第5話 致死量の友情

 あの喫茶店のあの席。司の対面に座っていたのは、若い男だった。


 21歳の大学生。


 整えられた髪型と、色彩バランスの取れた服装に、『今時の若者』という印象を受ける。


 若者は肩をすくめて、明らかに緊張した様子だった。


 「そんなに緊張しなくていい。

  で、仕事って?」


 司からの投げかけに、若者は大きく深呼吸すると、答えた。


 「僕を、殺して欲しいんです。」


 司を見つめるその眼差しは、真剣そのもので、弓矢のように鋭かった。


 「は?」


 一方で司は、目を見開き、柄にもなく情けない声をあげてしまった。


 が、咳払いをして気を取り直すと、


 「そりゃまた、なんで?

  親からもらった命なんだ、大切にしないと。」


 そう言うと司は、ストローからコーヒーを吸い上げる。


 司の明らかに前向きではない反応に、若者は食い下がる。


 「すみません!言葉足らずでした!

  最初から説明させてください。」


 相変わらずの真剣な眼差しで、大学生の若尾良平は説明を始めた。


 どうやら、小学校から大学まで連れ添った親友が心臓の大病を患っており、現在入院しているらしい。 


 友人は、大学に入学してしばらくすると体調が悪くなり、休みがちになった。


 そして、ある日突然倒れて病院に搬送された。


 入院してはや一年、度重なる手術や投薬治療、医師の努力も虚しく、病状は回復するどころか悪化の一途を辿り、持ってあと1ヶ月である、と宣告を受けているとのことだ。


 医者は、その親友に対して、もはや心臓移植しか施す方法がないと伝えていたが、心臓なんて、そう簡単には降ってはこない。


 そこで、自分の心臓を差し出し、親友を生き延びさせたいのだと言う。


 全て聞き終えた司は、ため息をついて考えた。


 「君が友達思いの、いい奴だってことはよくわかったよ。

  でも悪いが、この仕事は受けられない。」


 その返事を受けた若尾が、え、と一声漏らすなか、司は続ける。


 「病気っていうのはなあ、言ってしまえば、運命なんだよ。

  誰も悪くない。

  たとえば君が、風邪をひいてバイトを休んだとしよう。でも、君は誰からも責められる言われはない。なぜなら、病は人を選ばないからだ。

 今回は不幸にも、君の友人が選ばれてしまった。それだけなんだ。

 今君にできることは、毎日お見舞いに行って、彼の気を紛らわせてあげる事くらいだ。

 すまないが、理解してくれ。」


 「そんな…あんまりですよ…」


 あまりにも薄情な司に対して、若尾は声を振り絞る。

  

 「それに、それとこれとは、全然話が違います!」


 1週間程度で治る風邪と、命に関わる病とを一緒くたにされたことで、さすがに頭にきたらしい。



 激昂したかと思うと、今度は悲しげな表情に変わった。


 「あなたのことを紹介された時、もう、『あなたしかいない』って、直感したんです。

 どうかお願いですから…あいつを助けてやってください。お願いします、お願いします。」


 若尾は頭を下げ続けた。


 「俺のことは、薄弱なやつだと思ってくれて構わない。

  だが、理解してくれ。

  仕事を受けるか受けないかの決定権は俺にある。

  今回は、俺の主義に反する。」


 「君には君の人生がある。

  その人生を必死に生きるんだ。」


 そう言うと司は、代金を若尾に差し出すと、喫茶店を出て、屋外に設けられた喫煙所に向かった。


 【俺は知ってるぞ、あれは、『友情』ってやつだ】


 壁から首から上だけ出して、猫童が言う。


 そのおかっぱ頭も相まって、まるでキノコのようだ。


 「俺には、分からないな。」


 この季節の屋外喫煙所は、冷え込みが体に響く。


 1本吸い終えた司は、車に乗り込み、駐車場を後にした。


 【お前は嘘が下手だ】


 何もない空間から顔だけ出して笑みを浮かべる猫童を見ると、その顔面を掴んで、波紋の中へと押し込んだ。


〜〜


 喫茶店の奥、1人取り残された若尾は、嗚咽を漏らしながら袖で顔をぐちゃぐちゃに擦っていた。


 周りの客は、彼を嘲笑う。


 若尾は携帯電話を取り出すと、電話を掛け始めた。


 「今、あの人に会いました…

  でも、断られてしまいました…」


 「そうでしたか。それは残念でしたな。」


 電話の向こうの男は、何でも無い様に平然と受け応えた。

 

