第一章 大魔法使いの最愛⑥

    ◇



 アンリエッタとそのメイドが部屋の中に入ってきた時には、すでに嫌な予感がしていた。

 足元でテオが低く唸っている。ベンジャミンが人に懐かない犬と言っていたので、人見知りしているのかもしれない。


「アンリエッタ様、これを」


 メイドがアンリエッタに何かを差し出す。視界に映ったのは、水色の紐みたいな物。

 レベッカの全身から血の気が引いていく。


(あれは)


 袖越しに若草色のミサンガを軽く握る。アンリエッタから人前ではそのミサンガを見せてはいけないと言われていたのでここで出すことはできないけれど、メイドが引き出しの中から見つけ出したのはレベッカが身に着けているミサンガと似たものだった。

 水色の糸を結ばれたブレスレットタイプのミサンガで、レベッカの腕にあるのと同じように小さな石が付いている。


「そんな……」


 口を押さえたアンリエッタが、青ざめた目を向けてくる。


「まさか、あなたが盗んでいたなんて……。せっかく親友の証として、若草色をあげたのに、どうしてなの? しかも水色は私にとって大切な色なのに……!」

「ち、違います。私ではありません!」

「何が違うというの!? こうして、あなたの部屋から出てきたのよ」


 それでも違うのだ。

 レベッカはアンリエッタの部屋から、水色のミサンガなんて盗んでいない。

 そもそも今日までその存在自体知らなかったのに。


「よくよく考えると、最初から怪しかったものね」

「え?」

「わたくしは断ったのに、あなたはなぜかいつもわたくしの身支度を手伝おうとしたわ」

「それは恩返しをするためで……」


 いつも自分を助けてくれるアンリエッタのためにしていたことだ。


「毎日わたくしの部屋に来ていた理由が、こんなことのためだったなんて……」


 鋭い視線が突き刺さってくる。その瞳は他の聖女と同じように蔑みに満ちていた。


「しょせんは平民ということね。……悍ましい」


 彼女の口からそんな言葉を聞きたくなかった。

 いますぐ耳を塞いで逃げ出したい思いもあったけれど、そんなことをすれば罪を認めているものだ。


『――たとえ何があったとしても、諦めたらそこで終わりです。ですので、しつこく足掻いて縋りつきなさい』


 シスターの言葉を思い出す。

 いまここで諦めたら、アンリエッタを誤解させたままになってしまう。


 足元で唸っていたテオが心配そうに顔を見上げてくる。

 最近のテオは、前みたいに聖女たちに突進していくことはなく、大人しくレベッカの言うことを聞いてくれることが多くなっていた。


「……言い訳もしないのね。……もういいわ。レベッカ、明日からわたくしの部屋には来ないでちょうだい」

「アンリエッタ様、でも私は、本当にっ」

「今回のことは、ミサンガが無事に見つかったから大事にするつもりはないわ。いままであなたにお世話になったのは事実だものね。……だけど、もうあなたの顔は見たくないの。もうわたくしには話しかけないでちょうだい」


 彼女はレベッカを一瞥すると、


「信じていたのに……」


 そう呟きながら部屋から出て行ってしまった。

 最後まで厳しい表情だった。その目に見つめられて委縮してしまったからか、レベッカは自分の身の潔白を訴えることができなかった。


「……わんっ」


 足元でテオが吠える。吠え方がいつもよりも謙虚だったけれど。

 しゃがんでテオの体を抱きしめる。テオは前よりも大きくなっていた。


「私、どうしよう……」


 すすり泣くレベッカの腕の中、テオは抵抗することなくずっとおとなしかった。



 夕食を食べそびれたことに気づいたのは、自分のお腹の音が鳴った時だった。

 ぐーきゅるるる。

 虚しい音が静かな部屋に響き渡る。時計は夜中の零時を回っていた。

 お腹が空くはずだ。いまから食堂に行っても空いていないし、夜中は部屋の外に出ることが禁じられている。


 どうしようかなと泣き腫らした目でボーとしていると、くぅんとテオの鳴き声が聞こえてきた。

 レベッカの服の裾を噛み、引っ張ってくるので大人しくついて行く。

 銀色の犬が導く先にあったのは、彼がいつも食べているビスケットの袋だった。


「テオ、お腹空いたの?」


 不満そうに控えてめに吠えて、違うと伝えるように首を振っている。


(テオは、やっぱり人間の言葉を理解しているのかな。どうせなら、テオの言葉がわかればいいのに)


