01-03

 生温い風が額を撫でた。

 じっとりと汗ばむような暑さで、目を覚ます。

 視界には、星を散らした夜空。夏の大三角形がひときわ目立って見える。


「ここが……あの世か?」


 身体を起こして周りを見た。

 公園だ。飛び降りたビルの前の公園。その砂場の近くのベンチで、横になっていたようだ。


 とても、あの世には見えない。

 たしか、三途の川とかそんなのがあるのではなかったか。

 

 きょろきょろとあたりを見渡してみる。

 いくら注意深く見ても、ビルを昇る前に横目で流した公園にしか見えない。


 ふうむ。

 これは一体どういうことだ。


 あの高さから落ちたのだから、助かっているわけがない。

 確実に僕は死んだはずだ。

 だけど、とてもあの世らしきところには来ていないように思える。


 ならばここはどこなのだろう。

 考えられるのは、現世だけれど。

 たしか未練を残した霊魂のみが現世にとどまるとか、そんなのではなかったか。

 だとしたら僕が現世に残っているのはおかしいはず……。


 ――いや、まて。

 そんなことより、セリナはどうなった?

 僕と一緒にいないということは……助かったのか? だとしたら嬉しいが……。


 視界の端に、丸い小さな白い点が揺らめいて見えた。

 幽かに横に揺れながら徐々に大きくなる点。

 人魂か何かかと思ったが、違う。自転車の灯りだ。

 警官が乗っている。

 

「こんな遅い時間に何してるんだい。親御さんが心配するよ」


 警官はさも当然のように僕に話しかけてきた。

 ということは僕が見えているというわけで――つまり僕は霊魂の状態になったわけでもなんでもないわけで。


 ――ということは、僕は死んでいない?

 嘘だ! あの高さから落ちて無事なわけがあるものか!


「……僕に親はいません。事故で死にました」


「……ごめんね、つらいことを聞いてしまって。おじいちゃん、おばあちゃんとか、親戚の方は?」


「いません。祖父母も癌で最近立て続けに死にました。頼れる親族に心当たりはありません」


「そうか……それは、大変だったね。つらいことを聞いてごめん。教えてくれてありがとう。……よければ、私と一緒に交番に来てくれないかな? 公園で夜を明かすのは危ないと思うんだ」


 警官は憐れむような優しい口調で、問いかけた。

 心優しい提案のように見えるが、その実、これは補導だ。

 拒否できるような合理的な理由はない。

 走って逃げるのも手としてあるが、そうしたところで何になるのか。

 間違いなく死ぬ高さから落ちたはずなのに、死んでいないことが意味不明すぎて、身体を動かす気になれない。

 なんなら、交番でじっくり座ってこの不可解さについて考え込みたいくらいだ。


 警官の顔を見て首肯する。

 警官はにっと笑って、手を差し伸べてきた。

 妙に熱く感じたその手は、少し汗ばんでいて、大きかった。

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