 「だからお願いです。あの人の家を教えてください。」


 「なぜですか?腹いせに、殺しにでも行くんですか?」


 笑みの混ざった声での返答。


 「違います…まだ諦めきれません。

  直接お願いに行きます。」


 しばらく無言が続いた後、電話口の男は承諾した。


 「いいでしょう。

  ただ、あの約束は必ず守るように。

  『私のことは、絶対に口外しない』

  できますね?」


 「はい、約束します。」


 若尾は冷静に、かつ力強く返事をした。


 「では、お伝えします。メモの準備を。

  それと、いいことを教えてあげましょう」


〜〜


 アパートに戻った司は、タバコに火をつけると、あの若者を思い出す。


 あれほど澄んだオーラを見たのは久しぶりだった。


 人間には、「霊気」と「オーラ」がある。


 霊気とは、生まれ持った霊力であり、霊感の強さなどに影響する。


 オーラとは、その者の生命力を表す指標になるもので、感情やストレスなどによって様々な色や形に変化する。


 嘘をつけば、霞んで歪む。


 しかし彼のオーラは、透き通るような水色を帯び、嘘のかけらも見られない。


 純粋そのものであった。


 なぜ、人のために自分の命を捧げるのか。


 人間も動物である。


 自分の生存を第一に考え、時には逃避し、脅威を排除する。

 

 「病気の身代わりになる」など、他のどの生命体を見ても、そんなことを考えるのは人間くらいだろう。


 ましてや親族でもない、他人の。


 司には理解できないでいた。

 

 いや、理解したくなかった。


 物心ついた時から、人の殺し方について教わり続けた。


 だが自分は、あの忌まわしい一族とは違う。


 司以外の上神家の人間ならば、今日の若者に対しても、それが殺しの依頼ともなれば「もちろん、いいですとも!」と快諾し、すぐさま式神を向かわせるだろう。


 そして、それで得た金で平然と飯を食い、生活を潤すのだ。


 人の命とはそれ程、軽薄なものではない。


 あの若者の話を聞いた時は、同情したし、感動した。だからこそ、あの若者の人生そのものも大切にしてほしかった。


 司は無闇に人を殺すことを嫌う。


 だからこそ、自分で信条を打ち立て、それを遵守してきた。


 殺すのは、社会にふさわしくないクソ野郎だけだと決めている。


 だから今まで請け負ってきた自殺の依頼も、自身の欲求を抑えることができない性犯罪者や、殺人事件を起こして警察から逃げ続けている指名手配犯など、それなりのクソ野郎達に限っていた。


 一族の奴らと同じにならないように…


 しかし、今回の件はどうだ。


 登場人物は善人と、不幸な青年だけ。


 これの依頼を受けることは、司自身の信条に反するのではないか。

 

 【当ててやろうか?お前は今、自分で勝手に決めたルールと良心の狭間で悩んでいる、だろ?】


 自信満々に猫童が姿を現した。


 図星を突かれた司は机に突っ伏して、思わず顔を埋める。


 「友情って、なんだろうな」


 【聞く相手を間違えてるぜ。

  俺も友達はいねえ。】


 【まあとりあえず、『俺とお前』みたいなのじゃないことは確かだな。】


 「いっそのこと、お前が死にかけてる友達を治したりできないのか?」


 【無理だね。

  俺の技は、簡単に言えば、殺し極振りだ。

  まあ、昔の知り合いに、傷を治したり、病気を治したりできる奴もいたが…】

 

