第二章 孤児院の家族③

    ◇◆◇



 孤児院に行く約束をしてから、あっという間に一週間が経った。

 レベッカはテオドールやベンジャミンとともに一緒に街に向かった。

 街の中心には噴水広場がある。そこで馬車から降りると、ここからは徒歩で向かうことになった。


「じゃあ、レベッカちゃん。またあとでね」

「あれ、ベンジャミンさん、一緒じゃないんですか?」

「うん。俺は寄るところがあってね、ここからは別行動だよ。師匠、魔法の使い過ぎには注意して下さないね」

「はい。……もうほとんどマナの浄化は済んでいますから、そんなに気にしなくても大丈夫だと思いますけどねー」


 テオドールがボソッと呟いた言葉に、レベッカは苦笑する。ベンジャミンには聞こえていなかったみたいで、彼はひらひらと手を振ると人混みに紛れて行った。


「それでは、僕たちも行きましょうか」

「はい! あ、道案内します」


 噴水広場から歩いて三十分ぐらいのところに、レベッカの暮らしていた孤児院がある。教会の隣に佇む、小屋のような建物。そこには、赤ん坊から十五歳ぐらいまでの子供たちが暮らしている。


(私の知っている子たちは残っているかな)


 孤児院を出てかららもう五年も経っている。

 だからレベッカのことを覚えている子供たちが残っているのか、少し不安があった。


 孤児院の庭では、ちらほらと遊んでいる子供たちの姿がある。その中に知っている姿は見えない。

 それを横目で見ながら、レベッカは扉の前に辿り着いた。


「ごめんくださーい!」


 扉をノックしてから、声を掛ける。

 静かだった扉の向こうに人の気配がしたと思うと、ゆっくりと扉が開いた。


「おや、誰かと思ったら、もしかしてレベッカかい?」


 顔を出したのは、老齢のシスターだ。六十歳を軽く超えているシスターは、五年前と何も変わっていないように見える。彼女はすぐにレベッカのことに気づくと人のいい笑みを浮かべた。


「シスター、お久しぶりです」

「ああ。久しぶりだね。――って、まあ」


 いつもは落ち着いているシスターが、レベッカの背後を見て大きく目を見開いた。


「初めまして、テオドールと申します」

「シスター、グレースです。よろしくお願いします」


 恭しく頭を下げて、二人は挨拶を交わす。


「ずいぶんと綺麗な格好をしているねぇ。それにローブを着ているということは、魔法使いのようだね。……レベッカ、もしかして彼が」

「はい、私の《最愛》の魔法使いです」

「やはりそうなんだね。良い人そうで、良かったよ」


 いざ《最愛》と口に出して紹介するのは、少し気恥ずかしい。

 玄関口で話していると、その向こうから複数の足音が聞こえてきた。


 孤児院で暮らしている子供たちだ。それから他のシスターの姿も見える。


「ねえ、だれぇ?」

「うわあ、綺麗な人。女の人?」

「違うよ、男の人だよ」


 テオドールの姿を見て目をきらめかせている少女に伝えると、彼女は丸い目をさらに大きくさせた。


「うわあ、月の女神みたい」

「ローブを着てるってことは、魔法使い?」

「すごい、魔法使いだ!」

「……あれ、レベッカお姉ちゃん?」


 テオドールの姿に釘付けの子供たちの中でも、頭一つ分背の高い少女が声をかけてきた。その少女には見覚えがあった。


「ソフィー?」

「うん、そうだよ。大きくなったでしょ?」


 神殿に行く前、ソフィーはまだ六歳だった。泣き虫で、同じの布団で寝ないとなかなか寝付けなくて、よく一緒に寝ていたっけ。レベッカが聖女に選ばれて神殿から出て行くという話をした時も、「いやだいやだ」と大泣きしてしまい、なかなか離してくれなくって困ったことを懐かしく思い出す。


