01-02

 建物の隙間を縫う風が、その身を震わせて鳴いている。

 ごうごうと腹をすかせた獣のように、黒の代わりに声を出している。


 屋上の周囲を半周ばかり歩いたところで、目の前に人影が見えた。

 彼女――セリナだった。


「やぁ、コウタ君」


 鈴のように透き通った声。

 死と隣り合わせにいることなど忘れてしまいそうなほど、落ち着いた声だった。


「なぜここに?」


「そりゃあ、あんな連絡もらったらな」


「なんでもお見通しということか」


「親友だからな」


「……ボクは良い友人に恵まれたな」


「恵まれている、だろ」


「じきに過去形になるさ」


「そうはさせない」


 そんなこと、させてなるものか。

 セリナに飛びかかるように、地面を蹴った。


「いままで、ありがとう」


 僕の意図をあえて無下にするように、セリナは威勢よく屋上の縁から身を乗り出した。


 ――クソッ!

 

 考える間もなく、僕も飛び出していた。

 ギリギリまで伸ばした右手が彼女の腕を掴む。

 瞬間、ぐんと感じる重力。


 普段感じているはずなのに、普段より大きく感じる加速度に、身体は反射的に強張った。


 そして理解する。

 ――ああ、死ぬのか。

 熱くなる身体に反して、頭は厭に冷酷だった。


「どうして」


 透きとおった声。虫の声と混じって聞き取りにくい。

 天地を逆に身体は落ちる。


「死なせたくない」


「……馬鹿」


 馬鹿とはなんだ。いたって本気だ。

 彼女には、セリナには生きていてほしいのだ。

 できれば、落ちる前に止めたかった。

 けれど今更何を言っても仕方がない。


 ならば、僕ができることはこれしかない。


 セリナの身体を引き寄せ、抱きしめる。

 胸にセリナの頭をうずめ、腕でセリナの頭をかばう。

 この身体がどれほど落下の衝撃を吸収してくれるかわからないが、もうこれしかできることはないのだ。



 ――頼む。僕は死んでも構わない。けれど、セリナは助けてやってくれ!


 

 祈る神など居やしない。それが居たなら、僕の人生はきっともっとよかったはずだ。

 けれど思わず祈り、叫んでいた。

 いや祈りというよりは、自らへの誓いなのかもしれない。できうる限りこの身を挺して彼女を守るという誓い。


 セリナを抱きしめる腕に力がこもる。

 胸の中でもぞもぞと彼女は動き、そして呟いた。


「ふふふ。コウタ君。キミにこういう情熱的な面があったとはね。悪くない。それでこそボクの……」


 怪しく光る、友人の目。

 直後身体を襲う、弾けるような衝撃。

 続きは聞こえなかった。

 

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