第三章 愛されるもの⑥
◆
「我が家に養子にこないか?」
ダビドが孤児院を訪問した夫婦から、そんな提案を受けたのはいまから約半年前のことだった。
孤児院に多額の寄付をしてくれた夫婦はどうやら貴族らしいというのを知ったのも、その時だ。
昔のダビドなら、その提案を受けてもすぐに断っただろう。
だけど四歳で孤児院に入ってきてから、もう八年が経過している。
最初の頃はいつか親が迎えに来てくれるに違いないと信じていたけれど、八年経ったいまも音沙汰のないことから、実の親からはもう捨てられたのだと薄々ダビドは察していた。
『いつか迎えに行く』
孤児院に入ってすぐは、その言葉を頼りにしていた。
だからこそ最初の頃は、親のない他の子供たちと自分は違うのだと、自分は特別なのだと思いたかった。
だけど、だんだんと察するようになったのだ。
両親はもう迎えに来てくれないことを。
自分を家族として受け入れてくれた孤児院のみんなのために生きていきたい。
ダビドがそう考えるようになったのは、周囲を拒絶していたのにも関わらず、それでもあきらめなかったレベッカの存在が大きかった。
いくら拒絶してもダビドのことを構おうとしたり、夜に布団でひっそり泣いていたら、そっと手を握ってくれたり。
孤児院のみんなを家族だと受け入れられるようになったのも、レベッカのおかげだ。
レベッカが聖女に選ばれて孤児院を出て行った後も、ダビドは次は自分がみんなをまもる番だと思った。
だからダビドは迷っていた。
夫婦は、ダビドの気持ちを尊重して、返答はまた今度で良いと言ってくれた。
だから悩んだ。
グレースはダビドの気持ちが一番大事だからと言ってくれたが、十二歳になるダビドは孤児院が貧窮していたのを知っている。
自分が養子になったら、その夫婦が毎月寄付してくれるという話をしていたのも。
だったら――。
いつかいつかと待っていても、実の両親が迎えに来てくれることはないだろう。
あの夫婦は孤児院のみんなにも優しくしてくれた。
自分が孤児院のみんなの役に立てるのであればと、ダビドは養子縁組を受け入れることにしたのだった。
「ここが今日からダビドの家だよ」
そう連れてこられたのは、孤児院よりも大きな貴族の邸だった。
夫婦には二人の息子がいるらしいけれど、ダビドのことも本当の息子のように接してくれた。
養親はダビドが学べるように家庭教師を呼んでくれて、それからしばらくは毎日勉強三昧だった。
孤児院に居たままだと学べないことなどを教えてくれた。それからダビドの能力についても。
そして養子になって二カ月が経った頃だろうか。
両親の仕事の手伝いをすることになった。二人の息子は才能がなく継がせられない家業だったらしいのだけれど、ダビドの能力ならできるだろうと。
養子として引き取られてから養親は実の息子に向けるような愛情を注いでくれた。
昔はあんなに渇望していた愛情を惜しみなく注がれて、ダビドは浮かれていたのかもしれない。
養親は家業は《魔道具》の売買だった。
そのためいろいろなところに《魔道具》を卸していたので、ダビドはそれを運ぶ手伝いをしたり、簡単な仕分け作業を能力を使って手伝っていた。
最初の頃は役に立てるのが嬉しかった。
だけど、徐々に違和感を持つようになった。
養親からは《魔道具》を運ぶ時に、魔法使いには気をつけるように言われていた。大事な商品だから横から盗られないように。それからなるべく人目につかないように、目立たないようにと、質素な服で行くようにとも。
仕事がうまく行くと、養親は褒めてくれた。
それが心地よくて、すこし麻痺していたのかもしれない。
ある日、ダビドが運んだ先の建物が、爆発したという話を人づてに聞いた。
不運の事故として片付けられたけれど、ダビドは違和感を抱いた。
それを養親に伝えると、二人とも涙を流して不運な事故よと口にしていた。
だからダビドはそれを信じた。
たとえ、また別のところで事故が起こったとしても。
自分の運んでいるものの正体が、その原因なのではないのかと違和感を覚えても。
養親が、愛してくれるのなら――と。
◇
「爆発!?」
最初テオドールが何を言っているのか理解できなかったが、すぐに思い出した。
王都にはいま、爆発する恐れのある《魔道具》が流通している。
それをテオドールが調べているのだ。
だけど、それはダビドと関係なかったのではないだろうか。
少なくとも彼が孤児院に持ってきた《魔道具》は違ったはずだ。
テオドールは恐らく見間違えたのだと、レベッカは思いたかった。
銀色の瞳は、目の前にいるダビドを疑いの眼差しで見つめている。
「この《魔道具》はダビドさんが持っていたものですよね?」
「だから、違うって言っているだろ!」
