第一章 大魔法使いの最愛⑧

     ◇◆◇



 謎の霧とともに現れたのは、一人の美しい青年だった。

 月の光に輝くような長い銀髪。穏やかに微笑む銀色の瞳。

 そして、筋肉質とはいえないしなやかな男性の肢体――。


 思わずレベッカは小さな悲鳴を上げた。目が合った青年も悲鳴を上げた。


(う、うわぁ)


 目を被った手の隙間から青年を見つめる。青年は裸だった。

 霧のおかげでぼんやりとした見えていないけれど、初めて見る大人の男性の裸にレベッカはどうしていいのかわからずに困惑した。


 女性のような悲鳴を上げていた青年がなにやらブツブツ呟いている。その彼の周りがほのかに輝いたかと思うと、瞬きをした間に青年は服に着替えていた。

 恥ずかしそうに振り向いた青年が着ているのは、白いローブを基調とした王宮魔法使いの装いだ。

 魔法使いはローブの色や装飾によって実力が分けられているが、王宮魔法使いであるベンジャミンは白いローブに黄色い装飾を身に着けていた。

 けれど、目の前の青年は白いローブに銀の装飾で着飾っている。これは、たしか噂に聞く大魔法使いの――。


「も、申し訳ありません。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました……。その、なんとお詫びすればよろしいのか……っ」


 アタフタと忙しなく、青年が頭を下げる。


「い、いえ、き、気にしてないですよ」


 何とか声を絞り出す。

 突然の裸に――いや、知らない青年が部屋の中にいる状況に驚いたものの、その銀色にはなぜか見覚えがあった。

 レベッカは心を落ち着けながらも、問いかける。


「あの、どちらさまですか?」

「たびたびの失礼を申し訳ありません。僕は、テオドール・マクレイと申します」


 テオドール・マクレイ。

 聞いたことがあるような気がするが、思い出せない。

 彼は胸に手を当ててお辞儀をすると、言葉を続けた。


「大魔法使いを生業としています」



    ◇



(それにしても、テオが大魔法使いのテオドール様だったなんて)


 レベッカはこれまでのことを思い出していた。

 テオに食事を与えたり、散歩をしたり――。

 もしかして、とても不敬なことをしてしまったのではないだろうか。

 

 末端の聖女であるレベッカも、テオドールの存在は知っていた。

 マクレイ公爵家の次男であり、若干十八歳で《大魔法使い》の称号を手に入れた神童。


 魔法使いの中にも階級があり、特に王宮に務める魔法使いは実力者揃いとしてみんなから尊敬の念を抱かれている。

 そんな魔法使いの中でも更なる上位の存在であるのが、《大魔法使い》だ。

 《大魔法使い》は、王国に三人しかいない特別な称号でもある。


 その大魔法使いの一人であるテオドールが、まさかレベッカの部屋に現れるとは、想像したこともなかった。


 目を伏せると睫毛が長いことがわかる。男性だけれど、女性だと言われても納得してしまいそうなほど美しい容貌。その顔を拝めるだけで幸せで卒倒してしまう人が現れてもおかしくはないだろう。


 そんな彼が、まさかあの「テオ」だったなんて。

 どうやら《大魔法使い》テオドールは、魔法の使い過ぎにより獣化していたらしい。


「騙すような形になってしまって、申し訳ありません」


 確かに驚いたけれど、平謝りされるほどではない。

 それに一介の平民に、公爵家の次男にして大魔法使いが頭を下げるなど、あってはならないことだった。


「頭を上げてください。気にしていませんから」

「いえ、その……それでも、女性の部屋に無断で入ってしまいましたし……レベッカさんにはご迷惑をお掛けしてしまい」

「気にしてませんから! それに私がお世話をしていたのは、犬のテオでしたし」

「犬……」


 そう。あれはあくまでも犬だった。テオドールではなく、犬。

 そう考えれば考えるほど、あの偏食の食わず嫌いで、聖女に突進していくほどやんちゃな犬が、テオドールと同じ存在だと思えない。


「その、実は僕の獣化した姿は、犬ではないんです」

「え?」

「犬ではなく、狼なんです」

「狼!」


 驚くが、狼の姿を実際に見たことはないので比べようがない。


「狼です」

「狼、なんですね。犬じゃなかったんだ」


 完璧に犬扱いをしてしまっていた。


「それで、今後についてなのですが」


 テオドールの顔は少し深刻そうだった。


「あなたの置かれている状況は少しですが把握しています。それで、できれば詳しくお聞きしたいのですが……」


 獣化している間は、すべてではないけれどなんとなく周囲の状況がわかるそうだ。

 だから彼は、レベッカとアンリエッタのことも把握していた。

 テオドールの質問に、レベッカは淡々と答える。彼はその話を真剣な顔で聞いてくれた。


「最後ですが、ひとつ確認したいことがあります。その袖の下にある、ミサンガを見せてくれませんか?」


 アンリエッタから誰にも見せたらいけないと言われていたミサンガだ。

 少し躊躇ったものの、今回の窃盗騒ぎの件に関係しているかもしれない。

 見せるだけであれば――。


「わかりました」


 服の袖を捲り、若草色のミサンガを見せる。

 すると、テオドールの顔が険しくなった。

 すぐに穏やかな顔に戻ったものの、どこか悩んでいる素振りがある。


「ありがとうございます、レベッカさん。――明日、正式に訪問させていただきます」


 テオドールはそう言うと、丁寧に頭を下げた。


「それでは、今日はこれで失礼します」


 人差し指を軽く振ると、テオドールの姿は霧のように消えてしまった。



    ◇◆◇



 朝食を終えると、レベッカは神官い呼びだされて本殿にやってきていた。

 本殿に繋がる通路を歩ていると、前から一人の聖女が歩いてくる。その顔を見て、レベッカは思わず足を止めた。


「アンリエッタ様」


 袖の上から若草色のミサンガに触れる。

 アンリエッタは何か言いたげな顔でレベッカを一瞥したものの、そのまま通り過ぎていく。

 深呼吸をして、レベッカは目的の応接室に向かった。

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