四日目 エマの花、薬屋

 アルマくんに付いて、外に出られるようになった。

 私は色んな人(というより砦のお偉いさん達)から、『監視役』のアルマくんから決して離れてはいけないと、キツく言い聞かせられている。

 と言っても、砦の中で、かつ他に人間がいる場所でなら、その限りではない。でなければ、気軽にトイレにもいけないからだ。

 しかしながら、砦の外での単独行動は、決して許されていなかった。どんな理由があっても、私はアルマくんの目の届く範囲にいなければならない。


「それをした場合、命の保証はできない」


 とまで言われているのだから。


 私は監視役のアルマくんから、できるだけ離れてはいけない――逆に言うと、アルマくんが外に出るならば、私もそれに付いて一緒に外出しても構わない、ということだ。

 屁理屈なようだが、アルマくんもまあいいか、と少し呆れ混じりながらも納得してくれた。上の人にも確認を取ってくれたらしい。


 外出時には、支給された厚みのあるマントを着込み、フードを被り込んで、あまり人目に触れないようにする。これが私に課せられた、いつもとは違う唯一の条件だ。

 早速マントをもそもそ着込んでみると、少し砂っぽい匂いがした。

 包み込まれ護られているような、独りだけ隔離されているような、不思議な心地だった。



 着いたのは、行商人が露店を開く通りだった。

 アルマくんがまず向かったのは薬屋だ。台の上には、瓶詰にされた薬や、干されて束ねられた薬草などが並んでいる。

 ふと動きを止めたアルマくんの視線の先を辿ると、そこには美しい花が一輪、花瓶に活けられていた。

 微かに白みを帯びた、透けるような三枚の花びら。先端が上品な赤でほのかに色付いている。目が離せなくなるくらい綺麗な、当然ながら私の見たことのない花だった。


「エマの花だ」


 私の視線に気づいたアルマくんがそう説明した。


「帝国北部でなら、この地域以外でも見ることができる。寒さに強く、雪の中でも咲き誇る。薬効などはないと聞くが、昔から人気のある花だ。花言葉は、確か『理想』だったか」

「そうなんだ、詳しいね。もしかしてアルマくんってお花が好きなの?」

「いや、あれ以外は碌に知らないし、興味もないんだ」

「娘が摘んできたんですよ」


 店主の男性がそう言って目を向けた先では、まだ幼い女の子がせっせと薬草を束ねていた。私と同じようにフードを深く被っているためハッキリとは見えないが、三つ編みにしたお下げと、ふっくらしたほっぺの赤さだけはよく見えた。


「ああ、こらこら。茎を傷付けるから、そこの結び方はもう少し緩く」

「うん」

「手伝いなんて、偉いですね」

「……だってお仕事ですから」


 小さい声なのでよく聞こえなかったが、幼い割りに淡々としていた。この国では、これ程の年齢の子が大人に交じって働くのは、特段珍しいことではないという(私がそんなことを知ったのはもっと後のことで、この時は冷静な子だとしか思わなかった)。

 てきぱきと流れるように動く器用な指先が、また薬草の束を結わえる。それを見た店主さんが、満足そうな声を上げた。


「うん、今のはいい出来だな」

「――仲の良い父娘だね」

「そうだな」


 アルマくんはどこか懐かしげに目を細めた。それからその子が扱っている薬に興味を持ったらしく、それについてその子に質問し始めた。何を話しているかまでは聞こえなかった。

 暇になった私が、もう一度棚に並ぶ商品をまじまじ眺めていると、店主さんが話しかけてきた。少し訝しげな表情をしていた。


「なあお嬢さん、あんたエマの花も知らないのか? この花を?」

「まあ」

「へえ。じゃあ他所の人だね」


 私のぎこちない苦笑に何を思ったのか、店主さんは訳知り顔で頷くばかりだった。

 やがて戻ってきたアルマくんは、結局何も買わずにその店を後にした。



「商品を見ていたが、どんなことを話してたんだ? 欲しい物でもあったのか?」

「……ん、別に。ちょっと、興味があっただけだよ。私の世界では見かけない物ばっかりだったから、見てただけ。……それに、薬草なんて買っても、私は使わないしね。あ、アルマくんは? 何話してたの?」

「話したというか、」


 暫しの沈黙のあと。


「驚いたみたいに、『青い……』と言われた」


 言って、アルマくんは自分の前髪を摘まんだ。

 私は思わず笑った。


「綺麗だもんね、アルマくんの青」


 瞳も髪も、まさに現実離れしたファンタジーな色だ。こんな世界でなければ、お目にかかれないだろう。

 鮮やかだが、不自然でも浮いているわけでもない。初対面でない今でも、その鮮やかな色にはついハッとして、目を惹かれてしまう。

 アルマくんは少し口籠った。反応に困ったのか、もしかしたら照れたのかもしれないが、相変わらず無表情なのでよく分からない。


「――アルマじゃない、アルマ・アルマットだ」

「なんか久しぶりに聞いた気がするね、それ。じゃあ言わせてもらうけど、私は『お前』じゃない。月吉つきよし 伊吹いぶきだよ」

「ツキ……?」

「えっ、まさか知らなかったの? 私何回か、あなた達の偉い人の前で名乗ったと思うんだけど……」


 その時、アルマくんもいたよね?

 聞くまでもないことを問う私から、アルマくんはすっと視線を逸らした。思いっきり合わない視線に、閉じられたまま何も語らない唇。

 この四日間、行動するときは常に共にいた(というより、いなければならなかった)相手に対して、この仕打ちである。他人に興味が無いとかのレベルではない。


「ドン引きだよ……。なに名前も知らない相手に、自分の名前ばっか誇示してんの……。アルマ・アルマットだ、じゃねぇよ……。あ、ちなみに苗字が月吉、名前は伊吹の方です」

「すまない、イブキ」

「発音カタコトだね。イブでいいよ。私は寛容だからねっ。あ、伊吹様でも可」

「イブ」


 冗談に乗ることもなく即答である。アルマくんらしい。

 そんな彼に向かって、私は追い詰めるみたいににんまりとする。


「これじゃあもう人のこと言えないよねぇ、アルマくん?」

「――まあ、確かにそのとおりだ」

「もうこれから絶対、アルマくんのことはアルマくんって呼ぶからね。ずっとだよ。分かった? アルマくん」


 もちろんこんな提案、一度は否定されるだろうと思ったのだが、予想に反してアルマくんはすんなり頷いた。「えっ」と目を見張る私とは対照的に、彼の表情は柔らかかった。

――私の名前を覚えていなかったことを気にして、というわけでもないらしい。

 私はちょっと首を傾げた。


「……実はアルマくんも、自分の名前長過ぎって思ってたんじゃないの?」

「調子に乗るな」

「いてっ」 

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