 テオはまだ服の裾を引っ張り続けている。

 なんとなく、レベッカは察することができた。


「もしかして、私に食べてと言っているの?」


 テオの頭が勢いよく上下する。

 犬用のビスケットだと思ったけれど、人間も食べられるんだ。


「ありがとう、テオ。もらうね」


 ビスケットの袋を開けて、一枚口の中に放り込む。柔らかくもサクッとした食感があって、ほんのりと甘みを感じた。


「美味しい」


 思わずもう一枚食べる。もう一枚、もう一枚と食べ続けると、袋の中身が無くなってしまった。


「あ、テオのご飯が」


 クッキーとポーションはまだ残っているけれど、これだけだとあと三日ぐらいしか持たないだろう。ベンジャミンがいつ来るかもわからないのに。


「ごめんね、テオ。明日厨房でなにか貰ってくるから」


 謝るレベッカに、テオは鼻を鳴らす。どこか呆れたような人間臭い様子に、ふふっと口から笑いが漏れた。


 その日の夜は、テオの温もりを感じながら、レベッカは眠りに落ちた。



    ◇◆◇



 平民出身の聖女であり、落ちこぼれだと蔑まれているレベッカが、アンリエッタの大切な物を盗んだという噂は、翌日にはすでに神殿内に広まっていた。

 他の聖女たちはもちろん、神官や神殿に務める小間使いたちの間でも囁かれているようで、レベッカに向けられる視線は前よりもさらに冷ややかなものになっていた。


 それでもレベッカは、テオに食事を与えて、散歩をした。

 散歩をするときのテオは、前みたいに聖女たちに突進していくことはなかったものの、レベッカに直接嫌味を言ってくる聖女たちに向かって低く唸っていた。その時に初めて、テオが聖女に飛びかかるのはレベッカの悪口を言っている時だったということに気づいたのだ。


 そのまま三日が過ぎて、神殿内の人々から向けられる視線が怖くて食事と散歩以外で部屋から出られないレベッカを心配したのか、テオは毎日のようにレベッカの横で寝てくれた。前は一緒の布団で眠っていたのに、ここ数日はなぜか遠慮しているようで、布団の中に入ってくれないのが少し寂しいのだけれど。


 そうしていつものようにテオよりも早く目を覚まし、テオを起こそうとしたレベッカは、思わず寝起きの目を擦った。瞬きを何回もして、目を閉じて、また開く。


「顔、洗ってこようかな」


 寝起きだからきっと見間違えているのだろう。

 顔を洗って再び部屋に戻ってきたレベッカは、起きた時と変わらない光景に、小さな声を上げる。


「て、テオが……大きくなってる!?」


 ここ三日間ほど、少しずつ大きくなっているような気はしていた。

 でも、一晩でさらに大きくなっている。しかもレベッカの身長よりもはるかに大きい。

 まるで幻の巨大な狼、フェンリルのような姿を見て、レベッカは混乱していた。


「べ、ベンジャミンさんに相談した方がいいよね」


 さすがにこの大きさは予想外だ。成長期という言葉だけでは足りないぐらい、テオは成長している。

 もしかしたらなにかの病気なのかもしれないと狼狽えていると、テオが目を覚ました。伸びをしてから、レベッカを見つけると近づいてくる。


「テオ、おはよう。それにしても、ずいぶんと大きくなったね」


 最初の頃は腕にすっぽりと収まるぐらい小さかったのに。


 レベッカの言葉に首を傾げていたテオは、ふいに何かに気づいたかのように部屋の中にある姿見に向かった。 

 それから「わんっ」と喜ぶように吠えた。

 すっかり浮かれたテオは、部屋の中をくるくる回り始める。


「え、テオどうしたの? もしかして、やっぱり病気?」


 突然のことに戸惑っていると、テオの姿がぼんやりと霞んでいく。


 そして、どこからか現れた謎の霧とともに現れたのは――。

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