地の底で輝く綺羅星~アビス落ちした少年が至るのは楽園かそれとも~
小龍ろん
1. 翡翠の目の少年
朝を告げるラッパの音で少年は目を覚ます。彼の名前はアシュレイ。やや青みがかった銀髪と
美しい容姿と溢れる気品。それらはときに近寄りがたい印象を与える。しかし、アシュレイに限っては、そんな心配は不要だった。表情を緩めると、にへらと締まりのない笑顔が浮かぶ。高貴な雰囲気は嘘のように霧散し、途端に親しみやすい印象となる。
窓の外はいつもと同じく薄暗い。それは当然のこと。ここはザインゲヘナ。地の底に続く大穴――アビスの壁面に作られた都市なのだから。
大穴のそばの区画ならばともかく、奥まった場所にあるこの建物に日の光は届かない。代わりの光源は、都市のあちこちに配置された蒼光石が放つ青い光だ。そのため、昼夜通して明るさがほとんど変化しない。
ここに来た当初、アシュレイは昼夜の感覚があやふやになり、夜に寝付けず、朝もすっきり目覚められなかった。だが、それも昔の話だ。五年も生活していればさすがに慣れる。
「よし、起きる!」
ベッドから跳ね起きる。いつもと同じように顔を洗い、質素な食事をとった。しかし、いつも通りはそこまで。今日は特別な日だ。
いつもより少し上等な服を着て、外に出る。普段ならば近くの宿屋に向かうところだが、今日は違う。宿屋を通り過ぎて、人通りのない道をぐんぐん進む。
大穴方面に四半刻ほど進めば、差し込んでくる光でかなり明るい。さらに進むと、やがて市壁にぶつかった。ザインゲヘナの内と外を繋ぐ唯一の門が見えるが、その扉は固く閉ざされている。あの大扉が開くのは人と物資の出入りがあるごく短い間だけだ。
「……さすがにまだ早いかな」
用事があるのは、市壁のそばにある役場だ。とはいえ、朝のラッパからまだ半刻と少々。役場が開く時間には少し……いや、かなり早い。入り口前で待ったところで、早めに手続きをしてくれるはずもない。
それならと、アシュレイは寄り道をすることにする。そもそも家を出るのが早すぎるということはわかっていた。もともと、どこかで時間を潰すつもりだったのだ。この近くで時間が潰せる場所といえば、やはりあそこだ。
閉ざされた門のすぐそばまで進む。市壁はアシュレイの背の倍以上は高い。その脇には市壁を飛び越えようとする不届き者がいないか見張るための監視塔がある。そこに知っている顔を見つけて、アシュレイは大きく手を振った。
「おはよう、ラーグさん!」
「アシュレイか。早いな」
それに気づいた男も手を振る。アシュレイが塔の
「おい、勝手に登るなって。衛兵以外は立ち入り禁止なんだぞ、一応」
「いつも登らせてくれるでしょ」
「本当は駄目なんだって。うるさい奴に見つかったら面倒なことになるぞ。まあ、今なら大丈夫だと思うけどな」
「ありがとうね」
にっこり笑いかけると、苦笑いから苦さが消える。ラーグは子供好きでアシュレイに甘い。こうしたやり取りも、数え切れないほどやっている。監視任務につく衛兵としては落第点と言わざるを得ないが、ザインゲヘナに常駐する衛兵たちの半数はこんなものだ。住人に……特に子供には甘い。その根本にあるのは同情だった。幼い頃からこの監獄のような街に囚われてしまったことへの。
しかし、同情を受ける当の本人に暗い表情はない。ニコニコと笑顔で、街の外の様子を眺めている。身を乗り出しすぎて、少しハラハラするほどだ。いつものことと思いつつ、ラーグはアシュレイの両肩に手を置く。
「おい、危ないぞ。もう少し下がれ」
「あ、ごめんごめん」
声をかけるとバツが悪そうに振り返るが、またすぐに同じことを繰り返す。やれやれとラーグは肩を握る手に力を込めた。いつか塔から転げ落ちてしまうんじゃないかと気が気ではない。市壁の向こうは道を挟んですぐそばに大穴がぽっかりと口を開いているのだ。うっかり落ちれば怪我ではすまない。
「アシュレイは本当にアビスを眺めるのが好きだな」
「だって、凄いよね。どうやったらこんな穴ができるんだろう」
アビス。それは世界各地に存在する謎の大穴だ。その規模は凄まじく、縁から向こうの縁が見えないほど大きい。縁の周りをゆっくり歩けば大袈裟ではなく一日仕事となる。
