第3話 サクラ

 朝食はスクランブルエッグと温野菜おんやさい付きの焼き魚だった。それとヨーグルト。パンはお代わり自由。黒騎士は、納豆と梅干しをひとつずつ追加で注文した。ヴィオレッタはいつの間にかベッドから抜け出していた。

 グリューネローゼが食器を下げに来た。

珈琲コーヒーをお持ちしてもいいですか」

 たのむ。そう言って黒騎士は椅子の背もたれに体を預け、中折れ帽を深く目の上に引き下ろした。

「あの」

 珈琲を運んできたグリューネローゼが遠慮がちに声をかけた。

「なんだ」

「夕べは、ありがとうございました」

「なんの話だ」

「助けていただきました」

「助けたつもりはない。ゆっくり酒が飲みたかっただけだ」

「それでも私たちは助かりました」

 頬を染め、グリューネローゼは足早に立ち去ろうとした。

「待ってくれ」

「はい」

「さっきのパン。あれはどこで売ってるんだ」

「ああ、あれは、私が焼いたものです」

「そうなのか。うまかった」

「ありがとうございます」グリューネローゼは声を明るくして、思い切った様子で尋ねた。「……どうして黒い服を着てるんですか」

 黒騎士は目を閉じて、少しだけうつむいた。

「黒騎士だからだ」

「それは逆でしょう? 黒い服を着ているから黒騎士と呼ばれてるんじゃないんですか」

「これは俺の闇なんだ。闇はすべてを飲み込んでくれる。過去も、未来も……悲しみも」

「でもそれって、見えなくなるだけですよね。なくなったわけじゃない」

「そのとおりだ」黒騎士は席を立った。女性としては背の高い方であるグリューネローゼを見下ろす。「ごちそうさま。旨いパンだった」

 スウィングドアを押して外に出ると、 乾いた破裂音と共に、黒騎士の足もとに土煙つちけむりが舞い上がった。若い女がライフルを構えている。十三年式村田銃だ。専用の銃剣も装着されている。

 ツインテールにまとめた桜色の艶やかな髪の下から、しっとりとれたパステルピンクの瞳が覗いている。身を包んでいるのはお嬢さまがかようことで有名な私立高校の白い制服で、胸についている薄紅色の大きなリボンが特徴的だ。かかとを踏んだスニーカーは元は白かったはずなのに、土に汚れていた。顔には明らかな怒気と疲労が浮かんでいる。

「そんな骨董品こっとうひん》、どこで手に入れた」

 黒騎士は静かに問うた。

「おじいちゃんのコレクション。納屋なやほこりを被ってた」

「撃てるのか」

「今のを見てなかったの」

「そうじゃない。その銃は単発だ。次の弾は装填そうてんしたか」

 少女はあわてて制服のポケットから弾を取り出して押し込んだ。

「銃を抜け、黒騎士」

「なぜ」

「決闘だ」

「断る」

怖気おじけづいたか」

「おまえを殺す理由がない」

「お嬢ちゃん、よせ、かなうはずがない」

 酒場の老人が店から顔を出して少女に声をかけた。そのうしろから、グリューネローゼも覗いている。

「殺せばいいじゃない。どうせ私にはもう、なにも残っていないんだから」瞳が潤って揺れた。「あなたのせいで、兄さんは」

「俺はなにもしていない」

「そうよ。なにもしなかった。だから、あなたが殺したのと同じことでしょ」

「八つ当たりはやめてくれ」

「いいじゃない、それぐらい。私にできることは、他にないんだから」

「迷惑だ」

「でしょうね。だったら殺しなさいよ、私を。そうでなければ、あなたを殺す」

「無理だな。おまえに人は殺せない」

「分かってる。分かってるわよ、そんなこと」少女は、がくりと地に膝をつき、泣きくずれた。「私の名はサクラ。あなたを親友と呼んだ男の妹よ。忘れたわけじゃないでしょ」

「覚える必要のない名だ」

「あなたがどれだけ忘れても、何回でも思い出させてあげる」

 黒騎士は、サクラに背を向けて歩き始めた。

「俺は酒場の四階に宿を取っている。覚悟ができたら、いつでも来い」

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