七日目 進展の無い日々
泣く子も帰れぬ北方砦――。
故郷に帰らぬ者の多さから、いつしか『北方砦』はこう呼ばれるようになったという。
『北方砦』とはその名のとおり、帝国北部に広がる『北方荒野』に建てられた砦を指している。私が今暮らしている『カノック砦』を含めて、大小合わせて全部で七つほどあるらしい。『東の蛮族』との戦いの最前線だ。
ここ『カノック砦』は、その中でも最大の砦だ。司令塔であり、いざという時の避難民らの収容施設も兼ねているらしい。比較的後方にあるためか、住んで間もない私からすると、あまり前線というイメージはない。
付近で暮らす住民の感覚としては、「ちょっとした城か、領主の屋敷か」とのこと。また、お偉いさんの数の多さを考えると、その考えもあながち間違いではない、という意見も耳にした。
――となると、すぐ傍にある活気のある町は、城下町のようなものなのだろうか?
なんとなくアルマくんに聞いてみると笑われてしまった。
城下町はまさかこの程度ではない、比較にすらならない、とのことだった。
しかし、部外者の私には余裕があるように見えるカノック砦だが。此処の兵にとっては違う。頻繁に余所の砦に派遣されては戦局に投入され、もちろん、そのまま帰らぬ者も少なくはない。
だからこのカノック砦もやはり、泣く子も帰れぬ北方砦の一つなのだ。
わざわざ異世界から来たのだから、何か問題を解決しなければならないのでは? そうしたら帰れるのでは?
――なんて単純に考えていた私だが、さすがにこんな現状を打破するアイデアはない。
ちなみに『東の蛮族』は、非常に強い遊牧騎馬民族らしい。
私は授業で見た、ユーラシア大陸の大半が遊牧民族に支配されていた頃の世界地図を思い出しながら、息を吐いた。
無理。
そんな『
ただし全てに監視付きだ。
「どうした? 食うか」
「いや、大丈夫。ありがと、アルマくん」
やたら大きな長方形のビスケットを齧るアルマくん――本名はアルマ・アルマットというらしい、青髪青目の、綺麗な青年。
驚くくらい整った顔立ちの彼こそが、私の監視役。そして、この世界に突然飛ばされ、一人途方に暮れていた私を保護してくれた張本人だ。大恩人である。
彼が私を発見し、この砦に連れてきてくれたお陰で、私は今も生きている、と言っても過言ではない。
「なんか暇だなー。文句言える立場じゃないのは分かってるんだけどさー」
「読み書きの勉強は進んでいるのか?」
「うーん、なんとか文字の種類くらいは分かるようになったけど……なんていうか、ホンット難しいね。言葉が通じてるだけマシだけど」
「この地域の言語は複雑らしいからな。俺に自覚は無いが、ややこしいという話はよく聞く」
涼しい顔でそんなことをのたまうアルマくんは、どうやら此処――帝国北部が出身地らしい。
私は胸ポケットにしまってある、今まで学んだことを書きつけた手帳を指でつつきながら、
(この辺で生まれた人はいいなー)
と、どうしようもない事を楽天的に羨んだが、そもそもほとんどの住人が文盲だと、以前聞いたことを思い出した。まず、真っ当な教育機関がない、ということも。
私はなんとなく口を噤んだ。
「どうした、分からないところでもあるのか?」
「……名詞の、語尾が良く分かんない」
自分の気持ちを誤魔化すような質問だったが、それでも本当に疑問に思ってることだった。私がそそくさと手帳を開くと、
「どれ」
アルマくんが屈んだ。彼の、白い瞼を縁取る長い睫毛がはっきり見えた。少しどきっとした。
アルマくんに促されたので、私は慌てて目的のページを開いた。
「これ、名詞の語尾に『ト』で一人称単数の所有格、短めの『トー』で代替わりのって意味の形容詞。長めの『トー』で簡単な疑問。『ット』で撥音がはいると、次の、とか、後のって意味の形容詞――って、違いが分かんないんだけど」
「確かに、改めて考えるとややこしいかもしれないな」
アルマくんは考え込むような素振りを見せた。すぐに全てに答えるのは難しいから、また後で勉強を見てくれるとのことだった。
彼は親切だ。本当に。申し訳ないくらいに。
「……そういえば、お前についての情報だが」
