第2話 中編 死と遊ぶ少年


 洞窟の中で蒼白い光が揺らめく。

 

 (これは……救いなのだろうか……!?)


 冒険者たちの絶叫が響く喧騒の中、突然現れたとして謎の少年。

 

 (それとも悪夢なのか?)

 

 闇を纏うような外套。艶やか黒髪。

 その堂々たる姿勢――自然体に、逃げ惑う冒険者達は誰一人として彼にぶつかる者はいなかった。

 

 まるで深淵から生まれ堕ちたかのような実体のない存在。

 

 俺はその姿に戸惑っていた。

 

 そして、死と生の曖昧な境界線の上で、不謹慎に嘲笑う『仮面』。


 その二つの穴から不気味な真紅の瞳が、こちらを見つめていた。

 

 目の前に垂れ下がる糸のような、か細い希望に――。

 

 俺は必死に口を動かす……。


 しかし。

 

 その『仮面』はこちらを向いたまま、ただ『笑っている』だけだった……。

 

 ――不意に悲鳴が消え……訪れる静寂。

 淡い<魔方円陣>の光が、暗闇へと沈んでいく。

 

 俺はその姿に失望していた。

 なぜなら、その少年は<魔術杖ケーリュケイオン>どころか、剣や盾などの武器すら持ち合わせていなかったからだ。

 それは、何の準備もせずにこの危険な場所へと足を踏み入れた初心者で、俺達と同様――罠に嵌った間抜けな冒険者ということ。

 

 やがて、仄暗い洞窟内に……上品さの欠片もない、残忍な咀嚼の音が聴こえ始める。

 

 (せめて……大人しくしていてくれよ……)


 奴らにとっては、この少年は檻に放り込まれた新鮮な肉に過ぎない。

 

 だが、この儚い願いは……。


 次の瞬間、露と消えるのだった。


 ――唐突に聞こえてくる無邪気な鼻歌。

 

 (――何をしているのだ!!?)

 

 屍の臭いが漂う洞窟内に、呑気な子供の聖歌が響き渡る。


 ――何かを察知する獣の息遣いが聞こえ……獲物を嗅ぎ分ける、荒々しい鼻音を発し始める。


 そして……。

 

 ――猛獣の咆哮が鼓膜を揺らす。


 全身を引き裂くような威嚇音が響き渡り、目を凝らして見つめる先、巨大な影が直立する。


 薄暗がりの中、一体の魔物が筋骨隆々の巨漢を震わせ、地響きを鳴らす。


 それは確実に獲物を定めた合図だった。

 

 この時、俺はこの後に起きるであろう、凄惨な光景が容易に想像できた。

 

 そして、それはすぐに現実のものとなる。

 

 ――猛スピードで走り出す大きな体躯。

 

 洞窟内を揺らす足音が、無防備な少年へと迫る。

 

 しかし、真紅の瞳は、じっとこちらを凝視している。


 (馬鹿か!! 早く逃げろよ!!)

 

 よそ見を続ける小さな体躯……その頭上に。

 

 ――瞬間、高々と掲げられた巨大な斧が怪しい光を放つ。


 (終わった……)

 

 即座に――その剛腕から無慈悲に振り下ろされる鉄の斧が――少年の身体を真っ二つにし――地面には大きな亀裂が走る。


 だが……。

 

 俺は……我が目を疑った。

 

 悲鳴が聞こえてこない……。

 

 どころか……。


 血飛沫すら上がっていないのである。

 

 その事実に混乱する。


 


 (運よく……的が外れたのか?)


 その俺の感想と……全く同じ感情を抱いているのだろうか。

 <牛鬼オーグル>は、不思議そうに得物の手元を確かめる挙動を見せていた。

 

 そして、『』が、それを傍観していた。


 (なぜ……逃げない!!?)


 肥大した腕の筋肉に青筋を立て、すぐさま地面に突き刺さった大斧を引き抜く。

 今度は確実に仕留めるため――狙いを定め、<牛鬼オーグル>は再び、振りかぶる。

 

 そして、再び放たれる力任せの一撃。


 刹那――辛うじて、俺はその一瞬をこの目で捉えることに成功するのだった。


 それは巨大な斧を振り下ろされる――と同時に少年が一歩前へと進む。

 すると……またしても、魔物の攻撃が空を斬るのだった。


 (これは偶然か?)


