア・ノートンが重々しい足音を響かせて場に現れた。

「魔法を軽んじ、無用な技術を持ち込もうとする愚か者がいると聞いたが……貴様のことか」


 颯太はその攻撃的な視線を正面から受け止めた。

「命を救うために必要なことをしているだけです。それが医療だ」


「戯言だ!」

 アリステアは怒りをあらわにした。

「医療などという俗物的な技術で、神聖なる魔法に取って代わろうとするなど許されるはずがない。王国を汚すな!」


「医療がなければ、魔法で治せない命を救えないこともある!」


 颯太の叫びに、アリステアは冷たく言い放った。

「貴様のやり方が正しいなど誰が証明する?呪いを使う医者の手が、救いをもたらすわけがない」


 その言葉に、周囲の貴族や僧侶たちの視線がさらに冷たくなるのを颯太は感じた。



 その夜、エリアスが魔法で回復させた患者たちは一時的に症状が緩和したように見えたが、その翌日から数人の容態が急変し、死に至った。


「呪われた医者が王宮に災いをもたらした」

「食中毒を魔法で治そうとしたのは良いが、あの異界の男が呪いを振りまいたせいだ」


 使用人たちの間で流布された噂は瞬く間に王宮中に広まり、颯太の存在がさらに忌避される原因となった。


 カミラはその噂を耳にしながらも、特に否定も肯定もせず、ただ冷たく言った。

「彼の存在が王国にふさわしいかどうかは、いずれ決まるでしょうね」


 アリステアはそれを聞き、嘲笑を浮かべながら付け加えた。

「決まるも何も、こんな呪いを持つ愚か者を置いておく理由などないだろう」


 颯太の追放を望む声が、徐々に大きくなり始めていた。



 颯太は、噂が広まる中で孤立を深めていった。自分の医療知識がここでは受け入れられず、逆に呪いの存在として恐れられている現実が、彼の心に深い傷を刻んでいた。


「どうして、命を救う方法がこんなにも否定されるんだ……」


 彼の手は命を救うためにあるはずだった。それなのに、この世界では呪いの手とされ、人々に恐れられてしまう。その現実を前に、颯太は苦悩を抱え続けることしかできなかった。

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