第三章 愛されるもの②



「あの、テオドール様はお戻りですか?」


 朝食の前に執事のルーベンに問いかけると、彼は目を伏せて首を振った。


「昨夜も、お戻りになっていません」

「……そうですか」

「ご主人様は仕事に夢中になると、一カ月ぐらい邸に戻ってこないこともあります。ですので……」


 言いにくそうにも伝えてくれるルーベンにお礼を言うと、運ばれてきた朝食に手をつける。温かいスープのはずなのに、どこか冷たく感じるのは、一緒に食べる人がいないからだろうか。

 テオドールの邸に来てからも、ほとんど一人で食事をとっていたけれど、最近は孤児院に行ったりとかバザーに行ったりとかで忘れていた。


 一人で食事を食べることは、寂しいことなんだ。



 あのバザーの日から、すでに五日が経っている。レベッカは庭園のガゼボでぼんやりと空を見上げていた。

 バザーで売られていた《魔道具》は、調査をするからとテオドールが回収してしまった。その調査のために魔塔に行ったまま、彼は帰ってきていない。


(あの魔道具はなんだったんだろう。それに、どうしてダビドが魔道具なんかを)


 一度悩みだすと止まらない。テオドールが帰って来ないことには聞くことすらできないのに。


 テオドールがいないのを埋めるように、メイドやルーベン、それから料理長と前よりも良く話すようになった。話している間は楽しいのに、ふとした瞬間にどこかぽっかりと穴が空いてしまったかのように、物寂しさを感じてしまう。


 温もりがほしくなる。例えばあの大きな銀狼の毛に顔を埋めたらすっきりするかもしれない。撫でまわして、一晩だけでも隣で眠れば、寂しさも紛れるかも――。


 首を振る。

 銀狼に会いたくっても、テオドールがいなければどうしようもない。



「……はあ、テオに会いたい……」


 その時、風が吹いた。

 レベッカの茶色い髪を弄んだかと思うと、その風と共に目の前にきらびやかな銀色が広がる。

 どこから降りてきたのか。まるでパッと空間に現れたようだった。

 王宮魔法使いの証であるローブを纏った銀髪の青年は、レベッカの前に降り立つと穏やかな笑みを浮かべた。


「呼びましたか?」

「テオ――じゃなくって、テオドール様!」

「帰りが遅くなってしまい、申し訳ありません。仕事に夢中になってしまっていたみたいです」

「遅いなんてもんじゃないですよ! もしかしたらもう帰って来ないかもとか考えてしまったんですからね」

「……すみません、レベッカさん」


 久しぶりに会うテオドールは申し訳なさそうにしながらも、変わらない笑みを浮かべていた。その穏やかな笑みを見ると、胸の奥が温かくなる。

 ムズムズとするそれを押さえながらも気になっていたことを問いかけようとして、その前にテオドールが口を開いた。


「レベッカさんには伝えた方がいいですよね。あの《魔道具》のことです」

「何か、わかったのですか?」

「はい。あの《魔道具》は、僕たちが追っていたものとは少し違いました。ですが、違法で作られたものではありました」

「そう、なんですね……。ダビドは、どうなるんでしょう?」


 グレースから聞いた話だと、ダビドが《魔道具》を持ってきたのはバザーの前日だったそうだ。貴族に引き取られてから一度も孤児院に顔を出さなかったのに、突然やってきて驚いたというようなことを言っていた。

 その時のダビドの様子は前と変わらないように見えたらしいけれど、魔道具を押し付けるように渡すとそのまますぐに行ってしまったそうだ。他の子供たちに声を掛ける素振りもなく、急いでいるようだったと。


 テオドールから《魔道具》が違法の物であるという話を聞いたグレースも驚いていた。

 どうしてダビドがその《魔道具》を持っていたのかは誰にもわかっていない。

 もしかしたら孤児院で昔あったように、どこからか拾ったのを持ってきた可能性もあるのではないだろうか。


 それを伝えると、テオドールは頷いた。


「それもあるかもしれませんね」

「たぶんそうですよ。まさかダビドが違法な取引に関わっているわけがないでしょうし」


 そう考えると、少し気持ちも楽になってきた。


「レベッカさんは、ダビドさんを信じているのですね」

「もちろんです。だって、家族ですから!」


 レベッカの言葉にテオドールが大きく目を見開く。それから眩しそうに、目を細めた。


「でしたら、僕も信じてみようと思います」

「あの、もしダビドに会うことがあったら、私も連れて行ってくれませんか?」

「……わかりました。危険が無ければ、ですが」

「ありがとうございます! 約束ですよ?」

「ええ、もちろんです」


 久しぶりにテオドールと会えて、ダビドのこともどうにかなりそうで安心したレベッカはほっとため息を吐く。


「あの、レベッカさん」

「テオドール様?」

「……もし、よろしければなのですが」


 なぜかテオドールは、周囲を確認するかのように忙しなく視線を彷徨わせている。

 それから彼は、こそっとレベッカに耳打ちするような小さな声を出した。


「僕のこと、テオと呼んでいただけませんか?」

「え、いいんですか!?」

「はい。もちろんです。獣化していた時はいつもそう呼ばれていたので」


 獣化していた時は純粋に犬だと思っていたからそう呼んでいたのだけど、人の姿に戻ってからは、さすがに大魔法使いに対して愛称で呼ぶのはやめた方がいいと思ってやめていた。

 だからレベッカは彼からの要求に驚いた。


 テオドール自身もそう口にするのが恥ずかしいのか、どこか頬を染めている。

 その姿が微笑ましく、レベッカは大きく頷いた。


「もちろんです。テオ様」

「っ。やはり……!」


 テオドールは何かを堪能するかのように、長い睫毛を伏せた。


「テオ様?」


 再び問いかけると、テオドールの長い睫毛が持ち上がる。

 銀色の瞳と目が合うと、胸が疼いた。

 レベッカと話すとき、背の高いテオドールは視線を合わせるためにしゃがんでくれる。

 その気遣いがいつも嬉しかった。温かい笑みを見るのも。

 

 いつもは平気なのに、テオドールの瞳と見つめ合っていると少し恥ずかしくなってくる。


(どうしてなんだろう。久しぶりに会ったからかな)


 よくわからない感情に悶えていると、テオドールが立ち上がった。


「そろそろ中に戻りましょうか」

「……はい」


 この五日間、心に空いていた穴は、久しぶりにテオドールに会えたことにより埋まっているようだった。

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