 「じゃあ、そいつに頼んで-」


 【お前が殺した。】


 「あ、そうか」


 司は自暴自棄になりかけていた。


 自分はどうするべきか。


 「すまんが、今は1人にしてくれないか?」


 【あいよ。でも、それは叶いそうにないぜ?】


 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。


 ゆっくりと腰を上げて玄関まで辿り着いた司は、ドアスコープを覗いた。


 司は目を見開き、声を上げることもできなかった。


 ドア一枚を隔てた向こう側には、午前中に依頼を断ったはずの若者、若尾良平が立っており、相変わらずの鋭い眼差しで、ドアを睨みつけていた。


 司が一向に姿を表さないことに痺れを切らして、もう一度呼び鈴を鳴らす。


 「上神さん!お願いです!もう一度話を聞いてください!」


 このアパートには司の他に、2人の居住人がいる。


 騒ぎになるのはごめんだった。


 司は、沸々と湧き上がってくる怒りを感じると勢いよくドアを開け、「入れ」と唸るように促した。


 そして、若尾が部屋に立ち入った瞬間に、若尾の胸ぐらを掴んで壁に押し付けると、鬼の剣幕でまくし立てた。


 「おい、午前中で話は終わったはずだ!

  お前の依頼は受けない!

  そもそも、誰からここの住所を聞きやがった!?

  それについては話してもらうぞ!」


 「じゃあ、教える変わりに、僕のお願いを聞いて下さい!」


 「それとこれとは話が違えんだよ!」

 

 2人は感情をむき出しにして言い争った。


 しかし、今の司には考える時間が必要だった


 「もういい!とにかく帰ってくれ!

  今日は気分が悪いんだ!

  さもないと警察を呼ぶ。

  脅しじゃねえぞ!?」


 そう言いながら若尾の背中を力一杯に押して玄関に向かうと、外に放り出して鍵を閉めた。


 「今すぐ帰れ!逮捕されたいか?!」


 司はドア越しに叫ぶ。


 『絶対に諦めない…もう、時間が…』


 若尾は唇を血が滲むほど噛み締めると、渋々アパートから離れて行った。


 「クソッ!なんなんだあいつは!」


 司は、机に積み上げられた封書の山を鷲掴みにすると地面に叩きつけた。


 【まあまあ、落ち着けって】


 「落ち着いてられるか!

  誰から聞きやがったんだ!

  誰が俺のプライバシーをペラペラとしゃべってやがるんだ!」


 【近所迷惑だぜ?…】


 これほど怒りを露わにしている司の姿を、猫童も見たことがなかった。


 司はタバコに火をつけると、勢いよく煙を吹き出す。


 『一体、何がどうなってるんだ?

  俺は、どうすればいいんだ?』

 

 どれだけ煙を吐き出しても、司の胸の灰色がかったモヤは、溜まっていくばかりであった。


〜〜


 その夜は眠ることができなかったが、気分を紛らわせるために、朝の散歩に出ることにした。


 司の部屋は二階の角、玄関の鍵を閉めて階段を降りた時、司は思わず舌打ちしてしまった。


 そこには、若尾が立っていた。


 「上神さん、お願いです。

  もう一度話を…」


 「何度話しても同じだ。

  学生なら、もっと睡眠時間をとったほうがいいぞ。」


 ポケットに手を突っ込みながら、頭を下げる若尾の横を素通りした。


 司がアパートに戻った時も、若尾はまだそこにいた。


 【あいつも不憫だなあ】


  司は目を合わせることもなく、逃げるように部屋に入った。


 次の日も、その次の日も、若尾は司を待ち構え続けた。

 

 最近は、散歩に出ることさえ億劫になってた-


 そんな日が何日が続いたある日。


 

 それは、ある雨の日だった。


 車で買い物をして家に帰ると、アパートの階段に腰掛けている若尾の姿が目に入った。


 『またか…』


 司は意に返す事もなく、買い物袋を手に取ると階段に向かって歩き始めた。


 その途端、若尾は司の前に駆け寄ってきたかと思うと、勢いそのまま土下座をした。


 これには流石に、あっけに取られている司を無視して、若尾は叫んだ。


 「本当にお願いです!今日だけです!もう一度だけです!本当に今日だけ!お話しさせて下さい!お願いします!お願いします!」


 町一つに響き渡るのではないかと思うほどの声量に、通行人は足を止めて、近隣住民はカーテンを開いた。


 平穏な生活を望む司にとっては、由々しき事態だった。


 「おい!やめろ!勘違いされるだろ!

