わたしとあなたの七十五日

ばち公

第一章 月吉伊吹

一日目二日目 アルマ・アルマット

 気付けば異世界にいて、一人荒野に倒れていた私。とある眉目美麗な青年に拾われて連れて行かれたのは、城でも神殿でもなく、ただの武骨な砦であった。

 とりあえず分かったことはというと。


 異世界に来たが、なんの役割も無いらしい――。


「――つまり魔王もいない、戦争もない、神様と連絡を取る必要もない、伝承で何かあるわけでもない、と」

「ああ」

「じゃあ私に出来ることは?」

「便所掃除くらいかな」


 それも不審者には任せられないが。

 淡々とぼやくのは、つい昨日、私を拾ってくれた青年、アルマくんである。本名はアルマ・アルマット。私以外の全員がそう呼ぶが、あまりにも長ったらしいので、私は「アルマくん」とだけ呼んでいる。

 年齢は、二十歳は超えている――と思うが、よく分からない。まさにファンタジーとでも言うべき、宝石の色をそのまま映したような青色の髪と、息を飲むほど澄んだ青い目が、びっくりするくらい綺麗だ。こんな色でも浮かないくらいに整った顔立ちは、もう羨ましさすら湧かないほどだ。


「アルマくん」

「アルマ・アルマットだ。どうした」

「じゃあ私はなんでこの世界に?」

「さあな。俺の知ったことではない。俺からしてみれば、お前は野垂れ死にかけていた不審者だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……とりあえず、見つけてくれてありがと、アルマくん」

「俺はアルマ・アルマット――いや、今はいいか」


 アルマくんはそう言って息を吐き、軽く微笑んでみせた。


「ちなみに上の判断によると、『異常な妄想を吐露し続けており、政情不安の今、外に放つには不安が残るため、ウチの砦で保護する』――とのことらしい」


 どうやら、この砦を中心として激化しつつある『東の蛮族』との戦いや、昨今の国家情勢の緊張のせいで、この国は外も中もぴりぴりしているらしい。そこに私みたいな異分子が飛び込んでいったら、どうなるか分からない、ということだった。

 異世界人としておかしな団体に利用され奉られるか、変な宗教でも興されるのではないかということを危惧したらしい。

 なるほど、一応納得はできるけど。


「聞けば聞くほど扱いが酷いね」

「そうだな」


 アルマくんが肯定したように頷く。


「異世界から来た、なんて私の発言は信じられてないんだね。まあ、当然だけどさ……」

「そうだな。そしてそんな荒唐無稽な状況の割に、たった二日でこうも適応しているお前が余計に信じられない、とのことらしい」

「適応する以外にできることがないからだよ……」


 溜息を吐いて、私は自分の、黒いセーラー服を見下ろす。

 明るい黄緑のリボンと、シンプルな革靴。どこからどう見たって、極々平凡な女子高生の制服姿。元の世界では、これだけで一種の身分の証明になっていた。

 恐らく近所の人なら誰だって、ああ、あそこの生徒なんだな、と私を見てくれたに違いない。……それも、この世界では無意味なわけだが。

 なんだか無性にやりきれなくなって、私はまた溜息を吐いた。

 どうやら、今まで私に価値を与えてくれていたのは、『私』自身ではなく、私が今まで生きてきた社会だとか環境だとか、そういったものだったらしい。例えば、学生という身分だとか、子どもと見なされて庇護されることだとか、成績という能力を評価してくれる学校という場所だとか、そういったものだ。

 自分が何もできない・何者でもないただの小娘だなんて、こんな場所で思い知ることになるとは……。


「……アルマくんはどうなの?」

「つまり?」

あなた達・・・・が言う、私の異常な妄想・・・・・についてだよ。どう思う、これ」


 子供みたいなことを言っている自覚も、甘えているという自覚もあった。でも私には今、この感情をぶつけられる相手が、彼しかいない。

 荒唐無稽だと切り捨てられることを、予想しなくもなかった。


 アルマくんはほんの一瞬考えるような素振りをみせたが、しかしすぐ躊躇なく答えた。


「こう言うのもなんだが、一応信じている」

「え、なんで」

「お前はどこからどう見ても普通の娘にしか見えないが、その衣類は確かに奇妙だし、なにより、それだけの装備であの場所にいたというのがおかしい。お前は貧弱なその身一つで、獣への備えもなく荒野に倒れていた。その靴に汚れはなく、周囲には移動した痕跡すらなく、近辺にもお前の目撃情報はない。おまけに今だって隙だらけ――以上のことを考えると、どうしても降って湧いたとした思えないんだ」


 私は自分のローファーを見た。最近新しく買い換えたばかりの、まさに新品同様の革靴を。彼は予想以上に、私についての調査をしてくれていたらしい。

 アルマくんは続ける。


「……それになにより、お前の頭がおかしいとは到底思えないからな」


 平淡にそれだけを告げるアルマくんに、私は彼との出逢いを、つまり昨日のことを思い出す。


 荒野に手を付き俯く私に、何の気なく差し出されたアルマくんの手のひら。


――大丈夫か。


 現実を受け入れられずただ愕然と打ち震えていた私は、彼の登場に驚愕し、恐らく怯えるような目で彼の輪郭をたどったことだろう。

 アルマくんは律儀に手を差し伸べたままの体勢で、私が落ち着くのをじっと待っていた。彼の、青色の髪と目はあまりにも見慣れない色だったが、その静かな瞳ににじむ穏やかさに、私は自分の心が静まっていくのを感じた。

 それから私がやっとの思いでその手を取ると、まるでそうするのが当然であるかのように、アルマくんは私を助け起こしたのだった。


「どうした? 急に黙って」

「ううん。――これからよろしくね、アルマくん」

「ああ、よろしく頼む」


 言って、彼は何故か手袋を外した。きょとんとしている私に差し出された、大きな手のひら。

 あの時私を救い上げてくれたものと、同じ。

 私は一瞬戸惑ったが、恐る恐るその手に応えた。まるで日向ぼっこでもしてきたかのように、温かな手だった。離れてしまうと、周りの空気をよりいっそう冷たく感じるくらいに。


「アルマくんって、」

「ん?」

「子供体温なんだね」

「……初めて言われたな、そんなこと」

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