第一章 大魔法使いの最愛⑬
本殿の中央には本堂と呼ばれる神が眠っているとされている空間がある。
そこには儀式でしか入ることはできずに、入れる人物も高位の神官と司祭ぐらいだとされている。
《最愛契約》はこの中で行われるらしい。聖女と魔法使いにとって、人生で一度の大イベントだ。
「すこし、緊張しますね」
「え、あ、はい、そう、ですね」
テオドールは緊張を口にするが、表情はいつもと同じ温かい笑みを浮かべている。
対してレベッカは、ガチガチに緊張していた。
(ここは神聖な場所……! 失敗は、許されない……!)
歯までガチガチと鳴りそうになったとき、テオドールが手を握ってきた。
触れたところからじんわりと温かさを感じて、レベッカの早鐘を打っていた鼓動が落ち着きを取り戻す。
「大丈夫ですよ。僕がいますから」
「て、テオドール様も、私がいますから!」
余計なことを口走ってしまった気がするが、テオドールは気にした素振りもなく、くすっと笑う。
こうしていると、アンリエッタに向けていた仮面のような笑みが嘘だったかのようだ。
この神殿の司祭が、大きな十字架の前に立つと振り返った。
「それではこれから儀式を始めます」
レベッカはついテオドールの顔色を伺う。
彼は、温かい笑みでレベッカを見ていた。その銀色の瞳は優しく、胸の奥が温かくなる。
「《聖女》と《魔法使い》の《最愛契約》は、その身が果てるまで反故にすることはできませんが、よろしいですか?」
二人は頷く。
司祭はまるで呪文のような口上を述べた。
するとレベッカとテオドールの間に、淡い輝きの糸のようなものが現れた。よく見てみるとそれは細い鎖のようで、二人の体を縛るように巻き付いたかと思うと、薄くなって消えてしまった。
(いまのは、いったい……)
テオドールも驚いたのか、どこかぼんやりとした顔で消えた鎖を目で追っている。
「儀式は無事に終わりました。二人の幸せを願っています」
◇
最愛契約の儀式を終えると、レベッカはたちは神殿を出た。いつも聖女宮に向かう通路とは違い、神殿の外に向かう通路からだ。
「それではレベッカさん。空の散歩なんていかがですか?」
恭しく礼をするように、テオドールが手を差し出してくる。
「空の散歩ですか?」
「はい。僕は魔法が得意なのでいつものように転移を使おうかと思ったのですが、どうせなら空の散歩と洒落こもうかと」
「いいですね! 一度空を飛んでみたいと思っていたんです!」
「それでは荷物は先に転移しますね」
レベッカの荷物に触れたテオドールの手の周りがほのかに輝いたかと思うと、そこにあったはずの荷物が消えていた。
驚いていると、テオドールが苦笑しながら教えてくれた。
「転移魔法です。触れた人や物を、指定の場所に移動させることができるんですよ。実はその……人間の姿に戻った時も、転移魔法を使って自宅のクローゼットから服を召喚したんです。魔法があれば一人でも服を着ることができますし」
「すごいです!」
素直に称賛していた。あの時もそうだけれど、実際に魔法を目の当たりにすると感動する。《魔道具》とはまた違うみたいだ。
「なんといっても、僕は大魔法使いですからね」
魔法は大得意なんです、と嬉しそうに笑うテオドールの瞳がとてもキラキラしていてなんだか犬見たい――と、ついそんなことを考えてしまう。
頭を撫でたい気持ちをぐっと堪え、テオドールの手を取る。
「それでは空の旅に参りましょうか」
「はい!」
繋いでいない方の手がレベッカの腰に当てられる。そのふたりの周りがほのかに輝いたとき、遠くからベンジャミンの悲痛な声が響いた。
「テオドール様! 何をしているんですか!」
「空の旅に行ってきます。ベンジャミンは、そのまま仕事に行ってくださいね」
「いや、そうじゃなくって!」
走ってきたのだろう。ベンジャミンは汗を掻いていて、少し取り乱している。
レベッカの体が地面から少し浮き上がる。体が軽くなる浮遊感に感動していたのも束の間、なぜか全身が一気に重くなった。
あ、と思ったときには、重力に逆らうことなくレベッカは地面に寝転がっていた。
見上げた空は、澄み渡るほど清涼な青だった。
「ああ、言わんこっちゃない。レベッカちゃん、大丈夫? 怪我してない?」
もしかして魔法が失敗した。
そう思ったレベッカの傍に、銀色の毛の大きな犬――いや、狼が近づいてくる。
鼻先を長い毛が通り過ぎてくすぐったい。近くに居た銀狼は、まるで謝るかのようにレベッカの傍で伏せた。
これはのちにベンジャミンから聞かされた話なのだけれど、人間の姿に戻ったテオドールは、その後も魔法を使ってばかりだったらしい。人間に戻ったばかりで、魔力が安定していないのにも関わらずだ。
ベンジャミンはずっと懸念していて、テオドールに「魔法はほどほどにしてくださいね」と、口酸っぱく忠告していたのに、テオドールは「僕は大魔法使いですから、大丈夫ですよ」と取り合わなかったそうだ。
だから、浮遊魔法という高度な魔法を使おうとしたことにより、テオドールは獣化してしまった。今回は運のいいことに芝生の上に落ちたけれど、ひとつ間違えたら大変なことになっていたかもしれない。
「師匠、これから五日間は魔法禁止ですからね! 小さな魔法もです。……本当は、一週間ぐらい禁止にしたいけど、そうすると師匠たぶんおかしくなるし」
魔法中毒者だからとかなんとかベンジャミンはグチグチ言っているが、レベッカはソワソワしっぱなしだった。
怒られた銀狼が、上目遣いでレベッカを見上げている。その姿にキュンとなり、もうレベッカは我慢ができなくなっていた。
「かわいい!」
銀狼に抱き着く。
大きくなったこの姿を見た時から、ずっと全身の毛に埋もれて、味わい尽くしたいと思っていたのだ。
もうテオが狼だとか、大魔法使いだとか、そんなことはすっかりレベッカの頭から抜けていた。
いまはモフモフを堪能したい。その気持ちだけで動いていた。
「えっと、レベッカちゃん」
ハッと我に返った時にはもう遅かった。
銀狼は恥ずかしいのからレベッカにお尻を向けているし、ベンジャミンは目を点にしている。
そっぽを向いたままの狼の銀の毛が、少し赤色に染まっているような気がした。
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