第一章 大魔法使いの最愛⑪
◆
若草色のミサンガを受け取った時、アンリエッタはこう言ってくれた。
「わたくしたち、友だちになりましょう」
その時の言葉と、若草色のミサンガがこれまでの五年間、レベッカを支えてくれていたというのに――。
それが、すべて嘘だったとしたら?
◇
(神聖力を奪える《魔道具》って、どういうこと?)
アーニアール王国には、数多くの《魔道具》が存在している。
夜に街を照らす街灯や、暗闇の中に灯るランプ。遠くにいる人と会話することができる通信機。いざという時に自分の身を守ることのできるものや、火を熾すことのできるもの。
それらの《魔道具》は、マナを扱えない人間でも簡単に使えるように、設計されているものだった。
だけど、人の神聖力を奪える《魔道具》なんて、聞いたこともない。
アンリエッタもそうなのか、顔を青ざめさせながらも、首を振っている。
「……そんなはずありませんわ。それは、亡くなったおばあ様から頂いた物です。まさか《魔道具》だなんて。それも、人の神聖力を盗む?」
「はい。僕は大魔法使いですから、一目見たらその《魔道具》の性質を理解することができるんです」
「え?」
呆けた声を出すアンリエッタの涙は、もう引っ込んでいるようだった。
「ですからすぐにわかりましたよ。このミサンガは《魔道具》です。それも同じ形のミサンガをつけている者の、神聖力を奪える魔法がかかっているようですね」
同じミサンガをつけている者の神聖力を奪う。
それが本当だとすると、アンリエッタは――。
「ほ、ほんっとうに知らなかったのですわ! だって、そもそも人の神聖力を奪う《魔道具》があるなんて、知っているはずがありませんもの!」
「確かに、そんな《魔道具》が合法的に販売することはできないでしょう。ですが、世の中には大金欲しさに非合法な《魔道具》を作っている魔法使いもいるんですよ。そういう魔法使いはだいたい指名手配されていますけどね」
なんだろう。一瞬、テオドールの表情が変わったように見えた。
何か嫌なことを思い出したかのように歪んでいたけれど、いまは元の仮面のような笑みに戻っている。
「このミサンガの相方は、僕の《最愛》が持っていたようですね。そして僕の《最愛》は、十歳のある時から神聖力が減っていたと言っていました。レベッカさん、違いますか?」
「あ、そうです。……そういえば、そのミサンガを貰った後からだったような」
「あ、あなた何を言っているのかわかっているの!? 嘘を吐かないでちょうだい」
アンリエッタの矛先がレベッカに向いた。水晶のような水色の瞳でにらまれると、身が竦んでしまう。
もう五年も前のことだ。確かなことは覚えていないけれど、アンリエッタからミサンガを貰った時は、まだ一番の神聖力を持っていた。だけどそれからしばらくして、レベッカの神聖力は徐々に減っていった。
相互関係がどれだけあるのかはわからないけれど、期間は一致している。それに、ミサンガが切れた後に神聖力検査をしたらもとに戻っていたのだ。
(アンリエッタ様、なぜ……)
「――ところで、この《魔道具》はあなたの祖母から頂いたもので間違いありませんか?」
「ええ、そうよ」
ふいっとアンリエッタが視線を逸らす。
もしかしたら彼女の言っていた、祖母からもらった形見ということ自体が嘘なのかもしれない。
「そうですか。わかりました。それでは、後日シーウェル家を調べなければいけませね。非合法の――それも禁忌とされている、他人の神聖力を奪う《魔道具》を所持していたのですから、その流通経路を含めて調べなければいけないことはたくさんあります」
テオドールの言葉に、アンリエッタの顔がみるみる怒りで赤くなる。
「それは、シーウェル家に対する侮辱だわ。あなたの言っていることだって、すべてデタラメかもしれないのに」
「ええ、ですので、他の魔法使いたちにも調べてもらう必要があります。――それから」
テオドールの顔から一瞬笑みが消えた。
「あなたがいま仰ったことも、僕に対する侮辱ですよ。……僕は大魔法使いですから、魔法に関することでデタラメを口にすることはありません」
「……師匠は魔法脳ですからねぇー」
