第三章 愛されるもの③
孤児院に行けないまま、数日が経っていた。
正直退屈だ。昼間はテオドールが仕事があるからと行ってしまうし、食事も変わらずひとりで食べていた。
退屈すぎて、手持ち無沙汰になったからか、いろいろな物を縫ってしまった。
そしてとうとう、前に買ってもらった布切れとかが心もとなくなってきた時、邸宅に予想外の訪問者がやってきた。
「初めまして。エレノア・クレインと申しますわ」
落ち着いた桜色の髪の毛をふんわりとさせた、金色の瞳の少女だ。歳はレベッカより少し上と言ったところだろうか。
彼女はふんわり笑ったかと思うと、ずいっとレベッカに近づいてきて手を取った。その瞳は宝物を見つけたみたいにキラキラと輝いている。
「よろしくね、レベッカちゃん」
彼女の瞳に、レベッカは圧倒されていた。
エレノア・クレイン。
彼女はクレイン侯爵家の末娘であり、ベンジャミンの《最愛》の聖女だ。
邸で退屈しているレベッカを見かねたベンジャミンが、話し相手として連れてきてくれたのだ。同じ聖女だけれど、彼女は王都外の神殿出身だからレベッカとは初対面である。
エレノアを紹介するとき、ベンジャミンが小声で「気をつけてね」と囁いていたけれど、いまのところ気をつける要素が見当たらない。貴族出身にしては物腰が柔らかく、レベッカが平民だと知っても嫌な顔をすることもなかった。
自然に会話ができて、久しぶりにいろいろと喋った。
主に話したのは、テオドールのことだった。
「そう。話には聞いていたけれど、テオドール様は狼なのね」
「うん、最初の頃は小さかったけど、徐々に大きくなって、いまはこーんなにでかいんだよ!」
大きく手を広げて説明すると、エレノアが上品にくすくすと笑う。
最初は年上であり貴族である彼女に対して敬語を喋っていたレベッカだったけれど、エレノアの方から砕けた口調で喋るように言われてしまった。
まだ会って三十分も経っていないのに、すっかり自然に会話することができている。
「はあ、それにしても残念ね」
エレノアがため息を吐く。
「こんなにかわいらしい《最愛》を置き去りにして、仕事に明け暮れているなんて。テオドール様も罪な人だわ」
「か、かわいらしい?」
「ええ。ベンジャミンから話を聞いていた時から、ずっと会いたいと思っていたのよ。
また、かわいらしいと言われてしまった。
自分よりはるかに華やかで上品なエレノアに比べると、レベッカは地味だ。茶色い髪に平凡な顔立ちをしているし、かわいいのは誰がどう見ても彼女の方だろう。
からかわれているのかとも思ったが、エレノアの瞳からは嫌な気配はしない。だけど表向きは好意的に接していても、内心は違うことを思っているのかもしれない。アンリエッタのことを思い出してそんなことを考えていると、突然エレノアが立ち上がった。レベッカの横に座ると、耳に向かって小声で話しかけてくる。
「ねえ、レベッカちゃん。良いことを教えてあげましょうか?」
「ふえ?」
耳元で囁かれるのをくすぐったく感じていると、エレノアの口から信じられない言葉が出てきた。
「テオドール様を、傍に置いておく方法があるの。これは《最愛》である聖女にしか使えない裏技よ」
「う、裏技?」
「ええ。聖女がマナの浄化をするには傍にいなきゃいけないでしょう? ――それを利用するのよ」
もしかしてこれは危ない勧誘なのではないか、とレベッカは疑った。
だけどここ数日寂しい思いをしているのはレベッカだ。だから少しでもテオドールと一緒に居られるのなら――。
「それは?」
ゴクリと唾を飲み込んでエレノアの言葉を待つ。
エレノアはクスリと微笑むと、さらに耳に口を近づけてきて。
「その方法はね。マナの浄化を――」
「ちょっとエレノア、何してんの!?」
エレノアの言葉を遮るように、ベンジャミンの声が響いた。
「レベッカちゃん、大丈夫? エレノアが失礼なことしてない? うちの聖女、その……少し癖が強くて、いろいろと困った性格をしているからさ」
応接室に入ってきたベンジャミンが、エレノアを引きはがす。
「大丈夫ですよ。エレノアさんは、とても優しいので」
「優しい、ね。それはそうだけど」
ベンジャミンが言いにくそうに口ごもる。エレノアはそんなベンジャミンを見てさらに笑みを深めていた。
