第6話 外の世界

 昇っていく陽の光に照らされて、雪が溶け始めていた。

 あまり雨の多い地方ではない。からっ風がビルに挟まれた路地を駆け抜けて、3Dホログラムの看板を揺らしている。道端みちばた馬立うまたてつながれた馬が、黒騎士と目が合いそうになってあわてておけに鼻先を突っ込んだ。井戸の水をみに来たふたり連れの子供が溶け残った雪を蹴って遊んでいる。兄と妹だろうか。手をつなぎ、笑っている。

「店はどうした」

 黒騎士は中折れ帽を少しだけ持ち上げて、すぐうしろを歩いているグリューネローゼに声をかけた。緑色のディアンドルと白いエプロン、モスグリーンの靴はいつもどおりだが、カチューシャの代わりにチロルハットをかぶり、ピクニックのようなバスケットを持っている。背中には大きな風呂敷ふろしきだ。

「どうせお客さんなんてほとんど来ないから」

「パンと君が目当ての客がいるかもしれない」

 グリューネローゼは少し言いよどんだ。

「……お店のことはともかく、おじいちゃんが心配です。一昨日おととい転ばされたときの怪我けががもとで、霊園の隣にある大学病院に入院しました」

「付き添いをしなくていいのか」

「言われたんです。グリューネローゼ、生きなさい。自分の心が求めるままに。それが僕の望みでもある、と」

「それならなぜ、俺についてくる」

「私のパンを、おいしいと言ってくれました」

 町の出口はすぐそこだ。グリューネローゼは黒騎士の右斜めうしろを歩いている。その隣に足音が増えた。

「殺す」

「覚悟ができた。そういうことか、サクラ」

 制服の右肩に十三年式村田銃、左肩に弾帯をかついでいる。

「今の私ではあなたを倒せそうにない。でも、あなただって人間なら、いつかすきを見せるはず。そのときを狙うの」

「いい作戦だ。健闘を祈る」

 町の門にさしかかった。柱に紫色の影がもたれている。

「この町を出るの?」

 ヴィオレッタは麦わら帽子の下でうつむいたまま、声をかけた。

「もう、用はないからな」

「この町でなにをしていたの」

「なにもしていない」

「ここにはあなたの目当てのものはなかった、そういうことかしら」

 黒騎士は答えない。

「けっこう気に入ってたんだけどな、この町」

「それなら、好きなだけいればいい」

「そうはいかないの」

「どこへ行く」

「あなたの行くところへ」

「町の中は無法地帯だ。だが町の外はもっと危険だ。そして季節は厳しい」黒騎士は振り返らずに語りかけた。「分かっているのか、おまえたち」

「分かってる。どうやってここまで来たと思ってるの」サクラは両手を腰に当てて上半身を突き出した。黒騎士を睨みつける。「自動運転のドローンタクシー? 自家用ジェット? 自分の足で歩いてよ」

「サクラちゃん、すごいね」グリューネローゼは目を丸くしている。「私、町を出るのは初めて」

「ふたりとも、やめた方がいいんじゃないかしら」

「ヴィオレッタさん。確かに怖いけれど、私、決めたんです。黒騎士さんのために、一生パンを焼くと」

「なんだか奇妙な決意だね」

 両手を首のうしろで組んで、サクラが笑った。

「決意とは、それ自体が奇妙なものだ」

 黒騎士の声は、相変らず静かだ。

「立ち話もなんだし。とりあえず進まない? 日が暮れるの、早いわよ」

 柱から背中を離して、ヴィオレッタは歩き始めた。

「そうですね」

 グリューネローゼが続く。

「まあ、どっちみち野宿のじゅくだろうけどね」

 三人の女たちの背中を見つめてひとつ息をつきながら、黒騎士は町の外へ出た。

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