第一章 大魔法使いの最愛⑨


 応接室に入ると、すでに人は集まっていた。 

 テオドールにベンジャミン、それから静かな笑みを湛えている馴染みの神官だ。


「レベッカちゃん、ありがとう。テオドール様を元に戻してくれてっ! これでやっと、代わりの仕事から解放されるよ! ほんっとうに、ありがとう!」


 レベッカの顔を見た瞬間、立ち上がったベンジャミンが大げさに頭を下げた。涙を流して、天井を仰いでいるのはどうしてなのだろうか。

 握手を求められたので、握ったほうがいいのかと考えていると、テオドールの手が伸びてきた。そのままなぜかベンジャミンと握手をしている。


「ベンジャミン、僕が獣化している間、代わりに仕事をしていただきありがとうございます。――ですが、たったこれだけで弱音を吐くなんて、普段どれだけ怠けているのでしょうか。心苦しいですが、これから仕事の量を増やしたほうがいいかもしれませんね?」

「いやいや、テオドール様。俺だって、普段からあなたの補佐官として真面目に仕事していますよ? というかその笑顔マジで怖い、やめて」


 テオドールの笑顔が怖い? 少なくとも、レベッカの瞳には、穏やかな笑みに見える。朗らかな笑みを浮かべるベンジャミンは活気があってついこちらも笑顔を誘われるけれど、テオドールの笑みは穏やかで温かみを感じて落ちつくことができる。

 どちらも、性質は少し違うけれどとてもいい笑みだ。


 着席するように促されたので、ベンジャミンの向かいのソファーに腰かける。すると、なぜか横にテオドールが座った。神官はベンジャミンの背後に立っている。


「いやあ、それにしてもよかったですね、師匠。やっと、《最愛》が見つかったようで。やっぱり、俺の勘は当たっていたってことですよね?」

「はい。あなたのおかげで大事にならないで済みました。狼の姿になってしまうと魔法が使えませんので、自力で元に戻ることができませんから」


 獣化してしまったら、たとえ魔法が使えたとしても、人間に戻るどころか状況がさらに悪化するのではないだろうか。

 その疑問は、すぐに呆れた顔をしたベンジャミンにより解決した。


「いや、師匠。魔法を使ったら駄目なんですって」

「そうなんですか?」

「だって、魔法を使うためにはマナが必要ですよね? 俺たち魔法使いはマナの影響で獣化するんですから。獣化して魔法を使ったら、多分もう一生人間には戻れなくなりますよ」

「……それは困りますね。魔法が使えないと、生活できませんから」

「そーゆう問題?」

「だけどその点は、もう解決していますよ。なんといっても、僕の《最愛》は見つかったのですから」


 レベッカの存在を忘れたかのように、二人は会話を続けている。やはり師弟関係だから仲が良いのだろう。

 それにしても、テオドールの《最愛》はいつ見つかったのだろうか。


 ふと、ここ一カ月ほど聖女宮を賑わせていた噂があることを思い出した。


『大魔法使いのテオドール様が、《最愛》を探しているみたいよ』


 聖女たちにとって、階級の高い《魔法使い》――主に、王宮魔法使いや国を守る要である大魔法使いの《最愛》になることは、これからの人生の幸福が約束されるようなものだ。

 だから神聖力に自身がある聖女ほど、そのような人生に憧れる。レベッカのように神聖力が少ない聖女は、そんなこと望むことすらできないけれど。


 魔法使いの《最愛》に選ばれない聖女は、ほとんどがそのまま神殿で一生を終えることになる。

 おそらく自分もそうなるだろうと、少し前までのレベッカは思っていた。いまはシスターの言葉を思い出して、諦めないでがんばろうと思っているけれど。


(私も、魔法使いの《最愛》になりたいなぁ)


 そう考えていると、ふと手を包む温もりに気づいた。

 横を見ると、レベッカの手を包むようにして握っているテオドールの銀色の瞳と目が合う。 


「レベッカさん。よろしければ、正式に僕の《最愛》になってくださいませんか?」

「――へぇ?」


 呆けたような声を上げてしまう。

 事態がうまく飲み込めない。

 テオドール様の最愛? 私が?


