2. 頑固者
「びっくりしたなぁ、もう。ラーグさんいきなり泣き出すんだから」
監視塔の梯子の残り数段を飛び降りてぼやくと、上から“聞こえてるぞー!”と声が降ってくる。“ごめーん!”と返してアシュレイは監視等から離れた。
心配させるとは思っていたが、予想以上だったようだ。改めて、ディガーという職の危険さを思い知らされる。少しだけ申し訳ない気分になって、監視塔に向けて小さく頭を下げた。それでもアシュレイに諦める気はない。
振り返ったときにはいつも通り。にへらと笑みを浮かべて、大股で進む。アビスの絶壁を眺めているうちに、役場が開く時間だ。届け出を出せば、正式にディガーになれる。
両開きの扉をよいしょと押し開けて役場に入ると、数人の男女が忙しげに動き回っていた。
正面には長机が二つ。その後ろに座った女性が、アシュレイに気がつき声をかけた。
「あら、やっぱり来たのね」
「エストさん、おはようごさいます!」
「はい、おはよう」
アシュレイの挨拶をすると、ニコリと笑顔を返す。
エストはザインゲヘナに派遣されている役人だ。役人は一、二年で入れ替わることが多いが、彼女は珍しく長期に渡って働いている。アシュレイがザインゲヘナに来ることになって、少ししてから派遣されてきたので同期のようなものだ。だからと言うわけではないだろうが、アシュレイ――というよりザインゲヘナの住民に対して淡々と接する他の役人に比べると対応が柔らかい。
「今日で一四歳ね。おめでとう」
「ありがとうございます! ディガー登録をお願いします!」
「うーん。そんな風に笑顔で登録するものじゃないんだけどね……」
自主的にディガーになりたいと願う者は、いないわけではない。むしろ、ザインゲヘナで育った子供たちは、ある程度の年頃になるとまるで
危険を顧みず魔窟に挑み、お宝や未知の資源を持ち帰る。それだけを聞けば、憧れる気持ちもわからなくはない。彼らの周りには多くのディガーがいるのだ。その影響は大きい。
とはいえ、ディガーの実情は奴隷に近い。魔窟に挑むのは名誉や冒険心を満たすためではなく、ノルマを果たすためである。
子供たちも成長するにつれて、その事実に気がつく。登録が可能な一四歳になる頃には、ほとんどがディガーになる気をなくすものなのだが。
「考え直す気は……まあ、ないわよねぇ」
「はい!」
ニコニコと笑う姿を見て、エストはため息を吐く。今更危険性を訴えたところで無駄なのは明らかだ。それで考え直すようなら、とっくに諦めているはず。もう何度も説得しているのだから。
「……わかりました。それじゃ、ついてきて。登録にあたって面談があります」
「面談? 初めて聞きますけど」
「やったりやらなかったりね。アシュレイ君みたいに、街の若い子が登録するときにはやるの」
「ああ、そういうのか」
「そういうのよ」
最後の説得だろうなと思いつつ、アシュレイは素直に従う。必要があるなら、面談とやらも受けるだけだ。何度も引き止められて少しだけうんざりもするが、同時にありがたくも思っている。心配してくれる人がいるっていうのは、やっぱりうれしい。
案内されたのは兵長室だった。エストが扉を軽くノックする。
「兵長。アシュレイ君が来ましたよ」
「ああ、やっぱりか。入ってくれ」
声に促され、部屋の中へ。迎えたのは茶髪の中年男だ。腹部にほんの少し弛みがあるが、がっしりと引き締まった体つき。背もそこそこ高いので威圧感がある。兵長のカシウスだ。
兵長はザインゲヘナに駐在する兵士たちのまとめ役である。立場としては衛士隊のトップ。同格のまとめ役が他にもいるので全体のトップというわけではないが、それでも上から数えた方が早い。
とはいえ、アシュレイに緊張はない。すでに面識があり、権力を笠に着るような人物ではないと知っている。
「おはようございます、カシウスさん」
「おお、おはよう。エスト君も、案内ご苦労だった」
「いえ。それでは私はこれで。説得頑張ってくださいね」
「頑張りはするけどなぁ」
カシウスの下がった眉を見て、苦笑いのままエストが退室する。心配をかけているんだなとしみじみ思うが、ここで決意を曲げるつもりはない。にへらと緩い顔を少しだけ引き締めて、アシュレイはカシウスと向き合った。
「面接って聞きましたけど」
「そうだ。まあ、そう難しいものじゃない。最終確認みたいなものだ。まぁ、まずは座れ」
椅子を勧められるので素直に腰を下ろす。それを待ってから、カシウスが話を切り出した。
「ディガーへの登録、撤回する気はないんだな」
「ないよ」
間髪を入れずに返事をすると、やれやれと顔を振られる。黙って見つめると、大きなため息とともに次の言葉が吐き出された。
「まあ、今更、止められるとも思ってない。それはいいとして、だ。本当にチームを維持するつもりなのか」
「もちろん」
