02-01
「ほら、コウタ。そろそろ起きな。朝だよ」
鈴の音を少し掠れさせたような声が、鼓膜を震わせた。
慣れない環境のせいか、はたまた非現実的な状況に興奮してしまっているためか、一睡もできなかった。
完全なる徹夜であるというのに不思議と眠気はない。
「おはようございます。ユウカさん」
「おう、おはよう。顔洗っておいで。洗面所はあっち。タオルは棚に置いてあるのを適当に使って。あと、ユウカで良い」
ユウカはせかせかと何やら荷物をまとめているようだ。右に左に歩き回って何かしらを持ってきては、応接セットの上に置かれた特大のボストンバッグに詰めている。
セリナの姿は見えない。
横になっていた小上がりの畳から、のそりと立ち上がる。
ほんのりとい草の香りが漂った。
つっかけのように踵を履き潰したローファーにつま先をねじ込み、ぱたぱたと洗面所に向かって歩を進める。
鏡に映ったのはゾンビの様に血色の悪い顔だった。
「セリナは?」
「…………家に帰ったよ。あとでまた来るとさ」
「なるほど。……ユウカさ、ユウカはどこかに行かれるんですか」
「ああ、依頼者のもとにな。コウタもだぞ」
「僕も?」
蛇口を捻り水を止め、濡れた顔をフェイスタオルで拭う。
歯磨きもできれば、と思ってきょろきょろ辺りを見回していたら、目の前に使い捨ての歯ブラシが差し出された。ユウカだ。
会釈してそれを取ろうとしたら、すんでのところでひょいと避けられた。
「人手がいるって言ったろ、昨日」
「それは覚えてますけど……早速ですね。正直、僕、霊障とは無縁だったのでお役に立てるか……」
嘘だ。
無縁ではなかった。特殊な職業の親がいたから。
けれど詳しくないのは事実だし、見えたことも触れたこともない。信じたいとも思ってなかった。
「心配するな。そっちの方面は端から期待していない」
「じゃあ一体何を」
「深く考える必要はない。実に単純明快。至極わかりやすいことだ」
ユウカはニッコリと笑って左手の親指で後方を示す。
パンパンに膨れ上がったボストンバッグがあった。
……なるほど。荷物持ちか。たしかにそれは人手が――特に男手があった方が良いな。実に分かりやすい。
「それくらいならお安い御用で」
「理解が早くて助かるよ。ありがとう」
ユウカは先程避けた使い捨て歯ブラシをこちらに差し出した。
戦いを制した力士のように手刀を切って受け取ると、ユウカはクスリと笑った。
袋を開け、小さな歯磨き粉のチューブを指で押しつぶし中身をひり出す。ミントの爽やかな香りが鼻腔を抜ける。
シャコシャコと歯ブラシを動かしながら、ぼーっと窓の外を見ると、通勤・通学の時間のためか、急ぎ足で駅の方面に向かう人達が沢山見えた。目の前に見えるのに不思議と喧騒はない。
気の済むまで歯と歯ブラシをいじめたあと、口をゆすいで、応接セットの前まで来た。
僕の初仕事が鎮座している。大きめのボストンバックだ。 試しに手で持ち上げてみると、想像よりもかなり重かった。
一度それをテーブルの上に置いて問う。
「随分と詰め込みましたね。何が入っているんですか」
「今回は泊まりになるだろうからな。着替えと……あとマジナイの道具」
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