第一章 大魔法使いの最愛⑦

    ◆◇◆



 テオドール・マクレイは、マクレイ公爵家の次男としてこの世に生を受けた。

 マナに対して適応力が高かったテオドールは、誰かに学んだわけでもないのに、幼い頃から魔法が使えた。

 見えている世界は常に光で溢れていて、マナの色まで判別できるほど、テオドールの能力は抜きんでていた。それにいち早く気づいた両親により五歳の頃に魔塔に預けられることになった。


 魔塔は、魔法を学び研究する機関だ。

 魔塔は所属できることだけでも名誉で、所属するだけで《魔法使い》は天才と呼ばれる。

 そこですくすく育ったテオドールは、若干十二歳にしてその才能を開花することになる。テオドールの才能はどんな魔法使いよりも高く、また若いことから特別視されていた。


 魔法使いを悩ませるマナ過敏症に対しても、テオドールは産まれた頃から免疫があった。いくら魔法を使っても獣化することなく、定期的に飲んでいるマナ過敏症を抑制する薬だけでどうにかなっていた。


 ――それが、油断だった。


 先月、あることから魔法を使いすぎた影響で獣化してしまったのだ。

 十二歳で《魔法使い》の称号を得てから約八年後、初めての獣化だった。


 初めての獣化は、ものの数分で終わった。傍にいたベンジャミンがマナ過敏症用の抑制剤を飲ませてくれたおかげで、すぐに人間に戻ることができたのだ。

 だけどそれはあくまで気休め程度だ。今後も獣化することを防ぐためには、早く《最愛》である聖女を見つけなければならない。


 王宮魔法使いの仕事は、主に王国の結界を維持するためだが、それ以外にも多くある。

 その仕事の合間を縫って、アーニアール王国各所の神殿にテオドールは足を運んで、神聖力の多い聖女を中心に面会を希望した。


 だけどいくら探しても、テオドールの《最愛》は見つからなかった。

 テオドールのひとつ年下のベンジャミンには、もうすでに《最愛》がいる。

 ベンジャミン曰く、目を合わせたり触れたりすればすぐにわかるらしい。他の魔法使いも同じようなことを言っていたので、それならすぐに見つけられるだろうと思っていたのだけれど……。


 なぜ、テオドールの《最愛》は見つからないのだろうか。


 テオドールは大いに悩んでいた。

 なるべく魔法を使わないように生活をしたくても、大魔法使いの任務に手を抜くことは許されない。大魔法使いになってからはまだ数年しか経っていないけれど、それでも大魔法使いの最大の任務である王国の結界に綻びを作るわけにはいかなかった。

