黒騎士

宙灯花

第1話 黒騎士

 板壁いたかべに叩きつけられた木の椅子が、粉々に砕けて飛び散った。

 だが黒騎士くろきしは、眉ひとつ動かさなかった。

 どこにでもある西部の町の酒場だ。正面に木製のカウンターがあり、その背後の棚には酒瓶さかびんが並んでいる。

 店内には丸い木のテーブルが三つと、それを囲む椅子がいくつか置いてある。椅子のひとつは破壊されて、その近くで店主の老人が倒れている。天井から吊り下げられた裸電球が、柔らかな光で店内を照らしていた。

 両開きのスウィングドアの向こうで、乾いた風が口笛のような音をたてている。巻き上がる土ぼこりと共に丸まった枯れ草が転がり、ときおり通りすぎる馬車のひづめの音が、うらぶれた町角の夜道にむなしく響いた。

 だが、実はここは、鉄筋コンクリート造りの四階建てビルの三階だ。

「いいから、酒を出せ」

 店主を突き飛ばし椅子を投げたのは、三人組の男たちだ。みな若い。ハイカットのスニーカーを履き、ブルージーンズにロック柄のTシャツを着ている。肩に羽織はおっているのは竜や虎が大きく刺繍ししゅうされたサテン生地のカラフルなスタジアムジャンパーで、髪はグリースでカチカチに固められたリーゼントだ。テーブルを囲んで座り、横倒しになった酒瓶をつまらなそうに見つめている。

 ウェストサイドのミュージカルを安っぽくしたようなちは、なにかの主張なのだろうか。腰に斜めに巻いた太い革ベルトにはホルスターがぶら下がっていて、銃把じゅうはがこれ見よがしににぶい光を反射している。

 店員はカウンターの前に立っている若い女の子だけだ。無垢むくな顔立ちをしているが、二十歳は越えているだろう。さらりと長い髪は爽やかな緑色だ。白いカチューシャがよく似合う。エメラルドグリーンの瞳が怯えたように揺れていた。

 ディアンドル、と呼ばれるチロル地方の民族衣装をまねたものだろうか、白いブラウスの上に胸もとの大きく開いたライムグリーンのワンピースを着ている。えりもと、そで、そしてスカートのすそに小さな白いフリルが並んでいて、腰に巻いた大きな白いエプロンと共に彼女を強く印象的づけていた。すらりと滑らかな肌をした素足に履いているのは、やや黄色みがかったモスグリーンのローファーだ。

「あんたら、飲むだけ飲んで払わないじゃないか」

 土ぼこりの浮いた木の床に転がっている老人が、必死にうったえた。

「カネが入ったら払ってやるよ」

 ブラウ[青]、と胸の所に刺繍ししゅうの入った青いジャンパーを着た男が、ねたように吐き捨てた。

「そう言いながら何週間経ったと思ってるんだ。それに、あんたらが来てから常連さんたちが寄りつかなくなってしまった。この町から出て行ってくれないか」

「なんだと」痩せて背の高い男が眉を寄せて立ち上がった。赤いジャンパーにはロッソ[赤]、と刺繍されている。「もっと痛い目をみたいようだな」

 黄色いジャンパーの男が、奇妙な笑い声をあげながらテーブルを蹴り倒した。大きく腹が出ている。刺繍はジャッロ[黄]だ。店員の女の子が目を閉じて首をすくめた。

「たのむよ、店の中で暴れないでくれ。他にも客はいるんだ」

「おっさんがカウンターにひとりで座ってるだけじゃないか」

 ロッソは黒騎士の方に一瞬だけ視線を流した。

「大事な店なんだ」

「うるせえ」

 ブラウは腰のホルスターからニューナンブM60を引き抜き、銃口を老人に向けた。

「グリューネローゼ、伏せなさい!」

 老人は店員の女の子に叫んだ。

「おじいちゃん……」

「お巡りさん用の威力の小さい銃だが、当たればそれなりのダメージはある」

「よく知ってるじゃないか、じいさん」ブラウが口もとを歪ませた。「本当はSAKURA M360Jが欲しいんだ。だから、酒に使う金がないんだよ」

「そんな、身勝手な。しかも、なんで賢者に昇格しょうかく中の中学生みたいな銃ばっかり欲しがるんだ」

「なにを言ってるのか分からないが」ブラウはM60に口づけした。「おまえ自身で確かめてみるか、コイツの素晴らしさを」

 男たちの口元に凶暴な笑みが浮かぶ。びた金属のこすれる音を立てながら、撃鉄げきてつがカチリ、と引き起こされた。非常に短い銃身の先端が、店主の老人に向けられた。そのとき。

「おい」

 黒騎士の低くおさえた声が、店内の空気を重く震わせた。

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