  分かったから、話だけ聞いてやる!

  だから取り敢えず顔を上げろ!」


 それの言葉を受けた若尾は勢いよく立ち上がると。


 「本当ですか?!ありがとうございます!」


と深く頭を下げた。


 司は嫌々、若尾を部屋にあげた。


 「タオルはそれを使え。

  シャワーも浴びていいが、風呂場は汚いぞ。」


 全身びしょ濡れの若尾に一応気を遣ってやるが、若尾はそれどころではない。


 「上神さん、ありがとうございます。

  本題なのですが…」


 話しかけた若尾を、司が牽制した。


 「待て、話は聞く。

  だから、俺の携帯番号と住所を漏らしてるやつについても教えろ。」


 「分かりました。」


 若尾は躊躇いなく答えた。


 それを確認した司は、右手を差し出して、若尾に話しをするように促した。


 「それが…この間話をした友人が、この2日間が山らしいんです。

  ここ最近意識が戻らず、もう長くないんです。

 だから、最後のお願いです。

 僕を殺して、アイツの心臓にならせて下さい!」


 若尾は、淡くて美しいオーラを全身から放ちながら、言い切った。


 司が問う。


 「どうしてそんなに、必死になるんだ?

  親族でもなければ、特別、命を救ってもらったとか、そういう事情があるわけでもない。

  たまたま同じ小学校になった。

  それだけで、なぜそんなに本気になる?」


 「それは、親友だからですよ!

  『たまたま小学校が同じになった』って、

  上神さんも前に言ってましたよね!『運命』って!

  それからずっと一緒で、あいつは、優しくて、友達も多くて、頭も良くて…俺なんかよりずっと、生きていく価値がある人間なんですよ…」


 若尾は、途中から涙を流し始めた。


 「まあ、『生きていく価値』なんてどの人間にとっても平等だ。

  それに、たとえお前が身代わりとして死んだとして、目が覚めた時、お前がこの世界にいなかったら友達はどう思う?」

  

 若尾は、顔をくしゃくしゃにしながらも声を振り絞る。


 「そんなの、わかりません…

  多分、悲しむと思います。

  正直言って、分かっているんです。

  こんなの自己満足だって。

  でも、僕は親友に死んで欲しくないんですよ!アイツには、教師になるっていう夢があるんです!中学生の頃からの!

  僕には何にもありません!ただ毎日繰り返し生きているだけです!」


 ひとしきり泣いた後、乱れた呼吸を落ち着かせると、若尾は真剣な眼差しで司の目を見据える。


 「生きるべきはアイツです。

  自分には、覚悟ができています。」


 受け止めた司は、静かに目を閉じて、口を開く。


 「分かった。一晩、考えさせてくれ。

  明日の朝までに連絡がなければ、そういう事だから諦めてくれ。

  理解したか?」


 若尾は小さく頷いた。


 「それじゃあ俺の番だ。

  俺の番号と住所、一体誰から聞いた?」


 司の鷹のように鋭い眼差しに怯む事なく、若尾は素直に答えた。


 「実は、『男』と言うことしか、わからないんです。

 向こうの番号は非通知だし、直接会ったことはありません。

 僕がお見舞いに行った帰り道、突然電話がかかってきて、『君の友達を助けられる人がいる』って紹介されたんです。

 本当は『このことは内緒にしろ』と言われていますが、僕の話を聞いて頂いたので、そのお返しです。」


 お返しと言われても、何も情報がない。


 だが、嘘は言っていないらしい。


 はぁ、とため息をついた司は立ち上がり、


 「もう帰れ。

  さっきの通り、連絡が来なかったら、そう言うことだ。」


と言いながら若尾を立たせると、玄関まで見送った。


 若尾が帰るとまずはタバコに火をつけて、何もないところを見つめる。


 その後、机に突っ伏して頭を埋め、悩む。


 あの青年の眼差しと熱意が、何度も頭の中で思い返される。


 死ぬ運命さだめにある青年と、身代わりになりたがる青年、どちらかが死に、どちらかが生きる。


 それだけの話なのに、司の胸には自身で掲げた、あの信条が引っ掛かっている。


 長時間びくともしない司に痺れを切らした猫童が、何もない空間からぬるっと姿を現した。


 猫童は腕組みをしながら、しばらく司を見つめていた。


 司は猫童を睨みつけ、凄む。


 「何だ?いつもの冷やかしなら、引っ込め」


 むかっとした表情を露わにした猫童は口を開く。


 【お前は自分の事を縛りつけすぎだ。

  もっと正直になったらどうなんだ?】

 

