第一章 大魔法使いの最愛③
朝食を終えると、次は散歩の時間だ。ベンジャミンからはなるべく散歩に連れ出すようにと頼まれている。
犬のはずなのに、最初こそ散歩を渋っていたテオだったけれど、数日もすれば慣れたのか自ら庭に飛び出ていくようになった。
――といっても、向かう先は別の聖女たちのところだったのだけれど
今日は大丈夫かなと庭を見渡したら、運が悪いことに午前中に礼拝を終わらせた聖女たちが庭でお茶会をしていた。
「そういえばあの落ちこぼれが、王宮魔法使いのベンジャミン様に呼ばれていたらしいですわ」
「本当ですか? ベンジャミン様といえば、大魔法使い様の弟子で次期大魔法使い候補の方ですよね?」
「もしかして、あの落ちこぼれさん、《最愛》に選ばれたのではありませんか?」
「それはないと思いますわ。ベンジャミン様の《最愛》はもういらっしゃいますし」
「それならなぜかしら」
「きっと姑息な手を使って、魔法使いの《最愛》なろうとしたのですわ。アンリエッタ様にされたように」
「アンリエッタ様も気の毒な方です。せっかく、当代一の神聖力を持っていらっしゃるのに」
「あんな寄生虫ごときに――って、きゃあ! なんなのですか、この犬!」
レベッカが頭を抱えた時にはもう遅かった。
聖女一行を見つけたテオは、一目散に聖女たちの許に飛びかかって行く。
机に乗ったテオは、聖女たちに攻撃を浴びせた。頭にずっつきを食らわせたり、顔面を両足で踏みつけたり。なんかもうしっちゃかめっちゃかな状態だ。
それでも噛みつかないだけましだろう。
(それにしても、姑息な手か……)
ふと、服の袖の下に隠しているミサンガに触れる。
ほとんどの聖女が、レベッカのことを落ちこぼれだの寄生虫だのと陰口を叩いているのは知っていた。
だけど、一人だけレベッカに好意的に接してくれる聖女がいた。
アンリエッタ・シーウェル。
シーウェル伯爵家の令嬢にも関わらず、初対面の時からレベッカに優しくしてくれている聖女で、いま神殿で暮らす聖女の中で一番の神聖力を持った筆頭聖女だ。
アンリエッタがいたから、レベッカはいまもこの神殿で聖女として暮らすことができている。
彼女は、神聖力が雀の涙ほどになってしまったレベッカに、それでも構わず手を差し伸べてくれた優しい人だから。
いくら自分のことを悪く言われたっていい。だけど、アンリエッタのことは別だ。彼女が貶されることだけは耐えられない。
「テオ、もうやめなさい!」
レベッカの一喝に、テオは聖女たちへの攻撃をやめると、どこかしょんぼりとした様子で戻ってきた。
聖女たちはテオの攻撃に慄いていたものの、レベッカをキッとにらみつけると口々に捲し立てた。
「犬に攻撃させるなんて、平民は野蛮ですのね!」
「神官様に報告させていただきますからね!」
「ごめんなさい。まだやんちゃ盛りの犬なので、きっと皆さんに遊んでほしかったんだと……って、テオ!」
謝ってなるべく穏便に済ませようと思ったのに、一度落ち着いたはずのテオが聖女たちに向かって行く。
聖女たちは悲鳴を上げると、
「落ちこぼれ」「神官様に」「アンリエッタ様が……!」
言葉を吐き捨てて逃げてしまった。いつも淑女然としている仮面が剥がれるのは少しおかしくて、つい顔がにやけてしまう。
コホンと咳をして表情を取り繕うと、テオと向かい合う。
レベッカと目が合ったテオは、耳をペタッとさせて、くぅんと悲しげな声を上げた。その上完全降伏をするかのように、地面に張り付いている。
注意をしようとしたのに、真ん丸な銀色の瞳を見つめていると、怒る気力も削がれてしまった。
ここ数日注意をするたびにこれだ。キラキラした瞳に見つめられると、かわいさにキュンとしてしまう。
だけど今日こそは、きちんと注意しなければ。
あの聖女たちはほとんどが貴族令嬢だ。だからこれ以上、テオが迷惑をかけるとテオは神殿から追いだされてしまうだろう。ベンジャミンは二週間ほどは戻れないと言っていたので、追いだされたら行くことが無くなって、また前みたいに泥にまみれた姿になってしまうかもしれない。
「いい、テオ。聖女たち――人間に飛びかかってはいけないんだよ。次同じ事したらおやつ抜きだからね! クッキーやビスケットの代わりに、ペットフード食べてもらうんだから!」
「く、くぅん」
まるで人間の言葉が通じているかのように、テオは狼狽えた様子をみせる。
足元にやってくると、許しを求めるように体を擦り付けてきた。
「反省をしたのならいいよ。そろそろ部屋に戻ろうね」
――それにしても、テオの体、また少し大きくなったような……?