 だから早く、《最愛》を見つけないといけないというのに。



 もっと早くに《最愛》の聖女を探していれば、見つかっただろうか。

 いままで大丈夫だったからと、これからも大丈夫だとは限らない。


 そんなことを考えていた矢先、ついにテオドールは限界を迎えた。

 この日は、王宮で結界の増強作業をしていた。

 その直後に、テオドールは魔法の使いすぎにより意識を失ってしまったのだ。


 《魔法使い》は獣化しても、しばらくの間は人間の意識を保つことができる。

 だけど周期的に獣化を繰り返すと、その意識は希薄になり、《最愛》の聖女の神聖力なくしては人間に戻ることが困難になる。

 そして、獣化したまま生活を続けると、いつしか人間の意思はなくなり、ただの獣となってしまうのだ。


 テオドールは暗い闇の中、微睡みながらも危機を感じていた。


「なんかテオドール様が、めちゃくちゃ小さくなったんですけど!」


 叫んだベンジャミンに、神殿に連れてこられたのは覚えている。

 でも、またすぐに意識を失ってしまった。

 そして再び意識を取り戻すと、テオドールは知らないところにいた。


 知らない人間に抱かれている。聖女の服装だ。

 だけど顔に見覚えがない。現在王都にいる聖女とはほとんど全員面会したと思ったのだけれど。彼女はいったい誰なのだろうか。

 そしてまた、すぐに意識を失った。


 これは人間の意識を失いそうなほど獣化したまま過ごした、魔法使いの知り合いから聞いた話なのだけれど。

 人間の意識を失った間も、獣の本能として動いていることがあるらしい。

 テオドールは獣化している間、人間の意識が浮上したり沈んだりを繰り返していることに気づいていた。獣の本能が支配している間は、何をしているのか知らないのだけれど。


 名前の知らない少女。茶色い髪に、平凡な見た目。

 彼女と一緒にいると、なぜか温かくて、心地よい気持ちになれる。

 もしかして――。

 そう考えようとしたけれど、獣化が進行してしまっている状態では、思考も容易ではない。


 そんな長い間、微睡みの中で過ごしていたテオドールの意識がはっきりするようになったのは、ある日の真夜中だ。

 目を覚ますと、少女の傍でテオドールは眠っていた。泣き腫らした顔をしている彼女のお腹の音が鳴ったことに気づき、テオドールは自分のエサ――としてベンジャミンが持ってきたビスケットに案内する。


 ビスケットは獣化する前から食べているものだった。普通の食事を好まないテオドールは、ビスケットやクッキーばかり食べていた。理由としては片手間に食べられるからだったのだけれど。

 それを見かねたベンジャミンから、よく栄養剤のポーションを渡されては嫌々飲んでいたこともある。


 ビスケットを食べた少女は、満足そうな顔になっている。それがまるで自分のことのように嬉しくなる。


(なぜでしょうね。彼女を見ていると、いままで感じたことのない気持ちが湧いてきます)なって


 もしかしたら人間の意識がはっきりするようになってきたからかもしれない。

 そろそろ人間に戻れるだろうか?


 彼女がどうして泣いているのかは気になるところだけれど、獣化している間は人間の言葉を話すことができない。何か悲しいことがあるのなら、耳を傾けてあげたいのに。

 もどかしく思いながらも、テオドールは彼女の傍で眠った。


 それから数日はもうすっかり人間の意識を保つことができていた。

 だから彼女の置かれている状況を、少しずつだが理解することができた。


 どうやら彼女は孤立しているらしい。

 獣化したテオドールをただの犬だと思って接しているからか、空が暗くなり夜が深まってくる時間になると、ひとり言のように愚痴をこぼしていた。

 人に話すための言葉ではないので要領が得ないところはあるものの、彼女の置かれている状況を理解するにつれて、テオドールは感じたことのない感情に頭の奥が燃えるように熱くなる。


(はやく人間に戻らないといけませんね)


 それに気になっていることもある。

 彼女の腕の辺りで光っているマナの光。

 袖に隠れていてよく見えないけれど、そこにあるものの正体。


(人間に戻ったら、やることが多そうです)


 そして、ついにその時はやってきた。


 ある朝目覚めると、いつもよりも体が軽かった。

 目線も高く、少女と目が合うと狼狽えた様子を見せた。

 テオドールは直感的に感じ取っていた。


 人間に戻れる。

 それが嬉しくて、キャラでもないのに部屋の中をぐるぐると走り回ってしまった。獣としての本能が影響しているのだろうか。もしかしたら尻尾もブンブン振っているのかもしれにない。


 獣化した身体が徐々に人間の姿を取り戻す。


 果たして、獣化してからどれだけの日数が過ぎているのだろうか。


 ――やっと、やっと人間に戻れた!


 鏡に映る自分の姿にさえ涙がこぼれてくる。

 久しぶりに目にする自分の姿が懐かしい。面倒で切っていなかった長い銀髪ですらも愛おしく感じる。

 人間の体最高!


 そんなふうに浮かれていたからだろうか。

 テオドールは気づいていなかった。


 《魔法使い》が獣化するのはその身体だけだということを。

 獣化している間は獣の姿だから問題にはならないものの、人の姿に戻ったらどうなるのか。それを、テオドールは意識していなかったのだ。


 いま自分が、産まれたままの姿だということを――。

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