37. 下層の敵とエンカウント

 ガツンガツンと大きな音を響かせて、ツルハシが岩を砕く。魔窟の壁は固く、埋まっている影源石を掘り起こすのも一苦労だ。


「上の壁よりも固いな、これ」


 呟いて、アシュレイはツルハシを地面に立てかけた。腕で額の汗を拭いつつ、大きく息を吐く。四半刻ほど黙々と働いたので、ひと休みだ。腕に軽い痺れがあった。手をぐーぱーと開いたり、軽く振ってみると、少しだけ良くなったような気がする。


 どうやら下層で手強いのは魔物だけではないらしい。壁の硬さも一段上だ。必然的に採掘作業も上層よりは手を焼くことになった。


 とはいえ、適切な道具さえあれば掘れないことはない。ここより深い階層ではどうなのかわからないが。


 苦労はするが、それに応じて成果も大きい。ここで採れる影源石は、上層のそれよりも幾分紫色が濃かった。色が濃いほど行政府の評価は高いので、採掘時間に見合う価値はあるだろう。


 もっとも、採掘した影源石がアシュレイの懐に収まるわけではないのだが。一応、成果に応じたボーナスのようなものはあるが、実際の稼ぎに対しては微々たるものだろう。


 どうにか気づかれずに確保できないか。採掘しながらも考えていたが、今の状況では難しそうだ。上からベテラン組が見張っている。彼らだけなら隙があるかもしれないが、ウォッチバードもいるのでまず不可能だ。人造鳥は瞬きもしなければ、集中力を途切れさせたりもしない。


 ベテラン四人は上層の安全地帯から動かないが、だからと言って怠けているばかりではなかった。彼らは一応、周囲の警戒という名目で、高所に待機しているのだ。有名無実というわけではないらしい。


「敵だ! 注意しろ!」


 そろそろ休憩を切り上げようとしたところで、デストから警告が飛んだ。


 アシュレイは即座に影装を纏う。ついでに、ナイフも引き抜いておいた。これはあくまで念のため。言わばお守りのようなものだ。敵の撃退はベテラン組の役目と決まっている。下手に接近すると、上からの攻撃に巻きこまれかねないので、アシュレイとネイは逃げに徹するように厳命されていた。


「げ、兎かぁ」


 通路から飛び出してきたのは凶爪兎だった。見た目は普通の野ウサギだが、凶悪な爪を隠し持っているので油断ならない。出し入れ可能な鋭い爪は短めのナイフくらいまで伸び、人の肌など易々と切り裂く。特に首元への攻撃は注意が必要だ。さすがに首を刎ね飛ばされることはないが、大量出血で死に瀕することは充分にあり得る。


 そのため、ここでの採掘時には、首を守る金属製のネックガードを装着するのが決まりだ。もちろん、アシュレイも装着している。


 攻撃性だけではなく、高い運動性も厄介だ。むしろ、デスト班の探索スタイルでは、そちらの性質の方が大きな障害となる。迎撃はベテラン四人による遠隔攻撃。これが凶爪兎とは相性が悪いのだ。素早く跳ね回る上に、体が小さいため、攻撃が当たりづらい。必然的に戦闘時間が伸び、下層担当者の被害が大きくなる。実際のところ、駆けだしディガーが負傷療養する原因の大半はこの凶爪兎にあるそうだ。


 そんな凶悪な兎が四匹。全く気が抜けない状況だった。


「〈狙い撃つスナイプ〉」


 先制攻撃はデスト。異能によって高められた集中力で凶爪兎の眼窩を狙い撃つ。見事、致命傷クリティカル。脳まで貫かれた凶爪兎はビクリと体を震わせ、それきり動かなくなった。


 一匹減っても、残り三匹は健在だ。多少なりとも知恵が回れば、一撃で仲間を屠ったデストを警戒するなり、優先的に攻めるなりするのだろうが、凶爪兎にあるのは人を襲うという衝動だけ。手近なところにいるアシュレイとネイリムスが狙われるのは必定であった。アシュレイに二匹、ネイリムスに一匹の兎が迫る。


「くっ!」


 鋭い爪の一撃をアシュレイはギリギリで躱した。やはり早い。上層の魔物とは比べものにならない素早さだ。感心している間もなく、二匹目の攻撃。余裕のないアシュレイはこれを転がって回避した。そのままの勢いで立ち上がり、できるだけ距離を取る。体勢が崩れているこのときに追撃を受けると拙い。


 だが、そこはベテラン組のフォローがあった。アシュレイが転がっている間に、ゲスタとナジルが投擲武器で兎を狙ったらしい。生憎と命中はしなかったが、牽制にはなった。おかげで体勢を立て直すことができる。


 カーティアは魔法を使う素振りすら見せないが、これは予定通り。発動に溜めが必要な魔法は素早い敵には向かない。精神の疲労を無駄に貯めないために、彼女の魔法は温存している。


 つまり、この戦闘の主軸となるのはデストの弓矢だ。


「〈狙い撃つスナイプ〉」


 二射目。狙撃されたのはアシュレイを襲っていた一匹だ。これも見事に命中。即死ではなかったが、矢が腹部を貫いているので瀕死と言っていい。まともに動けないので、投擲武器の良い的だ。すぐにナジルの投げ斧がその命を奪った。


 凶爪兎は残り二。アシュレイとネイリムスが一匹ずつ受け持っている状態である。少し余裕ができたアシュレイは、ちらりとネイリムスの方に視線を向けた。


「ネイ!」


 ちょうど、凶爪兎が彼女に跳びかかるタイミングだった。咄嗟に腕でガードしたようだが、結果としてその腕が切り裂かれることになる。血が噴き出し、倒れ込みそうになりながらネイリムスが後退する。


「人の心配をしてる場合か!」

「っ!」


 降ってきたのはデストの怒声。だが、そのおかげで助かった。隙を突いて跳びかかってきた凶爪兎の攻撃を、体を捻ってどうにか躱す。完全には避けきれず爪がかすめたが、これくらいなら許容範囲内だ。影装による自己治癒能力の強化ですぐに傷は塞がるはずだ。


 無理な動きでバランスが崩れた。そこに兎の追撃。


 躱せない……が、持っていたナイフを投げつけることで、僅かな時間を稼ぐ。アシュレイの攻撃でも多少は怯ませることができるらしい。おかげで、体勢を立て直すことができた。


 武器を持っていても意味がないと思ったが、いつでも投げられるように準備しておくのは悪くなさそうだ。


 そうしている間に、デストがさらに一匹を仕留めた。ネイを狙っていた個体だ。ひとまず、そちらの心配はいらなくなった。残るは、アシュレイと対面する一匹のみ。


 ここまでくれば消化試合だ。一匹だけ、避けるだけならばアシュレイにも対処できる。そうこうしている間に、デストの矢が放たれ、最後の兎を屠った。


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