第11話 振り回された
広告で見慣れた誰でも知っている眼鏡チェーン店は、土曜の午後というタイミングも相まったのかかなり混雑していて達樹を少しばかりげんなりさせた。
事前に眼鏡を作るプロセスを調べ結構時間がかかりそうだと知ったからこそ、自分ひとりならこんなに混雑した店はまず敬遠すると思った。もっと言えば書きかけのメッセージがうっかり送信されていなかったらおそらく彼を、柊平を誘うこともなかった。だって待たせる時間ばかりで退屈させてしまう。
しかし半端なメッセージを受け取った彼から続きを迫られ、事情を告げたら楽しみだと、たっぷり時間をかけて選ぼうとまで言ってくれたので土曜日の午後にこうしてふたり待ち合わせするに至ったのだ。
さすがは居酒屋で店員を務めるだけあって面倒見の良い人だ。以前お節介だと自己紹介していたことも思い出し、損な性分なのではないかと余計な心配をしながら達樹はN駅までやって来た。
でも待ち合わせ場所で彼の笑顔を見たら、割と色々吹っ飛んだ。例えそれが性分なのだとしても自分のために時間を割いてくれたことが、こうして駅で自分を待ってくれていることが単純に嬉しくなってしまったのだ。
そして会うなり大変混雑するこのチェーン店に連れて来られたというわけである。達樹は一応自分でも調べて店をいくつかピックアップしてきたのだけれど、そんな意向を聞くこともなくこの混雑した店を選んだ彼には何か意図があるのだろうか。
「わあ、混んでるね!」
柊平が混雑さえ楽しむような感嘆の声を上げ、店内をぐるりと見渡してから奥へと進んでいくので達樹も後ろをついて行く。ずらりと並ぶ眼鏡のフレームはどれも同じように見えて到底選べる気がしないと達樹の腰が引けて来た頃、柊平がふいに足を止め振り返った。
「これだけ混んでると、色々試してても店員さんが寄って来ないよ」
そう言うとまるでこれから悪戯でもするかのように片目をつぶる。なるほど、意図を知って達樹は大きく頷いた。店の人に張り付かれるのは苦手なのでとてもありがたい作戦だ。
「で、どんなのが好みとかある?」
予想されていた問いを受け、昨夜オンラインショップを散々調べた挙げ句何ひとつ選べなかったことを思い出す。
髪は乱れてなければよくて、顔にはよだれがついてなければいい。服は綺麗に洗われていればいいし靴も汚れてなければいい。自分の外見にその程度の関心しかないのに眼鏡の好みがあったらむしろ驚きだ。どれでもいい気がするし、どれも似合わないような気もしている。
たまたま「ポチ」で話題に上ったから彼に選んでもらいたかった……いや、それすら口実で「ポチ」の外で彼に会いたかっただけ。ずいぶんいい加減な用事で誘ってしまった。
ふと、問いかけてきたその顔を見返す。彼はいつものようにシンプルかつ格好いい服装で、柔らかそうな髪は明るい色に染められていて、似合う眼鏡を掛けている。すれ違いざまに無遠慮な視線を投げかけてくる女性が時々いるような、適度なイケメンだ。こんな冴えない自分が一緒に歩いて、彼に恥ずかしい思いをさせてはいないだろうか。考えたことのない不安に苛まれて急に居た堪れなくなる。
目の前で柊平の顔がだんだん朱に染まり、しまいには目を逸らされてしまった。
「タツキくん、見過ぎ」
「あっ、すみません」
だいぶ凝視してしまっていたらしい。早く眼鏡の好みを答えなければ。時間をかけてしまった挙げ句、口から出たのはいつも思う言葉だった。会社のエレベーターで鏡に映る自分を見てチェックする、あれだ。
「ええと、公序良俗に反していないものがいいです」
柊平は横を向いたまま、ふうとひとつ息を吐いた。それから向き直り、苦笑する。
「それ好みとは言わないのでは?」
「……じゃあ、ないです」
「あははっ、いっそ清々しいね! なら僕がタツキくんに似合いそうなのを選んじゃっていいってことかなー……」
笑ってそう言う柊平の視線はすでに達樹でなく眼鏡に向いていた。ずらりと並ぶフレームを指で辿るように追い、ぴたりと止める。つまみあげたのは細く黒い縁の、四角いフレームだった。確かに彼もメグママも四角いフレームの方が似合うと言っていたなと思い出す。自分では分からないがきっとそうなのだろう。
選んでは顔の前に当てられまた選んでは掛けさせられて、八つめのフレームで漸く柊平の手が止まった。鏡を覗いてみたものの達樹には似合うかどうかもよく分からない。公序良俗に反していないことは確かだった。
