第2話 ヴィオレッタ

「そのぐらいにしておけ」

「なんだ、おっさん。口がきけるのか。ぜんぜん動かないから等身大フィギュアかと思ったぜ」

 ブラウの言葉を聞いたロッソとジャッロは、下品な声で笑いながら黒騎士の方に顔を向けた。

 中折なかおれ帽をかぶり、三つぞろえスーツの肩にトレンチコートを羽織っている。一昔前のハードボイルドを彷彿ほうふつとさせるファッションだ。だが、それらは全て、闇を思わせるほどに黒い。ネクタイ、手袋、そして先の尖った革靴すらもだ。夜を引き寄せたかのように、なぜか黒騎士の周囲にだけ異様に薄暗さが漂っている。

「文句あんのか、おっさん」

 ロッソが床を踏みつけてすごんだ。

「そうじゃない」黒騎士は目を合わせずに、静かな声で答えた。「騒がしいと酒がまずくなる」

「もともとまずいんじゃないのか」ブラウはM60をなでながら、つまらなそうに言う。「こんなチンケな店が出す酒なんて、まともなわけがない」

 ジャッロが、世紀末を舞台にしたアニメの、ザコのような引きつり笑いをした。

「ここよりさらに西方にある、なだの造り酒屋からわざわざ仕入れられた逸品いっぴんだ。めったに飲めるものじゃない」

「よく分かったな」老人が驚いて黒騎士の方を見た。「そのとおりだ。年に数本しか入らないやつだ」

「ふん、知るかよ」

 ブラウのM60が火花を吐いた。黒騎士の手元でグラスが弾け、灘の銘酒めいしゅがカウンターに広がって床に垂れた。

 黒騎士が、ゆっくりと顔を上げた。青い瞳が無礼ぶれいな若者を見据みすえる。銃を持つブラウの手が震えた。

「な、なん……ですか」

 本能的な恐怖がそうさせるのだろうか。まるで野生の狼ににらまれた子犬のように、ブラウは落ち着きをなくしている。触れてはいけないものに手を出してしまった。そんな後悔が顔に浮かんでいる。仲間たちも同様だ。逃げ出す言い訳ときっかけを求めて、目を泳がせている。それほどまでに、黒騎士の視線は圧倒的だった。

「お隣、いいかしら」

 黒騎士のうしろに女の影が立った。

「席はいている。好きに座ればいい」

「つれない人ね」

 ブラウはこっそり銃をしまい、出口へと移動し始めた。

「ねえ、君たち」女が声をかけると、さっきまで威勢いせいの良かった若者たちは、びくんと肩を震わせた。「お友達にバイバイを言わなくていいの」

「友達じゃねえよ」

 ようやくそれだけを言って、若者たちは店から転がり出た。黒騎士は黙って割れたグラスを見つめている。女が隣に座った。

「ヴィオレッタ。みんな私をそう呼ぶわ」

 そう言って女は紫色の麦わら帽子をカウンターに置いた。ショートの髪も紫で、瞳はヴァイオレット・ブルーに輝いている。当然のように唇は紫に潤い、膝上丈のタイトなスカートスーツ、かかとの高いパンプス、ハンドポーチにいたるまで、すべてが紫だ。呼び名の由来はくまでもないだろう。

 三十歳は越えていないに違いない。肌艶はだつやはいいが、十代ということもなさそうだ。少女のような無邪気さと、人生に疲れた無気力を同時に感じさせた。

「あなたは?」

 ヴィオレッタが問うている横で、グリューネローゼと呼ばれた店員の女の子が割れたグラスを片付け、新しい酒を黒騎士の前に置いた。

「忘れた」

「自分の名前よ?」

「どこかに置いてきたようだ」

 塩をまけ、グリューネローゼ、と店主の老人が命じ、はあい、と彼女は応じた。

「女は嫌いなの?」

「嫌いじゃないさ。おしゃべりでなければ」

「嫌いなのね」

 ヴィオレッタは焼酎の水割りを注文した。

「俺になにか用か」

「用がなくても男に話を聞いてもらいたいのが、女なの」

「用がなければ口を開かない。それが男だ」

「つまらないのね」

「無意味なおしゃべりを聞かされる方が、よほどつまらない」

「それじゃあ、意味のあることを言うわ」グリューネローゼが持ってきた焼酎の水割りを一気に飲み干して、ヴィオレッタは黒騎士の肩に手を置いた。唇を耳元に寄せて静かにささやく。「私、今夜はひとりで眠りたくない気分なの」

「だったら起きていればいい。いずれ朝は来る」

「あなたにもね」

 黒騎士の眉がかすかに動いた。ヴィオレッタの言葉になにかを感じたかのように。そして、初めてヴィオレッタの方を見た。

「おまえ、俺が怖くないのか」

 ヴィオレッタは、自分で自分を抱きしめる仕草をした。

「ゾクゾクするわ。この感情のことを怖い、と呼ぶのなら、とんでもなく怖い」

 黒騎士の表情にはなんの変化もない。

「俺にかまうな。死ぬぞ」

「知ってる。あなたって、けっこうな有名人なのよ、黒騎士さん」

「それなら」

「ねえ」ヴィオレッタは黒騎士の唇に人差し指を押し当てた。「どうして黒騎士って呼ばれてるの」

「辞書を引け」

 ヴィオレッタは四つ折りスマートフォンを開き、AIアシスタントに音声で検索を命じた。

「なるほどね。つかえる主君がいない騎士は、盾に描くべき紋章がない。だから黒く塗っていた。そのため、黒騎士と呼ばれた、か。あなたは盾の代わりに自分を黒く塗りつぶしたのかしら」

 黒騎士は全身黒ずくめだ。

「好きに解釈すればいい」

「私のことはどう思う?」

「どう思って欲しいんだ」

 静かな笑みを口もとに広げ、ヴィオレッタは黒騎士を上目づかいに見つめた。

「謎の女」

「女はみんな謎だ」

「それじゃあ謎を解いてみない? 私を丸裸にして」

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