 司に反応はない。


 俺が思うに、と、猫童は続ける。


 【お前は、上神家あいつらと同じになりたくない。だから自分でルールを決めて、殺しの正当性を求めて来た。

 上神家あいつらには、それがないからな。

 殺せと言われればすぐに殺す。今日も、明日も、明後日も、まるでベルトコンベアーみたいにな。

 そうだ、アイツらは機械だ。

 でもお前は違うんだよ。人間だ。

 お前は自分のことを合理的で論理的な人間だと思っているようだが、それは大きな間違いだ。

 おまえは誰よりも情に厚い。理性派を演じてはいるが、結局この前のDVも、いじめられっ子も、頭より感情を優先していた。

 いいか?とにかく俺が言いたいのは、上神家あいつらとお前は、全然違うってことだ。

 手段じゃない、ルールでもない、心だよ。

 100年間以上あの家で使えた俺から言わせても、アイツらは、ボットン便所の1番下みたいな奴らだよ。人の命を金としか見てない。

 でも、お前は違う。

 命を命として扱ってる。

 その時点で、お前は、あのカス共とは根本的に、全く違うんだよ】


 珍しく感情的な猫童の熱弁に、司は俯きながら耳を傾ける。

 

 【つまりは、なんだ…

  俺は、お前に使える者として『自分が正しいと思うこと』をして欲しいと思ってるんだよ

……

 ちょっと感情的になって支離滅裂だったかもだが、言いたいことは全部言ったからな。20年以上お前を見てきた俺が言うんだ、信憑性はあるぞ。だけどあとは、お前が決めな。】

  

 そう言うと猫童は、背中からもたれ掛かるように空間の中へと去って行った。


 『お前は上神家あいつらとは違う』


 『死ぬべきは僕です』


 『手段じゃない、ルールでもない』


 『覚悟はできてます』


 『心だ』


 『自分が正しいと思ったことを』


 若尾と猫童の顔が、頭の中で出たり消えたりをくり返す。


 

 自分が正しいと思うこと。


〜〜


 どれくらい経っただろうか。


 何本目かのタバコを灰皿に押し付けるとともに、天を仰ぐ。


 「出てきてくれ。」


 【分かるぞ、決まったんだな】


 「ああ、決めたよ。

  な。」


 そう言うと司は携帯を手に取る。


〜〜


 夜通し起きていた若尾は、すぐに電話に出た。

 

 「かけて来てくださったと言うことは、そう言うことですよね!」


 深夜にも関わらず、大声を上げる若尾に対して、司は冷静に言う。


 「そうだ、これからは仕事の話だ。」


 若尾は、居ても立っても居られないと言って、大粒の雨に叩きつけられながら、司のアパートまで自転車を走らせた。


 またしてもびしょ濡れの若尾を対面に座らせると、いつものように、冷静に、現実的な話をする。


 「今回はお前が死ぬから、前払いだ。いくら払える?。」


 それを聞くや否や、若尾は懐から分厚く膨らんでいる封筒を取り出す。


 「念を入れて、引き落としておきました。

  少ないですが、40万円程度、僕の全財産です。

  どうせ死ぬんですから、全額持っていって下さい。」


 若尾は司に封筒を握らせると、司はそれを机の上に置いた。


 「次は、死に方と時間だ。

  希望はあるか?」

 

 「はい!明日の朝、7:15でお願いします。

  死因ですけど、僕思ったんです。どうせ死ぬなら、より多くの人の役に立ちたい。

  内臓をなるべく傷つけずに殺してもらえますか?」


 【容易い】


 「可能だ」


 その返答に、若尾は胸を撫で下ろした。


 「これで契約は成立だ、今日は帰って明日に備えろ。」


 司は若尾を見送ると、自身もベットに飛び込み、泥のように寝た。


〜〜


 翌朝、短針はすでに7を超えた。

 

 時計を見ると、7:10分。


 若尾は、[関係者以外立ち入り禁止]と掲げられた、病院関係者専用駐車場の陰で身を潜めながら、その車を待った。


 『早くしてくれ…いつもはこのくらいだろう』


 来た!