◆◇◆
聖女になったばかりの頃。
レベッカは浮かれていた。平民で、なおかつ孤児の自分が当代一の神聖力を持った聖女だということが分かったのだ。
レベッカはそれを鼻にかけることはしなかった。なぜなら幼い頃から孤児院で面倒を見てくれているシスターに、油断は禁物ですよと口を酸っぱく言われていたからだ。
だからレベッカは立派な聖女になれるように朝の礼拝は欠かさなかったし、他の聖女にも優しくした。平民出身の聖女からは親しまれていたようにも思う。
だけど、貴族出身の聖女はそんなレベッカのことを快く思っていなかったらしい。
ある日、聖女宮の影に呼び出されて、口々に嫌味を言われた。
どうしてこんなことを言われないといけないのか、そんな虚しさを感じたのを覚えている。
それを救ってくれたのが、アンリエッタだった。
彼女は伯爵家の仲でも家格の高いシーウェル伯爵家の息女らしく、貴族出身の聖女の中でも一目置かれていた。
そんな彼女がレベッカの味方についたことにより、他の聖女から嫌味を言われることはなくなった。
そのうえ彼女は、宝物をレベッカに託してくれた。
若草色のミサンガ。彼女の亡くなった祖母が、アンリエッタのことを想い、編んでくれたものらしい。
「大切な物を本当に頂いてもよろしいのですか?」
「いいのよ。これは二つセットになっていてね、大切な友達同士が付けていると、ミサンガが切れた時に二人の願いが叶うと言われているの。だから、あなたにあげたいのよ」
「大切な友達」
「ええ、わたくしたち、友達になりましょう」
それは願ってもないことだった。
しかもアンリエッタは、レベッカの神聖力が少なくなっても変わらずに友達として接してくれている。
◇
「おはよう、レベッカ。今日もつけているかしら」
「もちろんです、アンリエッタ様」
「もう、わたくしたちは友だちでしょう? だからもっと砕けて喋ってちょうだい」
クスクス笑うアンリエッタは、レベッカの腕のミサンガを確認すると、ホッとした顔をした。祖母の形見であるミサンガが失われていないのことに安堵したのだろう。
「今日も手伝いに来てくれて、悪いわね」
「いえいえ、私がやりたくてやっているんですから、任せてください」
神殿には小間使いはいるが、令嬢の身の回りの世話をするメイドはいない。小間使いはあくまでも洗濯や掃除をするために存在している。
平民であれば身支度などは自分ひとりでできるけれど、貴族令嬢となるとそうはいかないだろう。だから貴族令嬢の多くは、家からメイドを一人だけ連れてい来ることが許されていた。
アンリエッタは現在の筆頭聖女であり、アーニアール王国伯爵家の息女だ。
聖女になったばかりの頃はぱっとしない神聖力しか持っていなかったが、礼拝に真摯に挑み、そのおかげでいまは筆頭聖女として、現在神殿に所属している聖女の頂点に立っている。
そんなアンリエッタは、筆頭聖女として一番目に礼拝をすることが決まっているから朝が早かった。
メイド一人だけだとどうしても時間が足りないので、レベッカは時間がある時は毎日のようにお手伝いに来ていた。恩人のためだから、自ら買って出たのだ。
「今日もありがとう、レベッカ。助かったわ」
「いえいえ、私たちは、その――友達ですから」
「……ありがとう。あなたには感謝しても足りないぐらいだわ」
「それはこちらの台詞です」
アンリエッタの身支度を手伝う代わりに、レベッカは彼女から文字の読み書きやお茶の仕方を教えてもらっていた。礼儀作法は不慣れだけれど、それらは確実に今後レベッカの役に立ってくれるだろう。
――神聖力をほとんど失った後、レベッカは聖女としての自分の存在価値が揺らいでいた。
そんなレベッカに真っ先に手を差し伸べてくれたのがアンリエッタだった。
『あなたに存在価値がないなんて思わないわ。だからもう友だちでいられないなんて、そんなこと言わないで頂戴。それに神聖力を完全に失ったわけではないのでしょう? 神聖力が回復するまで、わたくしの傍にいるといいわ』
彼女は神聖力がほとんどなくなったレベッカのことを色眼鏡で見たりしなかった。
他の聖女たちが陰で蔑んだことを口にしていたら、それを注意してくれたこともある。
アンリエッタには恩がある。
彼女を手伝うのは、当たり前のことだ。
(シスターにも言われていたもんね。恩はちゃんと返さなきゃいけないって)
挫けそうになったこともあったけれど、レベッカはアンリエッタに支えられていた。
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