十一日目 “姫”と暗殺者
事情を知っている人を除くと、私は砦の人から『異国のお姫様』だと思われているようだった。しかも恐らく訳アリの。
都合の良さから今でこそ肯定しているが、初めの頃、突然そんなことを尋ねられた時、咄嗟に否定したことがあった。
「そんなわけないじゃん。私だよ? 服は変わってるかもしれないけど、普通の一般人だよ。うん」
「服――もそうだけど、それだけじゃないのよ。なんて言うのかしら? 雰囲気というかね、オーラが違うの。私達とは。見たら、あ、違うなって思うのよ。やっぱり、それが上流階級ってやつなのかね」
私は平々凡々な暮らしをしてきた、ただの一般人、女子高生だ。必死に受験した高校に通い、自分なりに学業に励んで、毎月小遣いのやり繰りにあくせくしてきた。
……それはこの世界の、今の私にとっては何の意味も持たないわけだ。
洗濯担当の女性は続ける。
「あなたは髪だってさらさらだし、指先も綺麗で、それに匂いだって……。でも、それとは別で、なんっか私達とは『違う』のよねぇ」
初めはその言葉の意味がよく分からなかった。私は曖昧に頷くばかりだった。
今なら分かる。『違う』のは、私が異世界人だからだ。
独特の違和感とでも言おうか、枠から外れた人間だという感覚を、皆敏感に感じ取っている。野生の獣が持つ勘みたいに。
人間、割りと鋭いらしく、あの女性が語ったようなことを、これまでに何度も言われてきた。どうやらこの世界のほとんどの人間が、私に違和感を覚えるらしい。
砦の上の人達が、私を外に出したがらなかった理由に、「変な団体に利用されないか」だとか「宗教を興さないか」だとか、そういったものを挙げていたのは、これが原因だったのだろう。
とにかく、それでお姫様のように思ってもらえるのだから、幸運と捉えたらよいのか。それとも、「異世界から来た」という秘密を隠すための、邪魔になると捉えたらよいのか。
しかしアルマくんには、その謎オーラも通用していないようだった。
「私が姫だってさ」
「失笑ものだな」
アルマくんはくすりともせず、そんな憎まれ口を叩く。
彼から見た私は、どこにでもいる普通の女の子だ。異世界から来た、という一点以外は。
本日の彼は帳簿の整理担当だ。数字を一つ一つ確認しているため、隅にいる私とは目も合わない。手伝おうにも、簡単な文章一つまともに読めない私は役立たず。……まあそれ以前に、私みたいな部外者に堂々と見せるものでもないらしいから、元々戦力外なのだが。
私は椅子に座って、真剣に帳簿に視線を落とすアルマくんを眺める。伏せがちな長い睫毛が綺麗だ。普段は私が監視される側なのに、なんだか不思議な気分だった。
アルマくんも私も何も言わない。明るい日差しの差し込む、静かな空間で、今はそれが心地良かった。
砦に商品を卸す業者の娘として入ってきた子どもが、私に花を数輪くれた。
まだ幼い少女だった。あどけない丸い目に、赤らみにふっくらとした頬。茶色い三つ編みは太く歪んでいて、上手な出来とは言えなかった。恐らく自分で編んだのだろう。
「どうぞ、お嬢様」
はきはきとした明るい声は、以前聞いた覚えがある気もしたが、結局は思い出せなかった。
そうして伸ばされた彼女の指先、丸い爪には土がはさまっていた。商人の子なのに。一瞬、花を掘って土が詰まったのだろうかと思ったが、どの花も茎までで根っこはない。
受け取った赤い花は、その花弁の色に反してどこか地味な、落ち着いた印象を受けた。
「いい匂いがするんです」
彼女はそう言って、おどけるみたいに、くんくんと鼻先を揺らした。黄色味の強い肌だった。あまり見ない顔立ちなので、もしかしたら余所から流れてきた子かもしれない。私みたいに。
少し戸惑ったが、物事はできるだけスムーズに進めるようにと言われている。厄介事は起こさず、できるだけ目立たぬようにいろ、と。それに、まさかこんなに小さな子の善意を拒絶するわけにもいかない。
「そっか、ありがとう!」
私は微笑んで、花の匂いを嗅ごうとする。
しかし鼻腔を刺激したのは、あまりにも奇妙な、自然のものとは程遠い香りで。いっそ喉の奥まで、刺されるように痛むような。
体勢を崩した私を支えたのはアルマくんだった。外気に晒されているとは思えないほど温かな彼の手の平は、眠気すら感じさせるほどの安堵感を私に与える。瞼が不思議と重たかった。まるで痺れるみたいに。
私の手から、花が全て滑り落ちていく。
「だってお仕事でしたから」
あの女の子の、淡々とした言葉が耳に遠い。あんな小さな子が出していい声ではない。
私を抱くアルマくんの温かな右腕。彼の左手には何が握られていたのか。
銀色の切先が、鋭く陽光を照り返す。私の覚えていた光景はそれだけだった。
毒に気絶した私を看病したのは、私の事情をよく知るアルマくんだった。私は、寝言で妙なこと――例えば異世界のことだとか、この世界の人間におかしな影響を与えるようなこと――を言い出さないかまで気にされているらしいから、それも当然のことだった。
目覚めた私に対し、アルマくんは何よりもまず、
「気付かなくてすまなかった」
と謝罪した。
それから命に別状はなく、後遺症の心配もないだろう、ということをいつも通り淡々と説明した。私はただ頷いてそれを聞いていた。
毒のことや、犯人についての説明はなかった。私も訊かなかった。
「運んでくれて、ありがとう。重たくなかった?」
「ああ。お前は細い。もう少し食べた方がいい」
「うん……」
それからアルマくんは、絶妙なナイフ捌きでくるくるとリンゴの皮を剥いてくれた。あっという間に一息で剥いたその妙技に、普段の私なら手を叩いて喝采を浴びせていただろう。
「……リンゴ、美味しいね。アルマくんは食べないの?」
「俺はいい」
そう言って布で拭かれていた、果物ナイフの切先。
あの目を焼くような銀の輝きを、私は忘れられないでいる。
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