第9話 暴走

「あそこまで冷たい人だとは思いませんでした」グリューネローゼは急ぎ足で歩きながら、うつむいている。「命を狙われている相手だとはいえ、一緒に旅をしてる仲間なのに」

「あの人らしい、と言えばらしいけど。確かにちょっと期待外れね」ヴィオレッタは、肩に担いでいる十三年式村田銃をちらりと見た。「いくらなんでも、誘拐された未成年の女の子を放置するなんて」

 三日月の紋章が入ったカードの裏には簡単な地図と地名が書いてあった。しかし黒騎士が向かったのは、それとは別の方角だった。

 ――俺には関係ない

 黒騎士は、そう言って歩き始めた。

「私たちだけで救えるでしょうか」

「難しいでしょうね。でも、放ってはおけない」


 黒騎士はひとり、荒野こうやを歩いている。

 道しるべが見えた。このまま進めば次の町に着く。とりあえずの目的地だ。そこには新しい石板せきばんがあるかもしれない。

 左に分岐ぶんきする矢印がある。牧場を指している。すぐ近くのようだ。

 俺はまた、なにもしないのだろうか。黒騎士は自分の手を見た。かつてそこに抱きしめた者たちの温もりを探した。

 顔を上げた。一歩、前に踏み出した。


 土煙つちけむりをごうごうと巻き上げて、牛車ぎっしゃが爆走している。十二頭の牛たちは統率とうそつが取れていないが、パワーだけは有り余っていた。大編成のオーケストラが合唱団付きで丸ごと乗れるほどに巨大な木の荷車にぐるまを、軽々と引いている。二階よりも高さのある鋼鉄の車輪が、問答無用で荒野を踏みにじっていく。

「もう一回、言ってくれるか」

 凶暴にうごめく極太の筋肉をにじみ出る脂汗あぶらあせで光らせながら、巨体がしわがれた声をしぼり出した。聞く者すべてが身を震わせるような重い響きだ。禿頭とくとうの中央には、稲妻のごとく鋭く深い傷痕が走っている。これまでの人生を物語る多くのしわが刻まれた顔は、満月のように大きい。素肌に直接着ているそでなしの革ジャンが小さな布切れのようだ。

 荷台の中央に立てられたやぐらの上から、三人の女を見下ろしている。彼の椅子は大人が数人座れるほどに巨大だが、十分な大きさとは言えないかもしれない。

「サクラちゃんを解放してあげて欲しいの。まだ十六歳よ」

 ヴァイオレット・ブルーの瞳が真剣な眼差しで男を見上げている。

「私からもお願いします」

 緑のディアンドルのすそが、フリルと共に風に揺れている。

「その代わりに、おまえらが黒騎士をおびき寄せるエサになる、という話か」

 男はあごに手を当てて、なにかを考える仕草しぐさをした。

「めんどくさいじゃないですか、キャプテン」ニワトリのように甲高かんだかい声が聞こえた。妙にひょろ長くせた男だ。「三人ともまとめて、やっちまいましょうよ」

「そうはいかん。サクラは奴の親友の妹だ。助けに来る可能性はゼロじゃない。ガッロ[オンドリ]、まだ手出しするな」

「でも、あとのふたりはまったくの他人ですよ。そうなんだろ、お嬢さんたち」

「ええ、まあ」

「そう、だけど」

 ヴィオレッタとグリューネローゼは、困り顔でうつむいた。

 キャプテンと呼ばれた男はうなずいた。

「たしかに、あとから捕まえたふたりはじゃまなだけだ。だからな、ガッロ」

「ああ、はい。分かりました。了解です」

 三人の女のまわりに目つきの良くない男たちが集まり始めた。最初に手をかけられたのはサクラだ。

「なによ。なにする気」

「なにもしないよ、お嬢ちゃん」キャプテンが、やさしい声を出そうとして失敗した。「大事な人質だからな」

「やめ、やめなさいよ」

 サクラは屈強くっきょうな男にかかえられ、手足を振り回しながら連れて行かれた。

「よし、やれ」

 ガッロが命じると、残りの男たちは一斉にヴィオレッタとグリューネローゼに襲いかかろうとした。

「待て。おまえら、なにか忘れてないか」

 キャプテンが笑いながら両手を合わせた。

「よーしみんな、声をそろえろ」ガッロが音頭おんどを取った。「いただきます」

 いただきます。

 男たちは、我先われさきにとふたりの女にむしゃぶりついていった。ヴィオレッタとグリューネローゼの顔がくやしげに歪んだ。だが、人数差がありすぎる上に相手は荒くれた男たちだ。あらがえるはずもない。たちまち、あられもない姿にされた。もちろん、それだけですむとは思えなかった。ふたりは身を固くして覚悟を決めた。

「待て」

 声とともに荒れ果てた大地に爆音がとどろいた。大型バイクが右後ろから牛車ぎっしゃを追い越して前に出る。

「来てくれたんですね」

 グリューネローゼの明るい声が風に流れた。

「来るに決まってるでしょ」ブラウはウィンクしながら親指を立てた。「だって俺たち、騎兵隊だから」

 牛車ぎっしゃの左後ろからもサイドカーのロッソとジャッロが現れて、ブラウと並んだ。

 三色のスタジアムジャンパーにリーゼントの騎兵隊が、女たちを救いに駆けつけた。

「なんであの子たちが来るのよ」

 ヴィオレッタは眉を寄せた。

「私のしもべですから」

 花のような笑顔を広げて、グリューネローゼは騎兵隊に親指を立てて見せた。

 ブラウはニューナンブM60をホルスターから抜き、威嚇いかくのために天に向かって発射した。青空に乾いた破裂音が響いた。牛車ぎっしゃの一味は一瞬、身構みがまえたが、次の瞬間には手に手に銃を構えて、ブラウたちに狙いを定めた。

「おい、やばいんじゃないか」ロッソが顔をひきつらせた。「このあと、どうするんだ」

「どうしよう」

 ブラウは苦笑いしている。

 混乱したジャッロが腹を叩きながら高笑いした。

 一斉射撃が三人を襲う。バイクをバリバリ撃ち抜かれて、リーゼントの騎兵隊はあっけなく後方に転がっていった。

「ああ、やっぱり……あの子たちじゃ無理か」

 グリューネローゼは頭を抱えた。

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