「軽く考えてないか。一人でチームを維持するなんて、魔窟に慣れたベテランでも負担が大きいんだぞ。ノルマが果たせずに、結局は解体になるのが目に見えている」
今度はさきほどよりも強い口調。それだけにカシウスの危惧が伝わる。それを真っ向から受け止めて、アシュレイは微笑む。
「そうだね。難しいってことはわかってるよ。無理かもしれない……けど、試すことなく諦めることはしたくないんだ。もし、駄目だったら素直に解体するよ」
「素直にねぇ」
カシウスの顔に浮かぶのは呆れの色。どの口がといったところか。素直に諦められるならば、こんな事態にはなっていない。ノルマが達成できそうにない状況になれば、アシュレイは必死になってどうにかしようと藻掻くのは想像に難くなかった。
藻掻いてノルマを達成できれば良い。しかし、現実はきっと甘くない。焦りは視野を狭め、本来の実力を発揮できなくするのだ。その結果、命を落とすことになったディガーをカシウスは何人も知っている。
「約束しろ、無理だけはするな。大きな怪我を負えば、個人ノルマの達成も危うくなるんだからな」
「わかってる」
ディガーに怪我はつきもの。だが、それでノルマが免除されるわけでもない。長期の休養を必要とするような大怪我を負った場合、達成は厳しくなる。チームに属していれば、内部で調整し、補填することもできる。だが、アシュレイのチーム“地底の綺羅星”は、所属員が彼一人。実質的には個人と変わりない。それどころか、チーム維持分のノルマが加算されるため、達成難度が本来よりも数段上だ。休養を要する怪我を負ったらアウトと思わなければならない。
真剣な表情で頷くアシュレイ。その様子をしばらく見つめて、カシウスがぽつりと呟く。
「なぁ、アシュレイ。お前、俺の息子になるか?」
「……どういうこと?」
「どういうことも何も、そのままだよ。養子にならないかってことだ」
「えぇ?」
不審そうに顔を窺ってくるアシュレイに、カシウスは顔を顰めた。
「なんだよ。嫌なのか」
「嫌ってわけじゃないよ。でも、何でまたそんなこと言い出したの。いきなりじゃない」
「嫌じゃないならいいだろ」
「うーん。やっぱり理由は気になるよね」
へにょりと眉の下がった顔。困惑の表情を認めて、カシウスは嘆息する。少々気まずいが言わなければ納得しないらしい。
「俺の息子になら、督務のヤツらも多少は融通を利かすかもしれないだろ?」
「ええ!? もしかして、カシウスさん、僕が個人ノルマすら達成できないと思ってるの?」
「違う、そうじゃない。あくまでもしものときの保険だって」
督務隊もまたラシュトー伯爵の兵だ。その役割はディガーの働きを監督すること。とはいえ、優秀なディガーが関わることはほとんどない。何故ならば、彼らが監督するのは落伍者を集めた懲罰チームだからだ。些細なノルマ不達ならば即時にというわけでもないが、二度三度と繰り返せば強制編入される。
督務隊の監視の下で休みなく長時間労働を強いられる懲罰チームは控えめに言って地獄。役立たずは使い潰しても構わないという発想で働かせているので死者も多い。一度そこに身を落としてしまえば浮上するのも困難。避けられるものならば、どんな手を使ってでも避けた方が良い。
カシウスの提案には“兵長の義理の息子”という肩書きを与え、懲罰チーム送りを避けられないかという狙いがある。しかし、アシュレイは浮かない表情だ。
「あの人たちが、それくらいで引き下がるとは思えないよ。むしろカシウスさんを攻撃する材料にするんじゃない?」
「それは……たしかにそうかもしれないが」
カシウス率いる衛士隊は、ディガーたちに同情的な者が多い。一方で、督務隊にはディガーなど使い捨てても構わないと主張する者までいる。そこまでするのは先鋭的な一部の者だが、全体的にディガーには冷ややかで優遇する必要はないと考えている者達の集まりだ。
そのことを踏まえると、養子としたところでアシュレイが有利になることはない。それどころか、カシウスを攻撃する材料にされる可能性が高かった。
「でしょう? カシウスさんに迷惑はかけられないよ」
「……迷惑をかけないって言うなら、ディガーを諦めてくれるのが一番なんだが」
「ごめん。それは無理」
きっぱりと断られて、思わず苦笑いが出る。予想はしていたが、諦めさせることはできないらしい。
「まったく、頑固者め。そんなところまで、受け継ぐ必要はないだろうに」
アシュレイが引き継いだ“地上の綺羅星”、そのチームメンバーも頑固者ばかりだった。チクリと刺したつもりが、アシュレイは嬉しそうに笑っている。処置なしだ。
「……わかった。ディガー登録を認めよう。くれぐれも安全には気をつけるようにな」
「はい!」
元気の良い返事に、少し顔も
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