「いまはもう一人で眠れてるの?」

「私ももうお姉ちゃんだからね、当然だよ」


 ソフィーは胸を張って言った。


「そういえば、シスター・ベラの姿が見えないみたいだけど」


 あの鮮やかな赤い髪は、遠くから目にしただけですぐにわかる。

 だけど出てきたシスターの中に、ベラの姿は見当たらなかった。

 できることなら、あの時教えてくれた言葉。レベッカに再び前に向く勇気をくれたあの言葉のお礼を言いたかったのだけれど。


「シスター・ベラならいないよ」

「あ、そうなんだ。タイミングが悪かったのかな」

「ううん、違うよ。シスター・ベラは、二年前にどこかに行ったんだって」

「え? どこかに行ったって?」

「よくわからないけど、他のシスターが話してたんだ。ベラ先生の姿が消えたって」

「姿が消えた?」


 別の教会に行ったとかならまだ理解ができるけれど、姿が消えたというのはどういうことなんだろう。

 首を傾げていると、グレースが近づいてきた。


「シスター・ベラは、ある日突然、何も言わずにいなくなってしまったんだよ」


 いなくなってしまった。

 どうしてなんだろう。あの赤い髪のシスターにお礼を伝えたかったのに。


「……さん……レベッカ、さん……」


 どこからか悲痛な声が聞こえてきた。声の主を探すと、子供たちに取り囲まれてなされるがままになっているテオドールが、途方に暮れながらもこちらに助けを求める視線を向けてきていた。


「みんな! 大事なお客様に、失礼だよ!」


 ソフィーの一喝に、子供たちの動きが一瞬止まる。そしてキャーと逃げるように庭に走って行ってしまった。

 解放されたテオドールが、フラフラとした足取りでレベッカの許にやってくる。


「……子供とは、無邪気で、活発で……とても、元気ですね……」

「テオドール様、お疲れさまです」

「いえ、初めての経験なので少し驚いてしまっただけです。次はもう少し、うまく対処しま……結ばれている?」


 乱れた髪を整えようとしていたテオドールが、長い銀髪の一部が三つ編みに結われていることに気づいて動きを止める。

 ふふっと苦笑しながらも、レベッカはその髪を解いてあげた。少し触れただけなのに、そのしなやかな髪にうっとりと見惚れてしまう。「うわぁ」とため息を漏らしながら触っていると、テオドールの困った瞳が振り返った。


「レベッカさん。そろそろ……」

「あ、すみません。綺麗な髪だったので」

「いえ、レベッカさんになら触られてもいいのですが、いまは人前ですから」


 人前じゃなければ触ってもいいということだろうか。


「そういえば、レベッカさんたちはなにを話されていたのですか?」

「孤児院で暮らしていたころ、私たちをお世話をしてくれたシスターがいたんです。そのシスターに会いたかったのですが、どうやらやめちゃったみたいで――」


 二年前に何も言わずにいなくなった話を伝える。


「赤い髪の、変わったシスターだったのですが」

「赤い髪? ……その方の名前を伺っても?」

「えっと、シスター・ベラです。みんなからはベラ先生と呼ばれていて」


 赤い髪のシスター・ベラは、レベッカが聖女になる一年ほど前に孤児院にやってきた、変わった女性だった。

 鮮やかな赤い髪に、意志の強い赤い瞳が特徴的な人だった。シスターにしてはあまりお祈りをしないし、教会の奉仕をサボってグレースに怒られている姿も見たことがある。たまに小声で神の愚痴を言っていたり、シスターらしくないシスターではあったけれど、レベッカにとっては恩義のある人だ。


「神殿に行く前に、ベラ先生から言われたんです」


『たとえ何があったとしても、諦めたらそこで終わりです。ですので、しつこく足掻いて縋りつきなさい。聖女として、ではなくあなた個人として、自分を強く持って生きていくのですよ』


 その言葉が、折れかけていたレベッカの気持ちを再び前に向き直させてくれた。


「良い、シスターだったのですね」

「はい。だからこそ、会えなくて残念です。どこに行ってしまったんだろう」

「探しましょうか?」


 アーニアール王国は、大国とまではいかなくても広い国だ。

 だから教会も無数にあり、この孤児院みたいなところも多くある。

 王都の教会も複数あるし、探すとなるといくら時間があっても足りないかもしれない。


「いいえ。広い国ですけど、きっとどこかで会えますよ。だから大丈夫です」

「わかりました。レベッカさんがそう言うのであれば」

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