「うん」
「全く進展がない。過去の文献も漁っては見たが、ニホンなんて異世界の記述は無いそうだ。今も当たらせてはいるが、期待はするな」
「……うん。ま、しかたないよね」
私は軽く笑う。
「ん? つまり私はこの世で唯一無二の存在ということなのでは……?」
「調子に乗るな」
そして落とされた手刀を私が躱すと、アルマくんは何とも言い難い表情をして、次のビスケットを食べ始めた。私はそれを見て笑い声をあげた。
――焦りはない、と言ったら嘘になる。
私は現状こそ『穀潰し』の『ただ飯食い』だが、本当のところは違う。
私が今着ている、黒色のセーラー服――制服が証明してくれるとおり、私は学生だ。しかも高校生。受験も控えている。
初めこそのん気なものだったが、こうも打開策一つ見つからないとなると、ふつふつと焦りが湧いてくる。授業の進行が早い進学校だから、なおさらだ。
この身一つでこの世界に来た私の手元には、教科書一つない。数学くらいならこの世界にある書物でも勉強できるかもしれないが、いかんせん文字が読めない。
文字の勉強は始めてみたが、先ほどアルマくんが述べたとおり、今いる地域の言葉は非常に難解だ。読み書きをモノにするまで、一体どれくらいかかることか……。
(留年も覚悟しないとなぁ)
私は自分の、黄緑色のリボンの裾をいじりながら、溜息を吐いた。
その時、ふと、アルマくんの鋭い視線がじっと私に浴びせられているのに気付いた。私、というより、私が着ている黒のセーラー服に、だろうか。とにかく戸惑う私をよそに、アルマくんはぼそりと呟く。
「お前はいつもその服を着ているな」
「アルマくんに、というか、あなた達兵士にだけは言われたくないよ」
アルマくん含めたこの砦の兵が、碌に洗濯もされていない制服を着まわしていることを、私は知っている。
「いや、お前のそれは目立つから控えた方がいいと思っただけだ」
「――あはは、確かにそうだね」
当然の言葉。ただの助言だ。
この世界には無いだろう化学繊維で造られた、黒色のセーラー服と黄緑のリボン。靴下やインナーなどはさすがに用意してもらった物を身に着けているが、それでも明らかに浮いているだろう私の格好。
目立つのが好ましくない私の立場への、監視役からの有り難い助言。
私は肩の力を落とした。そこでやっと、無意識のうちに握り拳を結んでいたことに気付いた。
「……そうだよね」
『なかなかいい御身分』に加えて、『役立たず』も『穀潰し』も『ただ飯食い』も、私が実際にお偉いさんから言われた言葉だ。どれも事実だが、正面切って嫌味を言われれば腹が立つ。
そう考えると、アルマくんは優しい。私の言ったことを信じてくれたし、驚くほど私に気を遣ってくれる。
……まあ私の名前を全く覚えていなかったし、上からの命令を忠実にこなしているだけなのかもしれないけど。
「ん」
と、考えに耽る私の鼻先に唐突に差し出されたのは、半分に割られたビスケットだった。どうやら最後の一枚の、大きな方をくれるらしい。
あまりお腹は減っていなかったけど、善意でくれるのだし「ありがとう」と笑って受け取る。
早速、「いただきます」と齧ってみると、粉っぽい味がした。小麦粉と塩と水だけで作ったものなので甘さは無い。保存食の場合だと、歯も立たないくらい堅いんだとか。
アルマくんを見ると、彼はなにやら口の中で唱えてから、ビスケットをかじっていた。この帝国北部には『北聖教会』という宗教(というより教派の一つらしい)が根付いていて、彼もその信徒らしい。食前に何かしら呟く言葉があって、それはこんな軽食に対しても変わらないのだとか。
私にはよく分からない世界だが、私の言う「いただきます」とよく似ていて、かつ異なるようなものだろうと理解している。
「アルマくんて、このビスケット好きなの?」
「そうでもない」
「そっか」
しばらく二人並んで無言のまま、もそもそとビスケットを食べていた。結構お腹が膨れたので、今日の夕食はこれだけでも十分だと私は内心思った。
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