17. 休養期間の過ごし方

 激戦の翌日。いつものように、朝を告げるラッパの音で目を覚ましたアシュレイは、珍しくベッドに寝そべったままぼんやりしていた。


 体調が優れないというわけではない。昨日の探索でもアシュレイ自身の傷は軽く、今ではすっかり癒えている。肉体的な疲労も残ってはいないので、ベストコンディションに近い。


 とはいえ、班員全員が万全とは言えなかった。


 特にルドの負傷は思ったよりも酷く、回復に時間を要する。肉体的な損傷は概ね回復しているのだが、そのために影装の治癒能力をフルに使ってしまった。


 過度な影装の使用は、精神の摩耗を招く。摩耗と聞くと大袈裟だが、精神的な疲労が蓄積している状態だ。よほど無理をしない限り廃人になったりするようなことはないが、回復するまで一時的に影装が使えなくなる。今のルドがその状態だ。影装なしで魔窟の探索など無謀そのもの。従って、ルドは数日休養に専念することになった。


 残りのメンバーは活動可能だが、本調子とも言えない微妙な状態。特に、メリアとマルクは精神的な疲労が残っている。


 幸い、前回の探索でそれなりの稼ぎを得ているので、無理を押してまで魔窟に潜る理由はない。そんなわけで、年少班は数日間の休養を設けることになった。


 予定が消失して、何をしようか迷っている。それが、今のアシュレイの状況だ。


「少しでも稼いだ方がいいんだろうけど……一人で潜るのはちょっとね」


 合同チームとしては休養期間だが、アシュレイ個人が魔窟に潜るのを禁止されているわけではない。合流したときに万全の状態を保てていなければ問題はあるだろうが、無理をしない程度の探索で稼ぐのはありと言えばありだ。


 しかし、アシュレイはいまいち乗り気になれなかった。


 ノルマを達成するには、多少なりとも稼いでおいた方が良いのは確かである。だが、アシュレイ一人で探索するとなると著しく効率が悪いのだ。


 問題はディガーランクにある。新米のアシュレイが一人で潜れるのは最下級の魔窟のみ。危険が少ない代わりに実入りも相応でしかない。


 最低ランクの水晶級は訓練期間のようなもので、課せられるノルマも微々たるもの。稼ぎが少なくても問題はない。だが、アシュレイの場合は個人ノルマと比べて膨大なチームノルマを一人で背負っているのだ。地道にコツコツと言っても限度がある。


 最下級の魔窟は新人が経験を積むには悪くはない場所だが、それなりの見習い期間を経ているアシュレイの実力には見合わない。無駄とは言わないが、もう少し効率を求めたいところだ。


「誰か暇そうな人を捕まえて、一緒に潜ってもらう方がまだマシかな」


 ディガーはチームに属する者が多数派だが、個人で活動する者もいないではない。そして、個人ディガーでも単独で魔窟に潜る者は稀だ。大抵は、他の個人ディガーと組むか、どこかのチームと一時的に契約を結んで潜る。後者はともかく、前者のタイプならば数日間だけでも組んでくれる可能性はある。


 とはいえ、それも簡単ではないのだが。最下級の魔窟を避けるなら、少なくともアシュレイよりもランクの高いディガーに声をかけなければならない。だが、水晶級のディガーなど一般的には“素人同然”のひよっこ。アシュレイの実力を知っている者ならばともかく、そうでなければ誘いをかけられても歯牙にもかけないだろう。それでも交渉を成立させるとしたら、アシュレイが相当に譲歩しなければならない。


 譲歩とはすなわち分配比率の調整だ。アシュレイの取り分を下げれば、提案に乗ってくる者もいるだろう。だが、下げすぎても駄目だ。少なくとも、最下級の魔窟よりは稼げなければ意味がない。果たして、うまく話をまとめることができるかどうか。


「うーん。まあ、ここでうだうだ考えていても仕方がないか」


 結論を出したアシュレイはベッドから跳ね起きる。ささっと朝の準備を済ませてから、早速、出かけることにした。


「この時間だと、レーヴェルさんの宿屋かな」


 ザインゲヘナにも宿屋はある。誰が泊まるのかと言えば、拠点を持たない個人ディガーたちだ。食堂を併設しているところが多く、仕事前に食事をとりつつ、顔見知りと探索の予定を立てたりするのだとか。つまり、アシュレイが同行者を見繕うにはちょうど良いというわけだ。


 レーヴェルの宿屋は“地底の綺羅星”の拠点近くにある。名前は“赤竜の息吹”といって少々厳めしいが、アシュレイにとっては馴染みの店だ。と言っても、客としてではない。実を言えば、アシュレイはつい最近まで手伝いとしてその宿で働いていたのだ。


「おはようございます!」

「あら、いらっしゃい。久しぶり……というほどでもないか。ディガーになってからは、初めてね」


 アシュレイが宿屋のドアを開けると、気怠げな表情で正面のカウンターに座っていた女性が、薄らと笑顔を浮かべた。彼女こそが店の主人であるレーヴェルだ。ウェーブのかかった明るめの金髪が特徴――と自称している。常連客に言わせれば一番の特徴は猛禽のような目つきなのだが、表だって口にする者はいない。もし聞かれてしまえば、訂正するまで厳しく追及されるからだ。


「おはようございます、レーヴェルさん。お手伝い、やめちゃってごめんなさい」

「あはは、そんなこと気にしなくてもいいのよ。前々から話は聞いてたんだから。まあ、私からすると、わざわざディガーになりたいって気持ちはよくわからないけどね」


 レーヴェルは元ディガーだ。負傷や肉体の衰えによって続けられなくなったわけではなく、自らの意志で引退して宿屋を経営している。実のところ、彼女のようなタイプは珍しい。


 ディガーは罪人への強制労働という建前であるので、簡単には辞めることができない。辞めるには“罪を償った”と認められるほどの功績が必要だ。具体的には、ディガーランクを紅玉級にまで至れば引退する権利を得られる。


 紅玉級は上級ランクとして扱われるディガーの上澄みだ。とはいえ、ザインゲヘナ全体で見ればそれなりにいる。だが、レーヴェルのように若くして引退する者は少なかった。理由は簡単で、引退したからといってザインゲヘナから出られるわけではないからだ。


 紅玉級なら、充分な稼ぎがある。ディガーとしての生活にも馴染んでいる場合が多い。となれば、わざわざ別の仕事に就く理由も薄いというわけだ。


 レーヴェルは数少ない例外であり、そんな彼女からすれば、わざわざディガーになりたいアシュレイは変わり者ということになる。


「よく言われます」


 とはいえ、変わり者扱いしてくるのは彼女だけじゃない。アシュレイは慣れたもので、笑って聞き流した。

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