第一章 大魔法使いの最愛④
◇◆◇
その日も、朝から神官に呼ばれて、レベッカは本殿の応接室に出向いていた。
そこには前よりも少し疲れた顔をしたベンジャミンがいた。
「テオはどう? 元気にしている……みたいだね」
テオは一目散にベンジャミンに向かって行くと、そのお腹にダイブした。テオを預かってから一週間も経っている。だから飼い主が恋しいんだろうなぁ、とレベッカは微笑ましく眺めていた。ベンジャミンからすると、一方的に攻撃を受けていただけなのだけれど。
「あの、もしかして用事はもう済んでしまったのですが?」
ベンジャミンが訪れたということは、テオとお別れしなければいけないのだろうか。
そうだとすると少し、いや、かなり寂しい。
そんなレベッカの心情を知ってか知らずか、前よりもやつれた顔をしながらも、変わらない朗らかな笑みを浮かべたベンジャミンが首を振る。
「いや、今日はテオの様子を見るために寄っただけなんだ。だからもう少しだけ、レベッカちゃんにテオのお世話を頼みたいんだ」
「ありがとうございます!」
まだテオと一緒に居られる。犬らしくない犬だけれど、それでもテオのお世話を続けることができるのは嬉しい。
「あ、そういえばテオのことなんですけど、少し気になることがあって」
テオはひとしきりベンジャミンにじゃれつくと、レベッカの許に戻ってきた。
ベンジャミンはさらに疲れた顔になりながらもこちらに視線を向ける。
「テオなんですけれど、成長期だったりしますか?」
「え?」
ベンジャミンの目が丸くなる。
「この間引き取った時よりも、大きくなっているような……いや、確実に大きくなっていると思うのですが」
最初に出会った頃は、腕にすっぽり収まる子犬サイズだった。
あれからまだ一週間しか経っていないのに、いまではすっかり成長して中型犬ぐらいの大きさになっている。毛のふわふわ感は前よりも増していて、顔をすりつけるのに最適だ。
だけどいくら何でも、成長のスピードが速すぎる。
犬ってこんなに早く成長するんだっけ? と首を傾げてしまうほどに。
「ああ、実はそうなんだよ。テオはいま絶賛成長期だから……その、もう少し大きくなるはずだよ」
「え、まだ大きくなるんですか?」
テオの犬種はいったい何だろうか。銀色の毛というだけでも珍しいのに、毛はふわふわとしていて……。思いつく犬種がない。
「うん。でも、建物内に入る大きさだから、その点は心配しないでね」
「え、建物内に?」
神殿の建物は、本殿も離宮も快適に暮らせるように広く作られている。
いったい、テオはどれだけ大きくなるんだろう。
「そうそう、これは追加のクッキーとビスケットだよ」
「ありがとうございます。……でも、これだと栄養が偏りませんか?」
「そう言うと思って、ポーションも用意しておいたんだ。これにはひと――犬の成長に良い栄養が入っていてね、一日ひと瓶だけで一日の栄養が摂れるんだよ」
「え! ポーションを頂いてもいいんですか!?」
「もちろん。テオにはこれが必要だと思うからさ」
「わあ、ありがとうございます。ベンジャミンさんはテオを大切にしているんですね」
「も、もちろん。なんていったって、テオは大切な師――家族だからさ!」
口ごもりながらも、ベンジャミンは温かみのある笑顔で答えた。
家族。
レベッカは、物心がついた時には街の孤児院で暮らしていた。
血の繋がりのある家族はいないけれど、孤児院の子供たちやシスターたちが家族の代わりだった。
(みんなは元気にやっているかな)
聖女として神殿に入ってしまえば、魔法使いの《最愛》に選ばれるまでは神殿の外に出ることはできない。だからもう五年も会えていない。
「レベッカちゃん、どうしたの?」
ベンジャミンの言葉で我に返る。
「すみません。実は私、孤児院出身なんです」
「孤児院というと、教会の?」
「はい。変わったシスターも居ましたが、みんな子供たちに良くしてくれて。私も、年下の子のお世話をしていたんですよ」
「そうなんだね。……会いに行きたい?」
会いたい。けど、神聖力の少ないレベッカが、魔法使いの《最愛》に選ばれるとは思えない。
