44. 灰色龍

 デストが怒声を響かせた直後だった。暗がりから滲み出るように巨大な生物が姿を現した。ぬらりと煌めくのは巨体を覆う鱗の輝き。それは蜥蜴か、あるいは――――伝説にうたわれるドラゴンか。


 あまりの威容に誰もが言葉を飲んだ。すくんだように体が動かない。その隙をつくように、それは動く。


「構えて!」

「……ぐっ!」


 いち早く我に返ったアシュレイが警告を発する。灰色の襲撃者が標的としたのはブロン。巨体が揺らめいたかと思えば、一瞬にして両者の距離は消失する。鋭い牙がブロンの体を貫く、その直前に漆黒の盾がそれを防いだ。


 だが、拮抗したのはごく僅か間のみ。盾は砕け去る。突進の衝撃を殺しきれず、ブロンの体が宙を舞った。


「ブロォォン!」


 デストが叫ぶ。たが、それで襲撃者が止まるわけがない。追い打ちをかけようとした巨体を止めたのは――――アシュレイだ。


「はぁああ!」


 横をすり抜けようとした灰色龍の右目にナイフを突き立てる。生物を模した魔物にとっても目は急所。貫ければダメージは大きい。貫ければ、だが。


「硬ったぁ!!」


 ナイフは硬質的な音を立てて弾かれた。直前に降りた目蓋まぶたは鋼のように硬い。咄嗟の一撃ではその守りを破ることはできなかったのだ。


 それでもダメージがなかったわけではない。再び開いた瞳にはアシュレイへの憎しみがにじんでいた。たが、それでいい。それこそがアシュレイの狙いだ。まずはブロンから灰色龍の注意を引きはがす。


 怒りの咆哮が部屋に響いた。直後、灰色龍の牙がアシュレイに迫る。至近距離からの噛みつきだ。下層の、それも異常種の速さは駆け出しディガーに対応できるものではない。それはアシュレイとて同様だ。


 だから、彼は左腕を差し出した。勢いよく閉ざされるあぎと。しかし、それはいつの間にか出現していた影色の円盾に阻まれた。


 戸惑うように灰色龍の動きが鈍る。その隙に、右手のナイフで目を狙う。それを嫌った龍が後退し、そのタイミングでアシュレイも円盾を消し、腕を引き抜きつつ距離を取った。


狙い撃ちスナイプ

「おらよ!」

「食らいやがれ!」


 ベテラン組も黙ってはいない。アシュレイと龍が離れた瞬間に攻撃が降ってくる。たが、ゲスタとナジルの投斧は鱗に弾かれ、まともに傷を与えられない。いつもなら正確無比に目を貫くデストの矢も、位置取りが悪く外れてしまった。


 攻撃を受けた灰色龍は苛立たしげに上層を見上げと、威嚇するように大きく口を開いた。


「へっ、そんなもんでビビるわけ――」

「馬鹿! 下がれ!」


 馬鹿にするように笑うナジルをゲスタが強引に後退させる。その直後、彼らがいた場所を燃え盛る火炎の息吹ブレスが通り過ぎていく。


息吹ブレスだと!? じゃあ、やっぱりあれは!」

「龍……にしちゃ小さいが、まぁ何にしてもやべぇな」


 動揺するナジルに軽く頷くと、ゲスタは視線をデストに向けた。


「おい。ありゃ、無理だ。退こうぜ」


 冷たく言い放たれた言葉にデストは食ってかかる。


「アイツらを見捨てるっていうのか!」

「そうだ。何か問題あるか? 元からその予定だろうが」

「ぐ……」


 言い返すことはできない。邪魔なアシュレイをここで排除する予定だったのだ。場合によってはブロンを切り捨てることすら視野に入れていた。ネイリムスは確保する予定だったが、それも自らの命をかけてまでやることかと言われれば、デストにもそんなつもりはない。


 覚悟はできている。そのつもりだった。しかし、実際にそのときがきて、デストの決意は揺らいでいる。


 上を目指すために、下っ端どもを利用する。そう決めた。だが、実際にはどうか。上からは、捨て駒のディガーなど、死なせても構わないと言われてた。むしろ死んでくれた方が報酬を払わずに済む。駒なんていくらでも手に入るのだから。その主張は、このアビスにおいて間違ってはいない。倫理的なことを気にしなければ、だが。


 素直に従えば稼ぎは増えただろう。チーム内での評価も上がる。それでも、デストには踏み切れなかった。何もかも利用すると言いながらも中途半端だ。自嘲しながらも彼は上からの指示に抗った。


 他チームや行政府からの口出しを避けるため、士気を維持するため。利点を主張し、訴えを認めさせた。駆け出しを危険に晒すが、それでも命だけは守る。それが、チームでの出世と捨てきれない情の狭間で揺れるデストが己に定めたルールだ。


 しかし、今、そのルールが、揺らいでいる。両立はおそらくできない。デストはゲスタとナジルが自分に好意的ではないことを知っている。ゲスタは言っているのだ。今、ここで覚悟を示せと。つまらない情に流されずにチームに尽くせと。


「俺は……」


 虐げられる立場から抜け出す。それがデストの望みだ。力を欲するのもそれが理由。そのためにもチーム内での地位はできるだけ高くしておく必要がある。


 だが……だが、俺が欲した力は本当にこれなのだろうか。虐げられるのでは虐げる側に回る力……本当にそうなのだろうか。


 脳裏にチラつくのは先ほどのアシュレイの姿だ。ブロンを助けるために迷いなく異常種に挑みかかった。デストやゲスタさえも攻撃するのを躊躇い、援護が遅れたというのに。


 もしかして、俺が欲していた力は――――


「俺はここに残る! 逃げたきゃ勝手に逃げろ!」


 気がつけば、デストはそう言い放っていた。

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