第9話② 殺された心

 車に揺られて25分、男は住宅街まで車を走らせると、コインパーキングで下車し、歩いて住宅街を練り歩いていた。


 その数10メートル後ろに、司がつける。


 男がスマホを頻繁に確認しながら歩く様子が確認できる。


 「何見てるか見てきてくれ」


 【あいよ】


 猫童が宙を滑るように男の元へ向かった。


 【地図だな。ピンが刺してある。

  そこに向かってるんじゃないか?】


 猫童の読みが正しければ、次なる標的は決まっているようだ。


 男はしばらく歩くと、一軒の家の前で足を止めた。


 猫童が先んじて屋内の様子を確認しに向かう。


 【中には女1人だ。仏壇に遺影があるな。

  まだ若いのに、かわいそうに。】


 猫童がそう言うのと同時に、男が家の呼び鈴を鳴らす。


 「こんにちは、市役所から来ました。」


 その家の呼び鈴は古い型で、部屋の中から玄関先の映像が確認できるような物ではなかった。


 男の呼びかけに首を傾げながらも、女は玄関に向かった。


 「どちら様でしょうか?」


 「市役所から来ました。高木と言います。

  税金の未払いがあるようですので、確認していただきたいのですが。」


 女を誘い出す男の手には、麻袋が握られている。


 そうですか、と玄関を少し開けた時だった。


 スタートダッシュのピストルが鳴らされたかのように、ドアの隙間に腕を捻じ入れると、猫のようなしなやかさと猪のような勢いで、家の中へと押し入った。


 笑顔を繕っていた男の目は血走り、その体躯でもって悲鳴をあげかける女の口を押さえて制圧すると、顔に麻袋を被せた。


 「騒いだら殺すぞ」


 女の耳元で呟くのと同時に、女の着衣を軽々と破り捨て、乳房や女性器をミミズが這うように弄び始めた。


 女は口を押さえられたまま、全力を持って抵抗するが、なす術が無かった。


 男が自分のズボンを下ろし始めた時、司は猫童に指示を出した。


 「もうやってくれ。」


 【あいよ】


 指示を受けた猫童が男に触れると、それまで女の手に触れていた男の手は、自身の胸に当てられた。


 「ぐ…ゔ…」


 身体をくの字にして呻きながら女の体から離れると、反転して玄関を出ようとするが、足元はおぼつかず、柱に手をつき吐血した。


 女は何が起きたか理解できずその光景を眺めていたが、我に帰って家の奥へ逃げると、すぐさま警察に通報した。


 男は柱にもたれ掛かりながら、静かに身を沈めると、血反吐を吐きながらその場で絶命した。


 程なくして到着した警察が、男の死体を回収するのを遠くから見届けると、司はアパートへ戻った。


〜〜


 「もしもし、上神だ。

  こんな事で君の苦痛が消える事はないだろうが、君に苦痛を与えた人間は、もうこの世にはいない。」


 司は依頼人に仕事を達成した旨の連絡を入れると、タバコに火をつけた。


 【ラッキーだったな。

  もっと長期戦になると思ったぜ。】


 司の肩を握り拳で叩きながら、猫童が言う。


 ラッキーだった?


 本当にそれだけか?


 司の謎は深まるばかりであった。


 「あいつ、手袋してなかったな。」


 【それがどうした】


 人には、それぞれ固有の『癖』がある。


 風呂に入る前、どこから脱ぐのか。

 

 どの歯から磨き始めるのか。


 犯罪者も同じで、一度うまく行った方法を変更する事は滅多にないのだ。

 

 「犯罪者は自分の犯行手段を急に変える事はない。

  あれだけエスカレートした性犯罪者なら、前科があってもおかしくはない。」


 【何が言いたいんだ?】


 独り言のように言葉を発する司に、猫童が問いかける。


 「考えてみろ、警察が1ヶ月かけて見つけられない男を、俺たちは一週間足らずで見つけたんだ。それも原始的な方法でな。

  『オーラを視認することができる』ことを加味しても、都合が良すぎる。」


 「俺たちは坂崎にしてやられたのかもしれない。

  具体的には分からないが、そんな予感がする。」

  