きっと一生、落ちこぼれ聖女として神殿で暮らすことになるかもしれない。
「……会いたいけど、私は落ちこぼれですから」
「落ちこぼれね。……でも、レベッカちゃんはもともと神聖力が高かったんだろう? だったら、これからも可能性があると思うんだ」
確かに聖女になったばかりの頃は、誰よりも優れた神聖力を持っていた。
でもあれからもう五年が経っている。その間、いくら礼拝をしても、神聖力は戻ってこなかった。
同時期に神殿に入ってきた聖女の中には、もうすでに魔法使いの《最愛》に選ばれて神殿を出て行った人もいる。残っているのはレベッカとアンリエッタを含めて片手で数えられるぐらいだろう。
《最愛》に選ばれずに、ずっと神殿で一生を終える聖女も、少ないがいるらしい。
レベッカはきっとそうなるはずだ。
「くぅーん」
足元に温もりを感じて見下ろすと、テオの銀色の瞳がレベッカを見上げていた。
「レベッカちゃん。あまり気に病む必要はないよ」
ベンジャミンはやはり朗らかに微笑んでいる。
「きっと、そう遠くないうちに、レベッカちゃんの《最愛》は見つかると思うんだ」
「でも、私は……」
「だから、諦めないで」
「諦め……ッ」
不意に、シスターから言われた言葉を思い出した。
赤い髪のシスターは、あまりシスターらしくないシスターだったけれど、彼女の言葉にはいつも勇気づけられていた。
レベッカが聖女に選ばれたとき、他のみんなはレベッカよりもはしゃぎまわり喜んでくれた。
だけど赤い髪のシスターだけは違った。彼女はいつもよりも真剣な瞳をしていた。
『聖女は魔法使いのために存在している――と、世間は思っているでしょう。だけど、あなたはあなたなのです。――たとえ何があったとしても、諦めたらそこで終わりです。ですので、しつこく足掻いて縋りつきなさい。聖女として、ではなくあなた個人として、自分を強く持って生きていくのですよ』
(そうだ。諦めたらそこで終わりなんだ。シスター。ごめんなさい。忘れるところでした)
神聖力がないからと。《最愛》に選ばれないからと。
そこで諦めていたら、本当に何もできなくなる。
前を向いて、自分にできることをしていかなければいけない。
たとえば、いまのレベッカができることがあるとすれば、テオのお世話などがそうだろう。
(……あれ、そういえば、あの後シスターに言われた言葉があったような。確か、もし《最愛》に選ばれなかったら、その時は……だっけ。うーん。なんだったけ。よく思い出せないけど、いまはとりあえず)
「ベンジャミンさん。ありがとうござます。私、大切なことを忘れていたみたいです」
突然大きめの声を上げたレベッカに、ベンジャミンが目を丸くした。
「私、諦めません。たとえ《最愛》に選ばれなくても、自分にできることをしていきたいと思います。この神殿で」
「うん。その心意気だね。……でもきっと大丈夫だと思うな―。たぶん、というかきっと、レベッカちゃんの《最愛》は……」
「わんっ!!」
「うわぁ、びっくりした。テオ様――じゃなくって、テオ、どうしたんだい?」
吠え声を上げたテオが、ベンジャミに飛びかかる。
(テオは、ベンジャミンのことが好きなのね。やっぱり、家族だからかしら。私も――)
魔法使いの《最愛》に選ばれなくても、いつかお世話になった孤児院に行こう。そこで、シスターや皆に感謝の気持ちを伝えるんだ。
戻ってきたテオが、またレベッカの足にじゃれつく。
レベッカはしゃがむと、テオのふわふわで長い銀色の毛に、掌を吸い込ませるように撫でる。
「テオとも、このままずっと、一緒に暮らせたらいいのになぁ……って、すみません、ベンジャミンさんっ。テオは、ベンジャミンさんの家族なのに」
「いや、いんだよ。テオも、同じ気持ちのはずさ」
「え、それはどういう……」
問いかけたが、それよりも早くテオがレベッカの腕の中に飛び込んでくる。
初めて会った時より大きくなった体の温かさが、レベッカの力になってくれる気がした。
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