「ダビドさん。あなたが養子に入った家は、リップス子爵家で間違いありませんか?」
ダビドの顔色が変わる。
「リップス子爵家は代々魔法使いを輩出している家系でもあり、その縁で《魔道具》の売買を家業にしていますね。ですが現在の夫婦の間には、魔法を使える子息が生まれなかった。そのため、孤児を引き取ったという話を耳にしました」
ダビドが引き取られたのは、その家ということなのだろうか。
でも、ダビドが魔法を使えるという話は初めて知った。
「ダビドさん、教えてください。この《魔道具》はリップス子爵夫妻から内密に売るように頼まれたものではないのですか?」
「……違う」
「そして、ダビドさんはそれを知っていたのではありませんか?」
「……違う。義父さんと義母さんがそんな《魔道具》を持っているわけがないだろ。これは、俺が拾ったものだ」
「ほ、ほら、ダビドも拾ったって言ってるじゃないですか。たまたま、ですよ」
つい、レベッカも口を挟む。
真剣な瞳をしていたテオドールが困ったような視線を向けてきた。
「それはないと思いますよ。僕はこの《魔道具》に宿っている魔力に、覚えがありますから」
「魔力?」
「はい。前にダビドさんと会ったときに、僕は確かにこの《魔道具》の魔力を感じました。それは、本当にたまたまなのでしょうか?」
「……でも」
「レベッカさんがダビドさんを信じたい気持ちは尊重したいと思っています。ですが、疑いを晴らすためにも調査は必要なのですよ」
ダビドを信じたいと考えているのは、あくまでもレベッカの心だ。
だけど、ダビドは孤児院の家族だ。彼を信じたいと思うことの何がいけないのだろうか。
その時、ダビドが吠えるような声を上げた。
「おい、魔法使い! おまえがどれほど偉いのかは知らないけどな、おまえの言っていることが真実だという保証もないだろ!」
「……それは、随分と見くびられたものですね」
テオドールの声から温度が抜けたような気がした。
「ダビドさん。ひとつお訊ねしますが――あなたは、それほどまでに養親のことを信じておられるのですか?」
「なんだとっ」
「自分が利用されているだけだとは、考えたことはありませんか?」
「そんなこと……」
ダビドが狼狽える。
きゅっと口を結び、だけどすぐにキッと目を尖らせた。
「おまえに何がわかるんだ! どうせ裕福な家庭に産まれたお坊ちゃまだったんだろ! 親がいて何不自由なく暮らしてきたおまえに、わかるわけがないんだ」
「……それは、どういうことでしょうか?」
「義父さんと義母さんは、実の両親から捨てられた俺を、血が繋がっているわけでもないのに愛してくれているんだ!」
「……その愛が、偽物だったとしても?」
テオドールの言葉に衝撃を受けたのは、レベッカもだった。
偽物の愛。そんな残酷な言葉があるのだろうか。
ダビドは養親のことを良い人だと言っていたのに。
家族がいない寂しさをレベッカはよく知っている。
孤児院のみんなは家族で、シスターは親みたいな存在だ。
だけど、レベッカはそれでも本当の家族がほしいと思っていた。
それは恐らくダビドも同じだろう。
ダビドは信じたいのだ。両親が良い人で、自分を愛してくれているのだと。
「……うるさい」
ダビドは震えていた。その目には涙が溜まっていて、悔しそうにテオドールをにらみつけている。
「子爵夫妻は、あなたを利用するために引き取ったのですよ。僕はそこに本当の愛は存在していないと考えますが」
テオドールの穏やかな声から紡がれたのは、冷たく感じる言葉だった。
「テオドール様!」
レベッカは条件反射で名前を呼んでいた。
驚いた顔をしたテオドールが、揺れる瞳で見てくる。
「そんな酷いこと、言わないでください」
「……ですが、レベッカさん。彼は利用されているのですよ」
「それでも……それでもです!」
テオドールは困ったような顔している。その瞳から一瞬、情が感じられなかった。
彼は貴族として、何不自由なく暮らしてきたのだろう。きっと両親からも愛されていて、だからわからないのだとレベッカは思った。
ふと自然に口が開く。
「……テオドール様にはわからないですよ。家族がいない人の、気持ちなんて……」
口にしてからハッとする。
自分はいま、酷いことを口にしてしまったのではないだろうか。
テオドールが悲しげに眉を顰めた。
その瞳が突然、大きく見開かれる。
「レベッカさん!」
テオドールの手の中にあった《魔道具》が、地面に落ちていく。それが赤く膨らんでいた。
それに気づいた瞬間、爆発音が聞こえたような気がして、目の前が暗くなった。
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