第二章 孤児院の家族

第二章 孤児院の家族①


 馬車に揺られて着いたのは、高い塀で囲まれたところだった。

 門番の姿が見えないのに、門がひとりでに開く。レベッカが驚いていると、向かいのベンジャミンがこの門には《魔道具》が埋められていて、特定の馬車の姿を感知すると自動で門が開く仕組みだと教えてくれた。


 馬車のまま広い庭園を進んでいくと、まるでお城のような邸宅が見えてきた。

 神殿の建物も大きかったけれど、それよりもはるかに大きな建物だった。


「ここが、テオドール様の邸宅だよ」

「そうなんですね。ご家族の方も住んでいるんですか?」

「いや、ここはテオドール様自身の邸なんだ。テオドール様の家族は、別の邸宅にいるから気にしなくてもいいよ」

「テオドール様の、邸……!」


 さすが公爵家次男にして大魔法使い。

 平民であり孤児院出身のレベッカなんて、彼の最愛にならなければ一生こんな大きな邸を目にすることはなかっただろう。

 思わず大きく口を開けたままでいると、服の裾が引っ張られた。

 そこでレベッカは、もう一人の存在を思い出した。


「テオドール様、すごいんですね」


 いまだに長くふわふわとして毛並みの銀狼が、レベッカの言葉に当然というように胸を張っている。人間の姿をしていたら、『僕は大魔法使いですから』とでも口にしていそうだ。


「じゃあ、俺はこれで帰るよ。邸の使用人にはレベッカちゃんのことは伝わっているはずだから、安心してね。テオドール様は、人間の姿に戻ってもしばらく魔法を使ったらだめですからね」

「……グルル」

「唸ってもダメですから!」


 避難がましい目を向けて唸るテオドールから逃れるように、ベンジャミンは急ぎ足で馬車に乗って行ってしまった。


 本当に邸に入っていいのだろうか。自分は場違いじゃないだろうか。

 そう悩んで立ち止まっていると、邸の扉が内側から開いた。


 中から出てきたのは一人の男性使用人で、レベッカの姿を見つけると嬉しそうに顔をほころばせる。


「レベッカ様ですね。お話は聞いております。――おや、ご主人様も一緒でしたか」


 執事と思われるその人は、獣化した状態のテオドールの姿も見慣れているみたいで、特に驚いた様子もなく邸の中に案内してくれた。


「ご主人様がこんな姿ですから、私の方からご挨拶させてもらいます。初めまして、この邸の執事であるルーベンです」

「レベッカです。ルーベンさん、よろしくお願いします」

「ええ。では早速ですが、お部屋に案内させていただきますね。荷物はこちらで運ばせてもらうのですが……」


 ルーベンの瞳が、レベッカが腕に抱えているものに向く。


「もしかして、お荷物はそれだけですか?」

「はい」

「そうなのですね。ではそちらは私が運ばせていただきます」

「いえ、これぐらい大丈夫ですよ」

「いいえ、レベッカ様。ご主人様の最愛の方を無下にすることはできません。それに、荷物を運ぶのは使用人の役目なのです」


 これぐらいの荷物は自分で持てるけど、とさらに断ろうとしたが、ルーベンの頑なな様子にレベッカはすぐに折れる。

 しぶしぶ荷物を渡すと、ルーベンは優しそうな笑みを浮かべた。


「それでは参りましょう」


 案内されたのは、三階にある広い部屋だった。


「この部屋のちょうど真上の部屋が、ご主人様の寝室兼研究室となっています。なにかと騒がしいかもしれませんが、ご容赦ください」


 聖女宮で使っていた部屋よりもはるかに広い部屋だ。レベッカが幼い頃から育ってきた孤児院がすっぽり入りそうなほどに。


「ほ、本当に、ここが私の部屋なんですか?」

「ええ。ここが一番景観の良い部屋なのです。どうですが、バルコニーから庭園が一望できるんですよ。ご主人様が是非最愛・・様にと、選ばれて調度品もご自分で揃えられたんですよ」


 銀狼をみやると、尻尾を振りながら頷いている。


(本当に、私の部屋なんだ……)


 胸いっぱいの気持ちで部屋の中を見渡していると、今度は数人のメイドが中に入ってきた。


「レベッカ様の身の回りのお世話をさせていただく、メイドたちです」

「メイドまで! わ、私は一人でも着替えを」

「レベッカ様の身の回りの世話をするのが、彼女たちの仕事です。それを奪われると、彼女たちは行き場を失ってしまいます」


 また何とも言えない圧を感じるルーベンの言葉に、レベッカはコクコクと頷くしかなかった。足元で銀狼も当然とばかりに頷いていた。


 その日はそのまま、豪華絢爛な部屋の内装に圧倒されながらも、ふかふかの布団に包まれるとすぐに睡魔が襲ってきた。

 ぐっすり眠って目を覚ますと、天蓋付きのベッドが目に入ってやはり圧倒されてしまったけれど、一晩経ったからか少しは落ち着きを取り戻していた。



 メイドたちの手によって身支度を整えたレベッカは、食堂に案内された。

 机の上に朝食が並べられているが、一人分の量しかない。


「テオドール様でしたらまだ就寝中です」


(そういえばテオはお寝坊さんだった)


 犬だと思って世話をしていた時のことを思い出し、ふふっと笑みがこぼれる。

 朝食は簡単に食べられるものだったけれど、どれも頬が落ちそうなほどおいしくって、朝から食べられる幸せを噛みしめていると、コック帽をかぶった男性が近づいてきた。


「彼は、この邸の料理長です」


 ルーベンの言葉を受けて、レベッカは頭を下げる。


「美味しい食事をありがとうございます」

「いいえいいえ。俺は食べてもらえるだけで、とても嬉しいんですよ」


 ほろりとなぜか涙を流している。


「ところで、レベッカ様のお好きな食べ物は何ですか?」

「好きな食べ物……?」


 考えるが思い浮かばない。孤児院では好き嫌いなんてしている余裕はなかった。今日の朝食のような食事なんて夢のまた夢で、冬場などはその日食べる食事を搔き集めるのですら困難な時もあった。


(それでもシスターが、いつも食事を用意してくれてたっけ)


 その時のことを懐かしく思う。


(みんなはどうしているんだろう。会いたいな)


「レベッカ様?」

「あ、私はなんでも好きですよ」

「苦手な野菜や、食べられないものも、ないんですか?」

「はい、もちろんです」

「それは……なんと……!」


 料理長の声が沈んでいく。そしてなぜか号泣しだした。


「ああ、これでやっと、新しい主人のためにまともな食事が作れます。……いまのご主人様なんて、クッキーやビスケットさえあればいいとかおっしゃって、野菜は苦いから食べれませんだのなんだの、ほとんどまともな食事を摂ってくれないんですよ?」


 滝のような涙を流しながらも、料理長は手を組み合わせて天井を仰ぐ。


「ありがとうございます、レベッカ様。これで、俺も料理人として生きながらえることができます。これからはあなたのために、もっと美味しい料理を作らせていただきますからね!」

「あ、ありがとうございます」


 涙を拭い、目をキラキラとさせた料理長は、何度も頭を下げて厨房に戻って行った。


 その後ろ姿を見て、レベッカはテオが偏食だということを思い出すのだった。

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