穴の大きさもさることながら、深さも尋常ではなかった。どれくらい深いかと言えば、それは誰も知らない。何せ、ぽっかりと空いた大穴の先は真っ暗で何も見えないのだ。その底にたどり着いた者はいないとされている。少なくとも公の記録では。
「ある日突然できるっていう話だけどな」
アビスは人の手で作られたわけではなく、自然発生したものだ。アシュレイが眺める大穴も、二百年ほど前に突如として大地に現れたと言われている。発生原理は一切不明。発生も一度きりではなく、十年と少し前にも隣国にアビスができたとして騒然となった。
結局のところ、何一つ詳しいことはわかっていない。人智を超えたもの。それがアビスだ。
「今日はお前の誕生日だよな。おめでとう」
「あ、覚えてたんだ。ありがとう」
今日はアシュレイの十四となる誕生日だった。おめでとうと祝いつつも、ラーグの表情を浮かない。その理由を知っているアシュレイは少し困ったように微笑んだ。
「……本当に
しばらくの沈黙のあと、ラーグがおもむろに切り出す。言われると予想していたアシュレイは、微笑みを消して真剣な顔で頷く。
「うん。そのつもりだよ」
「ディガーは危険な仕事だ。ザインゲヘナにいるからといって、お前には他の仕事に就く選択肢だってあるだろ。あえてディガーを選ぶことはないんだぞ。……まあ、俺たちが言えた義理じゃないんだが」
ザインゲヘナは流刑地のような側面がある。ラシュトー伯爵領で罪を犯した者は、ほとんどがザインゲヘナへと送られディガーとして働くことを強いられるのだ。住人の大半はそうした罪人、もしくはその子孫である。罪を犯した当人はともかく、子孫に罪はないはずだが、それでも解放されることはない。一度ザインゲヘナの住人になってしまえば、外に出ることは叶わないのだ。
アシュレイはザインゲヘナの生まれではない。犯罪者として八歳の頃にここに連れられてきた。罪状は窃盗。とはいえ、それは適当にでっちあげられた罪である。つまり冤罪だ。
アビス発生以来、ラシュトー伯爵家はその開発に力を入れている。労働力はいくらあっても足りない。そのため、伯爵家は定期的にスラム街に兵を入れ、その住民を罪人として裁くことを思いついた。
スラムの住人は日々生活に困窮し、犯罪に手を染める者も少なくない。だが、その全てが犯罪者というわけでもない。
しかし、そんなことは関係がなかった。伯爵の兵は目につく住人を全て捕らえ、適当な罪状でザインゲヘナへと送る。あまりにも無法が過ぎるが、それで伯爵家が領民の反発を受けることはない。スラムの住人が治安を悪化させるのは事実だ。スラム以外の住人にはむしろ感謝される施策だった。無論、冤罪でアビスに送られる者たちにとっては堪ったものではないが。
ラーグはその辺りの事情も知っている。ラシュトー伯爵家の兵ではあるが、ザインゲヘナでの生活が長い兵たちの仲にはディガーに同情的な者も多く、彼もその一人だ。幼い頃から知っているアシュレイが、危険な仕事に就くと聞いて心穏やかではいられなかった。
アシュレイとしても、ラーグが自分を心配してくれるのはわかっている。それでも、決意は変わらない。
「ありがとう。でも、ごめんね。僕はディガーになるよ。“地上の綺羅星”を守りたいんだ」
翡翠の目には強い意志が宿っていた。その目を見て、ラーグは引き止めても無駄だと悟る。体は小さくとも、志は大きい。その勇姿はラーグが親しくしていたディガーたちと重なって見えた。ある日、忽然といなくなった彼らの姿と。
「……そうか、わかった。でも、死ぬなよ! 絶対に死ぬなよ!」
熱いものが溢れそうになり咄嗟に空を仰ぐ。が、無駄だった。ポロポロと零れる涙にアシュレイが慌てふためく気配がする。
「だ、大丈夫だよ! 大丈夫だから、泣かないでよ、ラーグさん!」
「うるせー、こういうときは指摘するんじゃなくてそっとしておくんだよ! そら、もう役場も開くぞ! 行け!」
「わ、わかったよ!」
あたふたと梯子を下りていくアシュレイ。それを見送りながら、妙におかしくなったラーグは泣きながら笑う。
「……本当に死ぬなよ。ここじゃ良い奴ばかり死んでいくんだからな」
やたらと涙もろくなったことに年齢を感じつつ、ラーグはアシュレイの無事を祈った。
◆ 注釈 ◆ 本作品の時間表現
一刻 = 二時間
四半刻 = 三〇分
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