「これカッコいいね。どう? もっとこういうのがいいとかある?」
「ないです」
「即答! まったく……」
柊平がまた苦笑いする。
鏡に映るのは眼鏡をかけた自分。それ以上の感想が浮かんでこないのだから仕方ないとは言え、さっきから何度となく彼の苦笑を誘っていることには達樹だって気がついている。何の主張も好みもなくただ服を着て出て来た自分が酷くみっともない人間に思えて来た。
とにかく八つめのフレームに文句はなかったので、それ以上達樹は何も言わなかった。彼は暫しこちらを見ていたが何を読み取ったのか、「よし」と頷き微笑むと手を伸ばし達樹の顔から眼鏡を外す。
「物色終わり。検査はすいてるお店でしてもらおう」
そして返事も聞かずに達樹の腕を掴むと店を出た。なるほど、そう言うことだったのか。理由を知ればこの上なくストレスの少ない方法に思えて達樹は感心しながら頷く。
掴まれた手首に意識が集中して気恥ずかしいものの悪い気はしない。柊平がスタスタ前を歩きながら言った。
「もうね、N駅周辺のことなら任せてよ」
「あ、はい、ついて行きます」
答えれば手首を掴む力が少しだけ増した。
◇◇
視力は両目とも〇・四、危うく次の運転免許更新が叶わなくなるところだった。眼鏡の度は弱い方ですが掛けると世界が変わりますよと店の人に言われ、そしてその言葉はすぐに立証される。テスト用の重い眼鏡を掛けさせられレンズを何枚か差し込まれた瞬間、見えていると思っていたものが実は雰囲気で見ていたものだったと知り愕然とした。すごい。景色に輪郭がある。
周囲を見てみてくださいと言われまずは柊平を探したのだが、いると思った所にいない。よく見ると店の外で誰かと電話をしている後ろ姿が目に入った。あんなに離れているのに風に靡く髪までハッキリ見える! 感動した達樹は、ふと振り向いた彼の横顔が殊の外深刻そうなことに今度はショックを受けた。
これほど距離を置いて彼を見るのも、電話をしている姿も初めてだ。その上あの表情。軽く手振りを添えて話す様子は差し詰め口論といった様相で、新鮮と言うより見てはいけないものを見たような気持ちにさせられ鼓動が異様に速くなってきた。
もちろん彼が四六時中笑ってばかりでいられないであろうことを頭では分かっている。それでもあんなに険しい表情を見せられると、こちらまで眉間に力が入ってしまう。何かあったのだろうか。
なす術なく見つめる先で柊平がこちらを向いた。しかし達樹を見るとふいと背を向けどこへともなく歩き出す。土曜の午後の人波に紛れていく様子がまるで達樹を避けたように思えて、再びショックを受けた。
こんなに誰かひとりの行動に一喜一憂させられることが今まであっただろうか。いちいち胸が痛い。
「お客様、如何でしょうか?」
店の人に声をかけられるまで達樹はその場に縛り付けられたように立ち尽くしていた。
◇◇
チェーン店で八つめに試したフレームがこの店にもあったのであっさり決まり、眼鏡作りは無事終了した。店を出ると辺りは昼間と呼ぶには弱い光に包まれていて、日の短さを感じさせる。冬至を控えた十二月最初の土曜日がもうすぐ暮れる。
とりあえずお茶でも飲もうということになり近くのカフェで向かい合った。ふたりの間にはミルクティーにコーヒーにプリンパフェにチーズケーキ……かなり賑やかなテーブルがある。
「タツキくんがプリン好きだなんて知らなかった。アイコンもプリンだったし」
柊平が頬杖を突いて、目を細める。その何気ない仕草に見惚れていた達樹は、意外な問いに目を瞬かせた。
シイタケ嫌いが強過ぎて偏食みたいに思われがちな達樹だが、実は案外何でも食べる。卵が結構好きかもしれない。所詮その程度の話で、メッセージアプリのアイコンがプリンなのは単なる偶然だった。たまたまSNSに上げるために撮ったプリンの写真があったからアイコンに採用しただけで、深い意味も拘りもない。
「いえ、アイコンはたまたまSNえ……す……」
けれどそれを言いかけたところで大変なことに気が付いた。達樹は自分のSNSをリアルの知り合いには教えていない。加えて、いつぞやに電車の中で倒れて来たパリピについて投稿したことを思い出したのだ。まだ彼が誰なのか認識していなかった時の話とは言え見られると気まずいから、SNSを覗かれたくない。
と思い言葉を切ったのだが、柊平がそれを聞き逃しているはずもなかった。
「えっ、SNSやってるの? 初耳、アカウント教えて!」
「や、その、」
