第一章 大魔法使いの最愛⑫


 すっかり憔悴したアンリエッタとそのメイドを、神官が連れて行く。これからさらに聞き取りをするためだそうだ。

 その後ろ姿を見て、レベッカは思わず隣にいるテオドールに訊ねていた。


「アンリエッタ様は、どうなるのですか?」

「神聖力を奪うのは重罪です。ですが、彼女も聖女ですから。魔法使いの《最愛》は唯一無二ですので、もし《最愛》に選ばれれば、神殿を出て暮らしていくことができると思いますよ」


 ただ、これまでのように生活することは難しいだろう。

 今回の出来事が知れ渡れば、彼女は後ろ指を刺されて生活をすることになるはずだ。これまでのレベッカのように。

 そのことを考えるとゾッとするが、つい先ほどレベッカに向けられた憎悪は相当なものだった。今更、彼女を庇うようなことはできそうにない。

 

「……大丈夫ですよ、レベッカさん」

「え?」

「もうあなたを縛っていた、想い出のミサンガは切れました。ミサンガは切れると願いが叶うらしいですから、きっとこれから良いことがありますよ」


 そうだ。五年ほど腕にあったミサンガはもう切れてしまった。

 ミサンガが切れたら願いごとが叶うという。

 レベッカの願い事と言えば、それは――。


「ここを出たら、孤児院に行けますか?」

「それは……あなたが暮らしていたところですか?」

「はい。私の願いは、孤児院の家族に会いに行くことなんです」

「……そうですか。会いに行くことは可能ですよ。すぐには、難しいですが」

「それでも全然大丈夫です!」


 諦めたらそこで終わり。そう伝えてくれた赤い髪のシスターを思い出す。五年ぶりに会いに行ったらびっくりしてくれるだろうか。

 レベッカを縛っていたミサンガはもう切れている。これからは新しい日々を過ごしていくんだ。それも、大魔法使いの《最愛》として。


 願いもすぐに叶うだろう。


「レベッカさん。今日はゆっくり休んでください。明日には迎えに行きます」

「明日、ですか?」

「本当はいますぐにでも連れて帰りたいところですが、いろいろ準備がありますので」

「い、いや、早いなと思って」


 聖女は《最愛》に選ばれると、神殿で魔法使いと《最愛契約》をすることになる。

 その準備には早くても五日ほど掛かると聞いたことがあるのだけれど……それを、たったの一日で終わらせようとしているのだろうか?


 テオドールは温かい笑みを浮かべていた。


「早くはありませんよ。なんといっても、僕は大魔法使いなのですから」



    ◇◆◇ 



 十歳の頃から暮らしていた部屋に別れを告げると、レベッカは本殿に向かった。

 昨日も朝からいろいろあったけれど、今日もいろいろあった。

 まず食堂に足を踏み入れたレベッカに向けられる視線が変わった。

 

 これまで散々レベッカのことを蔑んできた、貴族出身の聖女たちの態度が変わったのだ。

 いままで陰口を叩いてきた聖女たちは、みんな一様に頭を下げて謝罪をした。

 その上で、友達になりましょうとおこがましいことを口にしていた。


 もちろんレベッカは断った。

 いくら彼女たちが変わったとしても、これまでの日々が変わることはないのだ。

 聖女として――いや、大魔法使いの《最愛》として、そう簡単に許すことはできない。


(それに、みんなは――)


 レベッカの悪口を口にしていた聖女たちは、今度はアンリエッタの悪口を口にするようになっていた。

 アンリエッタ様には騙されました。アンリエッタ様のせいで、レベッカさんは苦労をされたのですね。

 謝罪した口で、聖女たちは口々にアンリエッタを貶める発言をした。


 きっとあの聖女たちは変わらないだろう。これからもこうして、誰か一人を蔑んで、陰口を言って生きていくのかもしれない。


 ひとつ良いことがあったとすれば、いままで貴族出身の聖女たちの影に隠れていた同じ平民出身の聖女たちが、ほっとした顔をしてレベッカに声を掛けてきたことだろうか。

 平民である彼女たちは、レベッカほどではないけれど、聖女宮で肩身の狭い思いをしてきた。息を潜めるしか生き残ることはできずに、レベッカを庇うこともできなかったのだろう。

 彼女たちに自分と同じ目に遭ってほしくなかったレベッカも、自分から声を掛けることはなかった。


 そんな彼女たちの謝罪は素直に受け入れることができた。

 これからどこかで会えたら、友だちになれるかもしれない。そんな期待もある。


 本殿の廊下を歩いていると、前から神官二人に連れられたアンリエッタがやってきた。どうやら今日も朝から聞き取りがあったみたいで、憔悴した顔をしている。

 アンリエッタはレベッカに気づくと、キッとにらみつけてきた。


「レベッカ、あなたのせいで……ッ!」


 その様子から察するに、もしかしたら聞き取りでも彼女はレベッカのせいにしようとまともに話していないのかもしれない。神官たちが顔を険しくて、レベッカに近づこうとしたアンリエッタの行動を嗜めている。


 身の竦む思いがするが、ここで気圧されていてはいけない。それに彼女と顔を合わせることがあったら、伝えたいことがあったのだから。

 深呼吸をしてから口を開く。


「アンリエッタ様。ミサンガをありがとうございました。もうミサンガは切れてしまいましたが、ミサンガは切れたら願いごとが叶うらしいですよ」


 怪訝そうな顔のアンリエッタに、レベッカはニコリ微笑んで言った。


「私の願いは、もうすぐ叶いそうです。ありがとうございます」


 アンリエッタの水晶のような水色の瞳が大きくなる。

 そして忌々しそうに何かを吐き捨てたが、アンリエッタの両脇にいた神官がそれを制した。アンリエッタはそのまま神官たちに連れて行かれた。聖女宮に戻るのだろう。


 彼女がこれからどうなるのかはわからない。

 このまま神殿で一生を過ごすのかもしれないし、魔法使いの《最愛》に選ばれて、どこか別のところに行くのかもしれない。


(でも伝えたいことは言えたし、もう大丈夫)


 もう泥はない。昨日よりも、すっきりとした気持ちになっていた。

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