第7話 病弱な王女の願い
颯太がフィオナの部屋を訪れたのは、王宮の侍女からの突然の伝令がきっかけだった。
「フィオナ様が異界の医師に会いたいとおっしゃっています。すぐにお越しください」
その言葉に一瞬戸惑ったものの、颯太は病弱な王女として噂される彼女の求めに応じることにした。彼が王宮で歓迎されているとは言えない状況での呼び出しは異例だった。
フィオナの部屋に通された颯太が目にしたのは、薄暗い中にも精巧な装飾が施された豪奢な部屋だった。窓には厚手のカーテンが引かれ、日光はほとんど差し込まない。部屋の中心には、か細い体を毛布に包み込んだ少女がいた。
「あなたが篠宮颯太さんですね?」
柔らかな声が響く。その声はかすかに震えていたが、彼女の瞳は毅然としていた。
「はい、異界の医師、篠宮颯太です。フィオナ様、お加減はいかがでしょうか?」
颯太が丁寧に尋ねると、フィオナはかすかな微笑みを浮かべた。
「私は……この部屋に閉じこもっているのが日常です。体が弱いからと、外に出ることも許されません。でも……あなたは異界から来たと聞きました。その世界の話を聞かせてもらえませんか?」
彼女の願いに、颯太は一瞬驚いたが、すぐに頷いた。彼女の孤独が言葉の端々に滲んでいるのを感じたからだ。
「日本という国の話をしましょう。そこには季節ごとに美しい景色があります。桜が咲き乱れる春、緑豊かな夏、紅葉に染まる秋、そして雪景色の冬……」
颯太が話を続ける間、フィオナはその世界を思い浮かべるように目を閉じて耳を傾けた。しかし、彼女の細い手が震えていることに颯太は気づいた。
話が終わると、フィオナはそっと手を差し出した。その手は微かに震え、皮膚は青白く、骨ばっている。彼女が椅子から立ち上がる瞬間、ふらついてしまい、颯太はすぐに支えた。
「大丈夫ですか?」
「……すみません、手足が震えることがよくあって……少し疲れると、立つのも大変なんです」
颯太はフィオナの手の震えや筋肉の痛み、全身の弱々しい動きを観察するうちに、彼女の症状の原因が頭の中でつながっていく。
「まさか……ビタミンD不足?」
窓のカーテンを見つめ、日光を浴びていないことを確認する。加えて、筋力低下や筋肉の痛み、ふらつき――すべての症状が「低カルシウム血症」に合致する。
「……そういうことか」颯太は小声でつぶやいた。
「フィオナ様、もし私の考えが正しければ、あなたの症状は改善できます」
颯太の真剣な言葉に、フィオナの瞳が輝いた。
「本当ですか?」
「はい。ただ、魔法ではありません。日光を浴びること、そして食事の内容を改善すれば、体はゆっくり回復していくはずです。すぐにではありませんが、確実に効果が出ます」
その言葉に、フィオナは希望を抱きかけた。しかし、部屋の隅に立っていたもう一人の男――エリアス・フォンデルが鋭い声を発した。
「馬鹿げたことを……!」
エリアスは僧侶らしい威厳をまといながらも、その瞳には明らかな敵意が宿っていた。
「癒しの魔法を使えば良いものを、日光だの食事だの、そんな方法に頼るなど無意味だ。魔力があれば、すべての問題は解決する」
颯太はその言葉に顔を曇らせた。異世界に来て以来、彼が最も嫌ってきた「魔法万能主義」の考えそのものだった。
「それでは、癒しの魔法でフィオナ様の症状が完全に治るのですか?」
颯太が反論すると、エリアスは一瞬口を閉ざしたが、すぐに冷たい声で答えた。
「治らなくとも、余計な介入をする必要はない。魔法は神の祝福だ。医療などという俗物の力で神の秩序を乱すつもりか?」
「秩序を乱す?命を救うことに秩序など関係ありません!」
颯太の声にフィオナも震える声で訴えた。
「エリアス様、どうか……彼に試させてください……」
しかし、エリアスは彼女を一瞥し、拒絶の意を示した。
「フィオナ様、これ以上無駄な希望を抱くべきではありません。この男の言葉は、聞く価値すらない」
エリアスは颯太に向き直り、冷酷な言葉を投げつけた。
「貴様のような呪われた存在が、フィオナ様のような聖なる方に触れること自体が冒涜だ」
「呪われた男……!」
その言葉に、颯太の拳が震えた。しかし、ここで怒りに任せて動けば、状況はさらに悪化する。それが分かっていても、悔しさを抑えることはできなかった。
「もう出て行け!」
エリアスは扉を指差し、颯太を厳しく追い出した。フィオナが悲しげな目で颯太を見つめるが、彼女は何も言えない。王国の方針に逆らうことが許されない立場が、彼女の言葉を封じていた。
「……失礼します」
颯太は振り返ることなく、部屋を後にした。その背後から聞こえるのはエリアスの冷徹な声だけだった。
「この国では、魔法こそが絶対だ。医療という愚かな技術を持つ者は、ただの呪いに過ぎん」
扉の外に出ると、颯太は拳を握りしめたまま立ち尽くした。
「何が呪いだ……俺が救える命を、こうして奪わせるのか」
だが、その怒りは誰に向けるべきか分からなかった。魔法に依存するこの世界、エリアス、そして自分自身――すべてが彼の中で複雑に絡み合っていた。
「フィオナ様を救う方法は必ずある……諦めるわけにはいかない」
颯太は拳を握り直し、前を向いた。その瞳には新たな決意が宿っていた。
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