 聞き間違いかもしれない。確かに聖女になったばかりの頃のレベッカは、世代の中でも一番の神聖力を有していた。

 だけどその力はも失われてしまったのだ。いまも毎日のように礼拝をして、神聖力を高める努力はしているけれど、とてもじゃないけれどいくら頑張っても大魔法使いであるテオドールの《最愛》になれるほどの神聖力が手に入るとは思えない。


「何かの間違いではないですか?」

「間違いではありませんよ。僕の《最愛》は、あなたです」

「でも、どうして私が……」

「レベッカさんは、《魔法使い》の魔力と《聖女》の神聖力が惹かれあうことをご存知ですか?」

「――はい。お互いに相性が合って、相性のない人同士だと、回復できないんですよね?」

「その通りです。特に魔法使いはそれに敏感で、近くに居るだけでも相手が自分の運命の相手――《最愛》かどうかがわかると言われています」


 魔力と神聖力には互いに相性がある。

 相性のない人同士だとマナの浄化はできないが、相性のある人同士だとマナを浄化することができる。

 だからいくら神聖力が多い聖女でも、相性のある人が現れるまでは神殿を出ることができない。

 《最愛》の存在は唯一と言われていて、過去には神聖力が多いにも関わらずに、一生を神殿で過ごした聖女もいたらしい。実際は、神聖力の多い聖女のほとんどは魔法使いの《最愛》になっているので、噂程度のようなものだけれど。


 だけど、ひとつだけ確かなことはある。

 魔法使いの魔力の量と、聖女の神聖力の量は比例する。

 魔法使いの魔力が多ければ、聖女の神聖力も多くなければ辻褄が合わないのだ。


「私が、テオドール様の《最愛》なわけがありません。私の神聖力はとても少ないのですから」


 テオドールの手から逃れようとするが、彼の手はビクともしなかった。


「そのことについては、あまり問題はありませんよ。……ベンジャミン、用意はできていますか?」

「はい、もちろんです。神官様、お願いします」


 静かな笑みの神官が、レベッカの近くまで来る。テオドールの手の温もりが離れて行く。


「では、始めさせていただきます」


 神官は手に水晶のようなものを持っていた。これは神聖力を図るためのもので、とても貴重な《魔道具》だ。レベッカも一年に一回ぐらいしか触れることはない。

 触れた人間の神聖力を測ることのできる《魔道具》は、その光の輝きで持ち主の神聖力を判別することが可能だった。

 十歳の頃は部屋中に溢れんばかりの光を放っていたのを懐かしく思い出す。


「ああ、その前に、レベッカさん。腕のミサンガ、そろそろ切れそうでしたよ」

「えっ」


 アンリエッタからもらった、大切なミサンガだ。それが切れそうなんて。

 袖をまくり上げると、切れたばかりのミサンガが床に落ちた。


「ミサンガが……」

「ミサンガは、切れると願いが叶うと言われています。だからきっと、これからいいことがありますよ」

「……はい」


 このミサンガはアンリエッタとの思い出のほかに、レベッカをこの五年間支えてくれていた大切な物だ。

 切れるのは寂しいけれど、ミサンガは切れると願いが叶うと言われている。


(ほんとうに、私の願いは叶うのかな)


「それでは、触れてください」


 神官の言葉に手を出す。その指先が、微かに震えていた。


「大丈夫ですよ。深呼吸してください」


 自分の神聖力だと、微かに光が滲む程度だろうか。それを見られてテオドールに幻滅されるのが嫌だと思ったので、彼の温かい声に少し震えが和らいだ。

 レベッカは水晶に触れた。思わずギュッと目を瞑ってしまう。


「おお、これは……!」

「すごいねぇ」


 神官とベンジャミンの感嘆する声の後、テオドールの穏やかな声が聞こえてくる。


「レベッカさん、目を開けてください」


 恐るおそる目を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。


 部屋の中を輝かせるほどの光を、《魔道具》が放っている。


「改めてこうして感じると、よくわかりますね。レベッカさん。やはりあなたが僕の《最愛》ですよ」

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