 駐車場に入って来た白い軽自動車は、若尾の親友の主治医だった。


 医者はスムーズに車を止めると、荷物を取り出して建物に向かった。


 突然、医者の前に飛び出した若尾は、絶叫した。


 「先生ぇ!」


 あまりの驚きに足を止め、口をあんぐりと開ける医者を他所目に、若尾は続けた。


 「ゆうたろうのこと!今日手術して下さいと言ったら、できますか?」


 突然の問いかけに、医者は戸惑うも、


 「君、何言ってるんだ、そもそもここは関係者以外は…」


 「念の為、意思証明書も準備して来ました!自分の体の中身!好きに使って下さい!それで人が助かるのなら!」


 長針が、15を指す。


 突如、若尾の視界が霞んだかと思うと、足がふらつき、医者の方へ倒れ込んだ。


 「おい!どうした!大丈夫か!」


 薄れゆく意識の中で、若尾は弱々しく医者の服の袖を掴む。


 「先生…俺の覚悟です。

  無駄にしないでください…」 


 そう言うと若尾は、医者に自身の質量を預けるだけとなった。


 この若者の覚悟をしかと受け止めた医者もまた、覚悟を決めた。


 すぐさまストレッチャーと看護師、医師を呼ぶと、若尾を手術室へ運ぶ。


 「高木さん!ゆうたろうくんを、手術室へ!」


 一瞬驚いた表情を見せた看護師だったが、全てを察すると、若尾の親友、ゆうたろうくんの病室へ走る。


 若尾の命は親愛なる親友に引き継がれることとなったのだ。


〜〜


 その夜、街を見下ろせる公園のベンチに腰掛けていた司は、コーヒー缶を両手で包みながら、夜景を眺めていた。


 「ネコ助?」


 司は、優しい声で呼びかける。


 【んお?そんな呼ばれ方をしたのは何十年ぶりかな?】


 ネコ助とは、まだ幼かった司が、猫童につけたあだ名である。


 猫童を呼び出した後も、しばらくの間、司は何も言わず街の明かりを見下ろしていた。

 

 猫童もそれに倣い、ベンチにちょこんと腰掛けると、同じように夜景を一望する。


 静寂が公園を包み、その真ん中には1人と1匹。


 突然、独り言のように、司が話し始めた。


 「正直、今回はかなり助かったよ。

  俺1人じゃどうすればいいかわからなかった。

  これまでの事や今後の事、よく考えることができた。

  少し、殻を破れた気がするよ。」


 司はコーヒー缶見つめて、左右の掌に持ち変えながら言った。


 猫童は黙って耳を傾ける。


 踏ん切りがついた司は隣にいる相棒に顔を向けると、思い切った声で、


 「ありがとな」


と感謝を述べた。


 【俺は、何もしてねえよ。

  とにかく覚えておけ、もうお前は上神家あいつらの呪いから解放されてるんだ】


 そう言いつつも照れ隠しか、すぐに波紋とともに姿を消してしまった。


 司はベンチから腰を上げると、アパートまでの道のりを歩いた。


 頭上には満開の星空が広がっている。


 司はゆっくりと足を進め、アパートに着く。


 玄関を開けてまず目に入ったのは、例の封筒。


 中には、40万円が納められている。


 それは机の上に、静かに、哀愁を纏って置かれていた。


 翌日、司は県の難病患者支援センターに、匿名で全額寄付した。


 【やっぱり、俺はお前のそう言うところ、嫌いじゃないぜ】


 その様子を、頭の上で腕を組みながら見ていた猫童が、司には聞こえないように、心の中でつぶやいた。


 

 

 





 

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