「楽しかったようですね」
「テオ様」
ベンジャミンと一緒にテオドールもきたようで、レベッカの傍にやってくる。
「どんな話をされていたのですか?」
「それは――」
テオドールの話をしていたというのを、本人に伝えるのは少し恥ずかしい。それにベンジャミンたちが来る前にエレノアから教えてもらおうとしていたことは、話さない方がいいだろう。
悩んでいると、エレノアが助け舟を出してくれた。
「これから街に行こうという話をしていたのですわ、テオドール様」
「これから? それは随分と急ですね」
テオドールの顔が険しくなる。テオドールからは《魔道具》の事件が落ち着くまではひとりで街に出ないようにと言われていた。だからレベッカは街にも孤児院にも行くことができずに、ここ数日暇を持て余していたのだ。
「街に出るのは、いまは危険なんですよ」
「あら、それなら大丈夫ですわ。大魔法使いのテオドール様がいたら、危険なことなんて起こらないはずです。それに……ずっと、レベッカちゃんを邸に閉じ込めておくつもりですか?」
「っ、それは……」
テオドールが言い淀む。
エレノアは、テオドールを前にしても臆する態度を見せなかった。
「だから、ダブルデートをしますわよ」
「……ダブルデート!?」
思わずレベッカは声を上げる。
エレノアの背後で、ベンジャミンが額に手を当てていた。
◇
そんなこんなで、レベッカたち四人は街に赴くことになった。
ダブルデートだ。
そういえば、テオドールの《最愛》に選ばれてから、デートをしたのは一度しかない。それもバザーの短い間だけ。
「さて、まずは私のおすすめのブティックにでも向かいましょうか」
「ドレスでしたら、邸にオーナーを呼べば……」
「まあ、テオドール様ったら何もわかっていらっしゃらないのですね。ショッピングは、店に足を運ぶことにこそ、意味があるんですのよ」
「そうなんですか?」
「もちろんですわ」
うふふと笑うエレノアに、テオドールが困惑している。
ついでにレベッカも困惑していた。
(ドレスって、エレノアさんが着るのかな? まさか、私なわけが)
テオドールの邸に来たばかりの頃、彼からドレスを仕立てましょうかと訊ねられた。だけどレベッカは首を振った。自分にドレスは分不相応だと思ったからだ。テオドールは頷いて、ワンピースタイプの服を何着か仕立ててくれた。平民が着るには高級な生地で作られたもののように思えたけれど、着心地が良くてその服ばかり着ている。
エレノアの視線が、レベッカに向く。
「レベッカちゃんも、新しい服、ほしいわよね?」
「えっと」
「テオドール様はお金持ちなのよ。だから遠慮することはないわ。ほしいものがあったら何でもおねだりしなきゃ」
そうなんだろうか?
「それにテオドール様の《最愛》になったのなら、社交に出る可能性もあるわ。まずはドレスを着ることから慣れていって、後はマナーとかも覚えた方がいいと思うの」
「僕は、レベッカさんを社交の場に連れて行くつもりはありませんよ」
社交界については、テオドールから前もって言われている。
テオドール自身、必要なとき以外はほとんど社交界に行かないと言っていた。《最愛》だからと言って必ず参加しなければいけないところではないので、レベッカさんは邸で好きなように過ごすことだけを考えてくれればいいと。
「テオドール様は、少しは自分の立場をお考えになったほうがいいですわ。大魔法使いであるあなたの《最愛》になったからには、今後なにが起こるかわからないのですから。その時になって苦労するのは、レベッカちゃんなんですよ。――それに、邸に閉じ込めておくだけが、大切にする方法でもないのですよ」
「……閉じ込める……」
「ええ。レベッカちゃんの為にも、最低限のマナーは覚えた方がいいと、私は思いますわ」
「……そうですね。少し考えてみます」
レベッカが口を挟むこともなく、なにやら決まってしまった。
テオドールはエレノアの言葉に思うことがあったのかそれっきり黙ってしまい、馬車の中には沈黙の時間が訪れた。
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