「僕も教えるからさ、ほら、これ!」
差し出されたスマホには達樹と同じアプリの画面が映っている。万事休す。うっかりは自分の責任なので頷いて、互いのアカウントを交換することにした。パリピの投稿はもう二ヶ月以上前だ。遡って見ないことを……祈っても無駄なのだろう。だって自分も彼のSNSを覗いたら相当遡るに違いない。お互い様だ。たぶん。いや、困った。後で投稿を削除しておこう。
流れるように達樹の投稿を見始めた柊平を前に、達樹は焦る。パリピのところまで彼が辿り着く前に何か言わなくては。でもこんな時に気の利いた会話をするスキルがないから、何を言えば彼がスマホから注意を逸らしてくれるのか咄嗟に思い付かない。どうしようかと考えれば考えるほど一番気掛かりなあのことしか考えられなくなり、とうとう問い掛けた。
「さっきの電話は」
眼鏡の度を確かめていた時に見かけた、柊平の電話。口論をしているような険しい表情。そして達樹を見るなり背を向けた理由。達樹の心を存分に振り回した一連の行動を確かめたい。聞かずに済ませるつもりだった問いを、この際聞いてしまえと思ったのだけれど。
「ん? 何?」
柊平がまだ顔を上げずに画面をスクロールしているので達樹は尚更焦る。飾った言葉も見つからないからそのまま、ストレートに切り込むことしかできなかった。
「さっきの電話は誰だったんですか」
言葉にしてみるとひどく踏み込んだ、干渉するような質問だった。
聞くんじゃなかったと後悔し始める達樹の目を、漸く顔を上げた柊平がコンマ数秒見つめる。それから唐突に吹き出した。
「思い出した! あの眼鏡でこっちじっと見てるの反則だよね! 一瞬電話どころじゃなくなっちゃったよ」
「え? ……あ」
柊平の楽しそうな笑い声がカフェの喧騒に溶けていく。
あの時、達樹に気付いた彼がふいと背を向けたのはテスト用の変な眼鏡でじっと見ていたせいだったのか。避けられたのでなく笑ってしまうからだったのか。
そうと分かると妙にホッとして、つられるように笑いが込み上げて来た。確かにあの眼鏡はコメディタッチだったと思い出しながら。
「ふ、ふふ、すみませんでした」
「マジ勘弁してって思ったよ、あはははっ」
笑い出すと止まらない。普段笑うことがほぼなくて耐性がないのか、目の前にいる柊平があまりに楽しそうに笑うからなのか。一緒にいると楽しくて、笑うことが増えて心が凪いでいく。やっぱりこの人にはいつも笑っていて欲しいと勝手な願いを抱きながら達樹は笑い続けた。さっきのような険しい顔は似合わない。
ひとしきり笑った後、柊平がまた頬杖をついてこちらをじっと見つめる。そして眉を下げた。
「誰と話してたかは今は内緒。ごめんね」
「……はい。余計なこと聞いてすみませんでした」
スマホから注意を逸らさせたかったというだけの理由で、安易に人のプライバシーに踏み込み過ぎてしまった。きっと大きなお世話だと怒られても文句は言えない場面に違いなく、彼のやんわりとした言い回しにただ救われただけのことだ。こう言うところが人付き合いの難しさと言うか、自分の下手さだと常々思う。他の人が相手なら、ああもうめんどくさいと音を上げているところだ。
でも、ちょっとだけ、知りたかったとも思っている。彼のことは何だって知りたいのだから、その内何でも話してくれるようになればいい。
いつしか俯いていたようで、柊平の手が目の前でヒラヒラと振られていることに暫く気づけずにいた。達樹が顔を上げると彼が少し身を乗り出して微笑んでいる。
「おーい」
「あ、はい」
「言い忘れてたんだけど」
そう言うとヒラヒラ振っていた手をさらに伸ばし、指先で達樹の前髪を微かに揺らした。達樹の背中にゾクリと電流みたいな感触の何かが走る。見たことのない目をした柊平が、言葉を繋いだ。
「今日買った眼鏡、この髪型に合うと思うんだよね。会社用にセットしてるのもかっこいいけど、僕は前髪下りてる方が好きだな」
喉が詰まるような感覚を何と表現すればいいのだろう。彼の一挙手一投足に端から端まで吹き飛ばされては跳ね返るような、この感情は一体何なのだろう。ものすごく心臓がやかましいのは、何故なのだろう。
「そう……ですか」
知らない感情に振り回されて頭が働くはずもなく、達樹はやっとの思いでそう答えるとプリンパフェを黙々と食べ進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます