第4話 ありのままで

 黒騎士は土手に座って川面かわもを見つめている。水深さえ十分なら観光船が運航できるほど大きな川だ。波打つ水にギラギラと反射する太陽がまぶしい。

 河原へとくだる斜面には長細い草がびっしりと生えている。だがそれはすべて茶色く枯れて命の気配が抜けたまま、冷たい風にあおられてそよいでいた。

 子供たちが、白い息を吐きながら河原で野球ごっこをしている。無邪気な声が青い空に漂い、風に流されていく。

 ボールが足もとに飛んできた。硬式球だ。ずいぶん使い込まれている。赤い糸が所々切れて、傷の付いた部分には土が染み込んでいた。

「すいませーん」

 声がかかった。でも、黒騎士は動かない。

 ひとりの少年が斜面を駆け上がってきた。ボールに手を伸ばしながら、無愛想ぶあいそうな黒衣の男をちらりと見た。目が合った。凍りついたように動けなくなった。

「おーい、早くしろよ」

 黒騎士が目をそらすと、少年は魔法が解けたようにボールをつかみ、転びそうになりながら走り去った。

 ラベンダーの香りのする影がかたわらに立った。

「まだ用があるのか」

「用がなくてもそばにいたいのが、女なの」

「好きにすればいい」

 ヴィオレッタは空を見上げて目を細めた。

「いい天気ね」

「晴れのことをいい天気だなんて、誰が決めたんだ」

「農家は雨が降らないと困るし、雪がなければスキー場は営業できない。でも、多くの人にとっては、やっぱり晴れはいい天気よ」

「数の論理か。民主主義を標榜ひょうぼうする独裁者の考えそうなことだな」

「優れたいちと愚かな百。どちらが重いか、なんていう議論はしたくないわ」

「議論するまでもない。答えは簡単だ。どちらも軽い」

 風が吹いた。ヴィオレッタの髪を揺らして、紫色の気配に染まりながら通りすぎていった。

「ねえ、また夜を共にしてくれる?」

「分からない」

「正直ね」

「本当に思っていることを言うのが正直なら、この世界には嘘つきしかいない」

「絶望しているの?」

「絶望していない男がいるのか」

「絶望すらできない女なら知ってる」

 犬に引っ張られた中年男が息を切らせて通りすぎた。彼の身を包んでいるブランドもののスポーツウェアが、苦笑いするかのようにぴちぴちに腹に張り付いている。左手首に巻いたスマートウォッチをしきりに気にしているが、あまり意味があるとは思えない。

「俺になにを望む」

「なにも。そこまでおろかじゃないつもりよ」

「ならば、去れ」

「私にも都合があるとは考えないの」

「俺には関係ない」

 ヴィオレッタは遠くの山をぼんやりとながめた。そして、ひとり言のようにつぶやいた。

「ねえ、ここでしてみない」

「なにをだ」

「セックス」

「そんな趣味はない」

「野生動物は外でするわよ」

「おまえは野生動物なのか」

「人類だって、かつては野原や森で交尾していたんじゃないかしら。そこには他の人もいて、見られていたりもしたはずよ。それがいつの間にか秘め事になってしまった」

「原始への回帰が望みか」

「ある意味、そうかもしれない」

「だったら、全部、脱いでみろ。ここで」

 ヴィオレッタはなんのためらいも見せずに、着ているものをすべて枯草の上に落とした。抑揚よくようの利いたしなやかな造形を包み込む滑らかな肌が、白昼はくちゅうの土手にさらされた。野球をしていた少年たちは動きを止めて、呆然ぼうぜんと見ている。

「どんな気分だ」

「なにも。なにも感じない」

「それが答だ」

 ヴィオレッタは、青空に向かって笑った。心の底からしぼり出すように。

「風邪をひくぞ。さぶいぼが出てる」

「鳥肌のこと?」

「そうとも言うな」

「野生の頃も、裸でいたら風邪をひいたのかしら」

「ひいた奴もいるだろう。だから、そうならない工夫をした」

「寒さを防ぐために衣服は作られた。でも、隠されていて見えない、ということに新たな意味が生まれた。そのせいで、本来の姿を晒しただけで、へたをすれば大騒ぎになる。なんだかバカみたい。今の私こそが、ありのままなのにね」

「騒ぎになる前に、服を着るか俺の前から消えてくれ」

「あなたが脱げと言ったのよ。責任を取ってほしいわ」

「まだ昼前だぞ」

「親睦を深めるのに、時間は関係ないわ」

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