第3話

次の日の夜、彼はルームサービスを注文した。レストランもいいが、一人で食べたい気分だった。

30分も待つと寿司がリフトに乗せられて運ばれてきた。最高級レストランの逸品とはいえ、クローシュに入れられた和食というのは何か面白さを感じる。


いなり寿司に舌鼓を打っていると内線が鳴った。


「もしもし?」

「由衣!?」

切羽詰まった声の主はリザだ。

「どうした?」

「早く来て!」

「何だよ!何があった!?」

「いいから早く!」


何かあったのかと思い、クイーン・スイートに駆ける。

扉を勢いよく開け放つと、部屋の隅でベッドに寄りかかり、縮こまる彼女がいた。

初対面のときの勝気な印象からは似ても似つかない青ざめた顔をしている。

「大丈夫か!?」

そう言われたリザは小さく震えながら、バスルームの方を指さす。


その方向には、忌々しきものがあった。

艶々と輝く吐き気を催す黒光り、地獄の餓鬼のようにウヨウヨと蠢く四肢。ゴキブリだ。


「うおっ!?」

由衣は一瞬怯んだが、テーブルの引き出しに入れてあった船内パンフレットを引き出し、丸めた。

「やるしかないか・・・」


ジリジリとゴキブリに近づいていく。

その物怪がカサリと音を立てた瞬間、男の腕が動いた。パンフレットの棒を振り下ろす。


「イヤーッ!」


スパァン!

烈しい、乾いた音が部屋を打つ。駆除成功だ。

パンフレットを開いてその中に亡骸を包み、外のダスト・シューターに投げ込む。


後始末を終えて手を洗いながら、由衣は聞いた。


「なんで俺に頼むんだよ?秘書とかいるだろ?」

「しょうがないでしょ。私は強い姿を見せなきゃいけないの。たとえそれが部下だったとしても、弱みを見せるのは舐められること・・・バンクロフト・グループの次期後継者として、あってはならないの」

「・・・難しいもんだな、お前も」

「しょうがないでしょ。貴族なんだもの」


その一言が、由衣に自分の過去を思い出させた。宇宙貴族たちの歪な価値観。自分を縛りつけた窮屈で身勝手な家制度を。


宇宙貴族・・・・・・それは、宇宙進出によって発生した新興貴族である。


そもそも宇宙に進出したのは、人口の大爆発で弾き出された中流・下流階級の人間だった。

それが事業に成功して富を得た途端、自身の身分へのコンプレックスが発露した。

自らをあたかも貴族のように扱い、各々の保有する圧倒的な資源——それを地球に輸出することで地球は現在の繁栄を可能としている——をバックに、経済的特恵、地球訪問時の国賓待遇などを地球の国家に要求した。


由衣が逃げたのも、この懐古的貴族主義が原因だった。古臭く、窮屈な名家ごっこ。旧家ならばいざ知らず、宇宙に出て5代ほどの人間が貴族の真似事をすること自体が気に食わなかった。


彼が自分のキャビンに帰る途中、ある男性と肩がぶつかった。

引き締まった体に顔は彫りが深く、目は鋭い眼光を放つ。

黒い絹のスーツは洗練された印象を与えるが、どこか冷淡な男のようにも見える。

由衣が少し後ろによろめくと、男はすかさず一歩前に出て、軽く頭を下げた。その動作には無駄がなく、この男も貴族なのだろうと思わせる所作だ。

「おや、これは失礼。私の不注意でした。とはいえ、もう少しお気をつけいただければ、こんなことにはなりませんでしたが」

言葉そのものは謝罪の形をとっている。だが、滲み出る本音には「君のせいだ」と言外に含ませる冷ややかさがあった。

「・・・失礼」

由衣は短く応じるしかなかった。「そっちは避けようともせずにぶつかっただろ」と言いたかったが、相手の物腰があまりに滑らかで、無理に言い返せば自分が無礼に映りかねない。

男は満足げに小さく微笑むと、「どうかお気をつけて」と言い残し、背筋を伸ばして歩き去った。自分に対する彼の優越感のようなものをその後ろ姿から感じ、由衣は不快だった。

部屋に戻ってみてから風貌を反芻して、男はおよそロー・ルーモアだろうと思えた。

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2024年12月19日 17:00

星界の船 @veryweak-stickman

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