ぼそりとベンジャミンが口にすれば、テオドールの顔に笑みが戻った。
アンリエッタの肩が震えて、唇もわなないている。
すると、キッとにらみつけるような視線がレベッカに向けられた。
「全部、あなたのせいよっ!」
その言葉がレベッカに突き刺さる。
彼女が他人の神聖力を盗んだりなんてしていないことを信じたいのに、それはできなかった。
「わたくしは伯爵家の娘で、両親からも愛されて育ったの。それなのに神聖力検査で目立っていたのはあなただった。ただの平民で、そのうえ親のいない孤児だというのに。わたくしよりも目立つのは許せなかったのよ」
「……アンリエッタ様」
――『あなたたち、何をしているの? 平民でも孤児でも、聖女はみんな平等なのよ。いじめなんてはしたない真似、やめてくださる?』
そう言って救い出してくれたのに、その言葉すら嘘だったのだろうか。
「あなたのせいでわたくしはお父様に怒られたわ。平民に負けるなんてみっともないって――」
彼女の唇から吐き出される言葉は、まるで泥のようだった。
「だからわたくしは、お父様に言われた通りにあなたと仲良くなって、ミサンガを渡したわ。そうしたら、どう? すごいことが起こったのよ。わたくしの神聖力が増えて、逆にあなたの神聖力が減っていったの」
神聖力が多ければ位の高い魔法使いの最愛に選ばれる可能性がある。
貴族として相応しい相手を見つけろと、そう伯爵である父親に言われたらしい。
「神聖力を奪うためだけとはいえ、平民のあなたと一緒に過ごすのは気分が悪かったわ。メイドみたいな扱いをしてもヘラヘラしていて……。わたくしが内心馬鹿にしていたことも、知らないでしょう?」
いままでのアンリエッタとの思い出がガラガラと音を立てて崩れていく。
あの時手を差し伸べてくれたのも、それからの日々も……すべて偽りだったとしても、彼女と過ごした時間はとても大切なものだったのに。
それすら泥で塗りつぶされて、レベッカは俯くことしかできなくなる。
床に吸い寄せられる視線を引き挙げてくれたのは、テオドールが優しく握ってくれた手の温もりだった。
テオドールがレベッカの手を取りながらも、笑顔の仮面をアンリエッタに向けている。
「レベッカさんの神聖力を奪っていたのを、認めるのですね?」
「ええ、そうよ。でも、だからといってどうしたって言うのかしら? 《魔道具》を持ち込んだからと言って、貴族令嬢であり聖女であるわたくしをそう簡単に裁くことなんてできないと思うわ」
神官が静かに俯き、大きなため息を吐いている。
「まさか、人の神聖力を奪う《魔道具》があるなんて……。これは神殿内だけで対処できることではないでしょう。魔塔や王宮に判断を仰がなければ……」
「シーウェル伯爵家に調査が入って、非合法の《魔道具》を仕入れたという証拠が出てきたら、きっと身分剥奪も視野に入るでしょう。神聖力を盗むのも、それを知っていて使うのも犯罪ですから」
「……え?」
アンリエッタの顔が今度こそ本当に青ざめる。
「あなたは聖女ですから、大きな罪に問われることはないかもしれません。たとえどれだけ《聖女》が卑しい人間であったとしても、あなたを必要としている魔法使いもいるのですから。……でも、これまで通りの生活ができるとは思わないことです。なぜなら――」
テオドールの顔からまた笑みが消えた。
「あなたの浅はかな行動で、大魔法使いの命が脅かされたのですから」
魔法使いの魔力と聖女の神聖力の量は比例している。だから神聖力の少なかったレベッカは、テオドールの《最愛》探しの時に呼ばれることはなかった。それが彼の最愛探しを難航させてしまった。
運良くレベッカが犬を拾っていなければ、獣化したテオドールはそのまま人間に戻ることができずに、身も心も獣に堕ちてしまっていたかもしれない。
大魔法使いの消失は、王国にとっても損失だ。
だからアンリエッタとシーウェル家の企みは、より悪質な物として捉われることになるだろう。
――テオドールがそう告げる言葉には、重みがあった。
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