第二章 孤児院の家族②


「テオドール様がお呼びです」


 ルーベンの案内で連れてこられたのは、庭園だった。庭の中心に向けて白い石畳の道ができている。そこには柱に囲まれたガゼボがあった。

 銀狼――ではなく、すっかり人間の姿に戻っているテオドールが座っていた。風になびく銀髪をうっとりと眺めていると、テオドールが振り向いた。


「いらっしゃい、レベッカさん。向かいにどうぞ」


 誘われて、腰を下ろす。

 丸い机の上には、すでにティーセットが揃えられている。

 手際よく、メイドが紅茶を淹れてくれる。良い香りが鼻孔をくすぐったかと思うと、メイドが離れたタイミングでテオドールが頭を下げた。


「昨日は、危険な目に遭わせてしまって申し訳ありませんでした」


 一瞬なにについて謝られているのかわからなかったが、すぐに空の旅をしようとして失敗してしまったことだと気づく。

 あの時は、まだ飛び始めてすぐだったこともあり、低いところから地面に落ちただけで大事には至らなかった。だけど運が悪く、空の旅の途中に落ちていたら、危ないなんてものではなかっただろう。


「いつもはこんな失敗しないのですが、あの時は浮かれていて、自分の状態まで配慮が回っていなかったのです」


 レベッカは幸い怪我をしなかった。だから大丈夫だと伝えると、おずおずとテオドールが頭を上げる。その姿が、犬だった時に重なり、くすっと笑みがこぼれる。


「次からは、絶対にレベッカさんを危険な目に合わせたりなどしないと誓います」

「はい」

「魔力が回復したら、今度は本当に空の旅に参りましょう」

「楽しみにしてます」

「ええ、僕も楽しみです。レベッカさんと一緒だと、なぜか胸の奥がぽかぽかと温かくなって、マナの回復も早いみたいなんです。これも、レベッカさんの神聖力のおかげでしょうか」

「わ、私でお役に立てて、よかったですっ」


 なぜかこそばゆい気持ちになり、レベッカは冷める前にとカップを口に付けた。


「美味しい」


 紅茶の味はよくわからないけれど、果物のような香りとともに甘い味がした。


「僕の好きな紅茶です。レベッカさんの口にあって、なによりです」


 テオドールも嬉しそうに紅茶を飲んでいる。


「ビスケットもどうぞ」

「ありがとうございます」


 ビスケットは、テオの食事として用意されていたものとは違い、間にクリームが挟まっていた。

 一枚手に取って食べると、ほんのりとしたビスケットの甘みとクリームのなめらかさがちょうどよく口の中に広がっていく。


「これも美味しいです」

「ふふ、たくさん食べてくださいね」

「はい!」


 一時間ほど前に昼食を食べたばかりだというのに、ビスケットを食べる手は止まらなかった。

 皿が空になってから、はっと手を止める。


(食べ過ぎたかもしれない)


 食い意地が張っていると思われただろうかとテオドールの顔を伺ったが、彼は穏やかに笑っているだけだった。

 その目がすぅっと細くなる。もしかして食べすぎだって怒られるかもとビクッとしていると、テオドールの口から出てきた言葉はまったく予想していないことだった。


「――レベッカさんは、《最愛》がどういうものか知っていますか?」

「えっと、はい」


 聖女になってから、《最愛》についてはいろいろ学んできた。

 だけど突然の問いかけに、少し困惑する。


「魔法使いと聖女の《最愛契約》は、一生に一度のものです。これはなにがあっても覆すことができず、もしどちらかが国から出てどこかに行こうものなら、《縛り》により、苦しい目に遭うと云われています」


 それはレベッカも知っていることだった。

 《最愛》は唯一無二で、たとえお互いの価値観の違いなど違ったり相性が悪くても、一度契約をしてしまうと傍に居続けなくてはいけない。特に魔法使いの場合は、獣化してしまう危険性があるから最愛の存在は必要不可欠だ。神殿では、魔法使いに選ばれたら聖女として、ずっと傍で支えるようにと口を酸っぱくして言い聞かせられていた。


「《最愛》となった魔法使いと聖女は、ほとんどの場合は結婚することになります。ですから僕らもゆくゆくは――と思うのですが、レベッカさんの本心を聞かせてもらいたいのです」


 結婚。大魔法使いテオドール様と結婚。

 確かに、その可能性は考えていた。だけど、魔法使いの中には、《最愛》とは別の伴侶をもうける場合もあると聞いたことがある。

 レベッカにとっては、どん底から救ってくれたテオドールには感謝をしていて、彼の傍にいられるのはいちばん良いことだと思っている。結婚できなくても、傍にいられれば。


 だから彼の口から結婚と言葉を聞いて、少し浮ついた気持ちになる。

 それに結婚をするということは、家族になるということだから――。


「私は、テオドール様と結婚したいです」

「……本当にいいのですか?」

「もちろんです。それに、テオドール様がテオだった時に思ったんです。このままずっと一緒に暮らせたらいいのにって。――テオと、家族になれたらいいのになぁって」

「――家族、ですか?」


 テオドールはなぜか驚いた顔を見せる。


「はい。家族です。私は両親の顔を知らないんです」


 レベッカは赤子の時に孤児院に預けられた。本当の両親の顔は見たことがないし、生きているのか死んでいるのかすらわからない。

 だから家族がいないことが当然で、孤児院のみんなが家族の代わりのようだった。

 

 だけど本当の「家族」というものに、憧れがあったのだ。

 結婚をすれば相手とは家族になれるだろう。血の繋がりのある子供が産まれたら、さらに家族が増えることになる。

 そんな生活に憧れていたけれど、それは夢のような話だと思っていた。


「だから――。テオドール様と家族になれるのは嬉しいです」

「家族、ですか。……そうですね。レベッカさんといるのはとても楽しいですし、一緒に暮らせるのはとても幸せなことだと思います」


 テオドールの銀髪が風に舞い、表情が隠される。


「もしレベッカさんの気持ちが変わらないのであれば、レベッカさんが十八歳になる年に、結婚しましょうか」


 にっこり笑うテオドール。

 その笑顔に違和感を覚えながらも、レベッカは頷いた。

 そしてはっと思いだし、家族の話題が出たついでにと、テオドールに問いかける。


「そうだ、テオドール様。いつになったら孤児院に行けますか?」


 ミサンガが切れた後、テオドールは約束してくれた。

 すぐには難しいけれど、孤児院に行くことは可能だと。


 それを思い出したのだろう、目を見開いていたテオドールが「ああ」と小さく囁いた。


「そうですね。あと四日は魔法を使うことを禁じられていますし……」

「でしたらその後は、どうですか?」

「いや、しかし――。その、いますぐ街に行くのは……」


 テオドールのどこか焦った顔。何か事情がありそうだ。


 だけどここで引くわけにはいかない。

 もう五年も孤児院のみんなに会えていないのだから。


 懇願するように銀の瞳を見続けていると、テオドールは参ったというように頷いた。


「わかりました。ちょうどいまから一週間後、街に行く予定があります。その時に、一緒に行きましょう」

「ありがとうございます!」

「ただ、時間が限られているので……」

「大丈夫ですよ。少しでも、みんなに会えるのなら」


 孤児院の家族たち、それからあの赤い髪のシスターに会えたら何を話そうか。

 そう考えるだけでも、楽しい気持ちになってくる。

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