14. 魔窟に風が吹く

「みんな、無事!?」

「ああ、まだなんとかな!」


 聞こえてきたのはルドの声だ。無事と言いつつも、疲労が隠せていない。


 煙の中にはまだ敵が残っているらしく、戦闘音が続いている。あの状況ではまともに敵の姿すら見えないはずだ。煙はその場にとどまるので一旦退けば良いのだが、気絶者がいるのでそれもできずにいるのだろう。


 危機的状況だ。今すぐ助けに入りたいが、アシュレイがあの煙の中に飛び込んだところで彼らの助けになるとは限らない。下手をすれば、同士討ちだ。


 そこにさらなる凶報がもたらされた。


「また、新手だ! ちくしょう! この数は……!」


 メリアの声には強い焦りが滲んでいる。その言葉は震えるようにかき消えて、状況の悪さをこれ以上なくはっきりと伝えた。


 彼らを救う手立ては――――ある。


 実を言えば、アシュレイは最初から煙に対抗する手段を持っていた。それどころか、彼の持つ能力を余すことなく発揮していれば、ここまでのピンチに陥ることもなかったかもしれない。だが、その力は彼にとって秘密の切り札。軽々しくは使えないとっておきだ。


 アシュレイの切り札はあまりにも強力すぎる。同業者から妬み嫉みをぶつけられるくらいならばいいが、ラシュトー伯爵家の兵たちに目をつけられるのは好ましくない。伯爵がその能力を知れば、きっとアシュレイを利用しようとするだろう。


 それがお互いの納得の上でのことならばいいが、おそらくはそうはならない。駆け出しディガーという弱い立場では、アシュレイの意志に関係なく強制されることになる。冤罪をかけられ、この街につれてこられたときのように。


 迂闊に使えば余計なリスクを背負いこむことになるのは明らかだ。その懸念が、力の行使を躊躇わせていた。


 しかし――――


「もういいわ。アシュレイ君は逃げて」


 その一言で心が決まった。


 再び聞こえたメリアの声は、落ち着いて聞こえる。しかし、それは生きることを諦めたゆえの冷静さに違いない。しかも、マルクとルドにもその発言を咎める気配はなかった。二人もそれだけ厳しい状況とみているのだろう。


 気絶したラッドやウーノを見捨てることはできない。つまり、ここで踏みとどまるしかないのだ。少なくともメリアたちはそのつもりだろう。


 その上で、彼女はアシュレイに逃げろと言った。


 それは命を失い兼ねない状況に他チームの彼を巻きこむわけにはいかないという配慮か。それとも、年少のアシュレイだけでも助かればと思っての言葉か。


 死が避けられないとしても犠牲者は少ない方が良い。アシュレイもメリアの立場なら、そう判断するかもしれない。




 ふざけるな、とアシュレイは思った。




 チームは違っても、彼らは仲間だ。そして、アシュレイはリーダーである。仲間を見捨てて逃げ延びるなんて選択はありえなかった。


 だから、“ふざけるな”だ。仲間を見捨てるつもりはないと考えながら、秘密を守ろうとする。そんな都合の良いことを考える自分に呆れてしまった。救う気があるならば躊躇っていては駄目だ。失われた命は、二度と戻らないのだから。


「それはできないよ。だって、僕は諦めが悪いからね!」


 水晶級の駆け出しディガーが、一人でチームを維持しようだなんて無謀過ぎる。そう言われて続けても、考えを曲げなかったのだ。まして、この場合、失われるのは仲間の命。それをあっさり諦めるなんてことを、アシュレイが許容できるわけがなかった。


「大丈夫。きっと何とかなる。悩むのはあとでいい」


 アシュレイは迷うのをやめた。


 力を隠すのは、彼が自由に生きるために必要なことだ。だが、そのために不自由をするようなら本末転倒である。アシュレイは仲間を守りたい。かつて、“地底の綺羅星”の皆が自分にそうしてくれていたように。


 アシュレイは煙の中に飛び込む。秘密を守るためのせめてもの抵抗だ。これで、遠く離れた場所からは状況がわかりにくいはず。ウォッチバードの監視が視覚情報に頼ったものであるならば、だが。


 不安はあるが、もう決めたことだ。あれこれ考えても仕方ない。雑念を捨て、“腕輪よ、発現せよ”と念ずる。両腕に力が集まっていくのがわかった。さらに、囁くような声で唱える。


「〈吹き抜けよ風〉」


 呼応するように突風が吹いた。強い風が煙を散らし、状況が明らかになる。三人とも傷だらけだ。蜘蛛糸に絡めとられ、ろくに身動きもとれない有様だった。だが、全員生きている。


「え?」

「これは……?」


 特殊な魔窟でない限り、突然風が吹いたりはしない。そのあり得ない現象が起きたのだから、メリアたちが戸惑うのも無理はなかった。だが、今はそんなことをしている場合ではない。


「油断しないで! 新手が来る前にそいつらを倒すよ」


 アシュレイは仲間を叱咤しつつ、残敵の処理に向かう。スモークラットとケイブスパイダーが二匹ずつ。これを瞬く間に沈めて、さらに駆ける。


「通路口で敵を防ぐ。みんなは、蜘蛛糸を振りほどけたら加勢して!」

「ああ!」


 視界が確保できたことで、メリアたちの士気も戻ったようだ。依然苦しい状況だが、もはや彼らに諦めはない。残る力を振り絞って、迫り来る魔物をただひたすら倒し続ける。


 どれだけ戦っていたのか。アシュレイには一刻にも二刻にも感じられるほどだったが、実際にはさほど長くはないだろう。ついに、新手の魔物が現れなくなった。


 生き残ったのだ。

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