第二章 孤児院の家族④
「――そういえば、レベッカお姉ちゃんって、ダビドのこと、覚えてる?」
テオドールと話していると、ソフィーが近づいてきた。
「ダビド? もちろん、覚えてるよ」
ダビドはソフィー少年だった。
四歳になって孤児院にきた彼は、気難しくなかなか打ち解けられない子供だった。
孤児院にはいろいろな事情を抱えた子供たちがいる。
両親が事故等により亡くなった身寄りのない子供。レベッカみたいに産まれた頃からいる親の顔すら知らない子供。それから、親の事情により預けられた子供。
ダビドの場合は、親がいたが育てていくのが困難になり孤児院に預けられた子供だった。親から言われた「いつか迎えに来る」という言葉を信じていて、自分は他の子供たちは違うんだとよく口にしていた。
それにより周りと軋轢を生んでいて、彼はいつも一人だった。
よく周りとケンカしていたことから、みんなから遠巻きにされていたダビドを、それでもレベッカは見捨てることはできなかった。
それにレベッカは知っていた。夜中になると彼の布団から泣き声が聞こえてくることを。
いつか迎えに来ると、親から言われた言葉を信じて待っているのに、数カ月経っても会いにすらこない親。
いくら気が強いからといっても、四歳の子供が耐えられるものではないだろう。
だからレベッカはダビドに他のみんなと同じように接した。シスターたちも根気強く向き合っていくしかないと口にしていたから。
最初の頃はレベッカに対しても冷たかったダビドだったけれど、次第に心を開いてくれるようになった。レベッカが孤児院を出る頃にはダビドも七歳になっていて、これからは自分がレベッカの代わりにみんなの兄になると、そう口にしていたっけ。
『だからいつでも戻って来いよ』
そんなことを懐かしく思い出す。
(そういえば、ダビドの姿が見えない)
いまダビドは十二歳になっているだろうか。
どんな少年に成長したのか気になって周囲を見渡すが、やはりダビドらしい少年の姿は見当たらない。ここにいる子供のほとんどはレベッカが神殿に行った後に入ってきた子たちだろう。
レベッカが探しているのに気づいたのか、ソフィーが言いにくそうに話し出す。
「ダビドはね、半年前に引き取られたんだ」
「そうなの?」
「うん。貴族の家だって、聞いたよ」
「貴族っ!?」
孤児院にいる子供たちが、裕福な家庭や子供のいない家庭に養子縁組として引き取られていくことがある。特に貴族は慈善事業の一環として、将来有望な平民を養子に迎え入れることがよくあるらしい。
ダビドは誰よりも、実の親が迎えに来ることを信じていた。
そんな彼が養子縁組を受けるなんて。それも、貴族の養子に。
「よく、ダビドが受け入れたわね」
「新しい家族ができるんだって、嬉しそうに話してたよ。その貴族の人も優しそうで、私たちに甘いお菓子をくれたんだぁ」
「そう。ダビドは、いまは幸せに暮らしているんだね」
それならよかったと言いかけるが、ソフィーはまだ何か言いたげな顔をしていた。
「私もそう思ってたんだけど――。実は、一週間前ぐらいに街でダビドを見かけたの」
その時の様子は、どこか切羽詰まっているようだったという。
ソフィーの姿を見て、ダビドは険しい顔をすると「あっち行け」と言って走り去ってしまったという。
「ダビドは貴族になったから、もう私たちとは話したくないのかなぁ」
「そんなことないわ」
レベッカはすぐに口を開く。
「きっとダビドは急いでいたのよ。ダビドはいいお兄ちゃんだったでしょう?」
孤児院を出てから、ダビドたちがどう過ごしていたのかはわからない。だけど、あの頃の彼は本来の笑顔を取り戻していた。孤児院にきたばかりの頃とは違う。
ダビドは孤児院のみんなを大切な家族だと口にしていたのだから。
そんなダビドが、ソフィーに酷いことを言うとは思えない。なにか理由があったと考えるのが妥当だ。
「うん。そうだよね」
ソフィーは憑き物が落ちたかのように笑った。
それにしてもダビドという名前を聞いて、懐かしいことを思い出した。
あの変わったシスターは、なぜかわからないけれど《魔道具》を嫌っていた。特に安い《魔道具》は粗悪品だと言っていて、子供たちがいくら買ってと頼んでも駄目だと言って買ってくれなかった。