 【でもどうせ、俺たちを捕まえる事はできないんだ。

  今日だって完璧な病死だよ。

  刑事だか何だか知らねぇが、どんとこいよ。】


 「それは分かってる。

  でも、なんか嫌な感じだ。」


 深刻な面持ちの司とは正反対に、猫童は相変わらず楽観的である。


 「もう少し上、もっと強くだ。」


 肩を叩かれながら、司は坂崎の顔を思い出す。


 嫌な気配に嫌な笑顔が脳裏にこびりついた。


 『坂崎、お前は何者なんだ。

  何が目的で俺に近づく。』


 吐き出したタバコの煙に、視界が覆われた。


〜〜


 県警本部6階、噂好きの刑事2人が、各々資料を抱えながら廊下を行く。


 「『麻袋連続強姦事件』の被疑者、死んだらしいな。」


 「聞いた聞いた。なんか犯行途中に血吐いてぶっ倒れたってな。

  クソ野郎に相応しい死に様だな。」


 「でもお前知ってるか?この被疑者、本当はもっと早くに逮捕する予定だったらしいぞ。」


 「まじ?なんで着手しなかったの?」


 「それが、『お偉いさん』から、ストップがかかってたとか何とか。」


 「『お偉いさん』って、どこの?」


 「それは知らねえ。

  でも、俺たちの知らないところで、なんかあるんじゃないか?」

 

 「何だそれ。締まんねぇな。」


 刑事2人は、緩い会話を繰り広げながら、ある部屋の前を通り過ぎて行く。


〜〜


 「犯行途中の突然死。これもやはり、上神の仕業だと?」


 「ええ、断言できます。」


 「しかし、完全な病死ですね。」


 「上神司、関係は明白だが、関係が皆無、不気味な野郎だ。」


 特別捜査本部の面々が顔を突き合わせて、熱く討論を繰り広げていた。


 「ですが野村課長のおかげで、上神と不審死の関係が完全に立証されましたな。」


 坂崎が1人だけ椅子に腰掛けている野村課長に顔を向ける。


 熱気が籠る小さな部屋の中、1人くたびれた表情を浮かべる野村課長が口を開く。


 「その捜査本部、刑事部長、本部長に至るまで、ワシが直談判しに行ったんだ。

  ここの捜査本部は肩身が狭い、お陰でワシは変人扱いだ。

  何とか説得して、次の被害者が出る前に片を付けると約束したが、これまでの被害者より軽度とはいえ、被害者を出しちまった。

  これからワシは挨拶回りだよ。ワシがいなくなっても、皆んなで元気にやっててくれ。」


 野村課長の瞳は、光を放つことをやめていた。


 野村秀樹、56歳。


 その警察人生のほとんどを刑事に捧げ、数々の逸話を残してきたベテラン刑事である。


 今回の件も、『上神と不審死の関係を追求したい』という事で、関係各所に頭を下げて回っていた。


 野村課長が言うなら、と何とか説得には成功したが、約束を果たせなかったことに、1人落胆していた。


 「そんなこと言わないでくださいよ。

  課長のお陰で上神と不審死の関係は明らかになった。

  この事実を知れば、他の連中も認めざるを得ません!」


 坂崎が強引に空気を押し上げる。


 「ですが問題は、因果関係の証明ですね。

  明らかに関連がありますが、それをどう証明するのか。」


 若手の岩井が冷静に提起する。


 確かに、上神と不審死との関係は、『偶然』では片付けられない。


 しかし、上神が人を殺している証拠は、何一つない。


 刑事達の次なる課題であった。


 「本当に呪いですね…」


 松井が呟くが、坂崎が割って入る。


 「そんなものを認めてしまえば、司法の敗北だ。

  絶対に突き止めるぞ。」


 こちらもベテラン刑事である坂崎の風格に気圧されながらも、課長以下5名は感化され、その団結を強めた。


〜〜

 

 【まだ考えてんのか?考えてもわかんねえ事は考えるんじゃねえよ】


 相変わらず腑に落ちない表情の司に対して、猫童が風船のように部屋を漂いながら言う。


 「どうも分からん。

  あの坂崎とか言う刑事、何かを掴んでる。

  今回の依頼は、俺たちを試すためだったんじゃないか?」


 依頼人からの電話のタイミングや、人探しに関しては素人の司達が容易に犯人を発見できた事。


 頭の中でイヤホンケーブルのように絡まる思考を、タバコの煙で吹き消す。


 「まあ、どうやっても俺たちを捕まえる事はできないんだ。

  俺は関係ない顔をして、いつも通りに過ごせばいい。」


 言い聞かせるような口調に、猫童も賛同する。


 【そうだぜ。

  確かにあの男は嫌なやつだが、絶対に超えられない壁があるんだ。

  気にすることは無い。早く飯を供えてくれないか?肩が疲れてるんだよ。】


 確かに腹が減っていた。


 座り込んでいた司は重い腰を上げると、冷蔵庫を開ける。


 『…買い出し行くか』

 

 【よし俺が行ってやろう。

  お前はここで休んでな。】


 「ダメだ、外に出たいだけだろ。」


 司の思考は、普段通りに戻っていた。


〜〜


 司と黒い影5つ、近づいても、遥かに遠い。


 両者は以前、相見えない。


 

 

 


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