そんなある日、ダビドがどこかのゴミ捨て場から古い《魔道具》を持ってきた。水を温めるための《魔道具》だったのだけれど、ベラはその《魔道具》を取り上げると壊してしまった。
当然ダビドは顔を赤くして怒ったのだけれど、ベラは頑なとして謝らなかった。だけど数日後、ダビドが持ってきた《魔道具》と似ているけれど少し模様の違う、水を温める《魔道具》がいつの間にか置いてあった。
訝しるダビドだったけれど、グレースがこっそりと子供たちに教えてくれた。
前にダビドが持ってきた《魔道具》は、粗悪品で危険なものだということ。
シスター・ベラが、新しい《魔道具》を買ってきてくれたことを。
そのおかげでベラとダビドのわだかまりも解消されたのだ。
(あの時のダビドは、少しいいにくそうな顔をしていたけれど、ちゃんと謝っていたっけ。ベラ先生もバツが悪そうな顔をしていて……)
「れ、レベッカさん。そろそろ、行きましょう」
焦ったような声に振り返ると、テオドールがまた子供たちに囲まれていた。
さっきみたいにもみくちゃにされたりはしていなかったけれど、子供たちと接するのに慣れていないのか、テオドールは疲れた顔をしている。
「そうだっ!」
レベッカはずっと持ったままになっていたクッキーの入ったバスケットを、ソフィーに渡した。
「これ、テオドール様の家の料理長が焼いてくれたクッキーだよ。みんなで食べてね」
「クッキー! ありがとう、お姉ちゃん」
「わあ、クッキーだぁ!」
クッキーという言葉につられて子供たちが集まってくる。テオドールはやっと解放されたことに、ほっと息を吐いているようだった。
「また、すぐ来るね」
「うん、待ってるよ、レベッカお姉ちゃん」
名残惜しくもソフィーたちと別れると、レベッカは帰路に着いた。
噴水広場の前でベンジャミンと合流すると、テオドールはベンジャミンと話があるからと、レベッカに先に馬車に乗るように促した。
馬車の窓から外で話している二人を見ていると、深刻そうな顔で話し合っている。
(何かあったのかな)
しばらくするとテオドールだけが馬車に乗ってきた。
「ベンジャミンさんはどうしたのですか?」
「ああ、ベンジャミンは一度報告に戻るそうです。僕たちは邸宅に帰りましょうか」
「報告……?」
「はい。調査結果を、魔塔に報告しに行くのです」
「魔塔? ……何か、あったのですか?」
レベッカの問いかけに、テオドールは少し考える素振りを見せた後、話してくれた。
「実は、最近、王都を中心として、非合法の《魔道具》が見つかっているのです」
「それって、あのミサンガみたいなものですか?」
「はい。しかも王都で見つかっている《魔道具》は特に危険なもので、今日は商店を中心に非合法の《魔道具》が販売されたいないかを調べるために来たのです」
非合法の《魔道具》。そう聞くと、アンリエッタのことを思い出して悲痛な気持ちになる。
あの悪質な《魔道具》と同じようなものが、街で売られているなんて……。
「まだ調査段階だから詳しいことは話せませんが、放置すると大変なことになるでしょう」
「……そう、なんですね」
「はい。ですのレベッカさん。またしばらく孤児院に行くのは控えた方が……」
レベッカはまた一週間後にでも、孤児院を訪問する予定だった。
次はどんなお菓子を持って行こうか。そう考えていたのに。
(会えないのは寂しい……)
グレースやソフィーにもう一度会いたい。
あそこは、レベッカの家のようなものだから。
「……テオドール様は、魔法を使いますよね」
「ええ」
「マナの浄化に、私の存在は必要不可欠ではありませんか?」
「はい。そうですが」
まだレベッカが言おうとしていることはわかっていないのだろう。
レベッカはテオドールの銀色の瞳を見つめて言った。
「私も調査に同行させてください」
また孤児院に行きたい。そういう気持ちもあるけれど。
あの広い邸宅に、一人で取り残されるのは寂しいから――。
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