 俺は頭を振り、その考えを否定する。


 (いや、少年が……あの攻撃を避けたんだ……)

 

 確信はないが、俺にはそう視えていた。

 それは魔物が大斧を振るう瞬間――少年は、、その

 

 何より驚くべきは、俺がそんな単純な動きを

 

 (あの少年の動きは一体……!!?)

 

 長年冒険者をやっている俺から見ても、あの動きは異常――いや、

 

 攻撃を避けたというより、その辺を散歩するかのように歩いた、だけの動作である。


 まるで……、のようだった。


 (確かに偶然が重なれば奇跡になる……が……)

 

 激昂する雄叫びが鳴り響く。

 <牛鬼オーグル>が少年に向け、熾烈な連撃を見舞う。

 斧を振るうたびに力強い筋肉が躍動し、暗闇の中で燃え盛るような魔物の眼光が残像を描く。

 

 巨大な斧が地面を抉り――堅固な岩壁を削り取る。

 標的を決して逃がさない獰猛な執念が窺える。

 

 ところかまわず破壊の限りを尽くす、容赦のない猛攻。

 

 しかし……。


 呑気な鼻歌が途切れることはなかった。

 

 ひらひらと左右半身の転換を繰り返し、一呼吸も乱れず最小限の動きで躱し続ける。


 結果、魔物の斬撃が面白いように空を切り裂くのだった。

 

 (ここまで奇跡が重なれば、それはもはや必然といっていいのではないか……)


 俺はそんな錯覚に陥っていた。

 

 そして、その異変は、化物達も感じているのか……。


 夢中で食事をする手を止め、連鎖する殺意。


 ――怒り狂う雄叫びが重なる。

 

 我先にと――四体の地響きが……怒涛の勢いで少年に襲いかかるのだった。

 

 一斉に振り上られた大斧が小さな獲物を狙い定める。

 ――と同時に、少年は氷の上を滑るようなバックステップを見せた。

 

 その呼び動作の無い動きが、緩やかな緩急を作り、まるで瞬間移動のような残像を生み出す。

 

 刹那、重なる斬撃がそれを切り裂く。

 

 凄まじい風圧が少年の黒髪が揺らし、小さな身体が木の葉のようにするりと一体の魔物の死角へと入り込む。

 

 すると、一体の<牛鬼オーグル>が地団駄を踏み――背後に待ち構える後続は狙いが絞れずに衝突した。

 

 少年は、続々と襲いくる攻勢を流れるように捌き、しまいには一回転、踊り子のような軽やかなステップを踏む。

 

 その手の鳴るほうへと――挑発するような上機嫌な鼻歌。

 

 化物同士が押し合い、もつれ合い……やがて身体のバランスを崩し、転倒。後続の魔獣の進行を妨げ、躓く――それが次々と連鎖し、巨体がバタバタと倒れこみ織り重なる。

 

(ありえない……)


 次第に、化物たちが小さな少年を必死に追い回す構図――鬼ごっこのような状況が繰り広げられていたのだった。

 

(一体、あの少年は何者なんだ……!?)

 

 俺は、滑稽な喜劇を観ているかのような錯覚に囚われ、啞然とさせられていた。

 

 激しく入り乱れる疾風怒濤の戦闘に、まるで一人だけ異なる次元にいるかのような。

 

 少年の周囲だけが、そんなゆっくりとした時を刻んでいるのだ。


 (これは……魔法、魔術ではない……戦闘技術だ)

 

 この少年の動きを全て理解できたわけではないが、俺にはそんな確信があった。

 彼は必ず一対一の状況になるように、魔物達の動きを巧み操り、支配していたからである。

 

 それでもなお、目の前で繰り広げられる光景を上手く受け入れることは出来なかった。

 

 なぜなら、<牛鬼オーグル>の振るう大斧は、たった一撃……。その一撃で人間の頭蓋骨など粉砕し、身体を真っ二つにする文字通りの『必殺』の攻撃である。

 

 それをこんなにも安々と躱し続けられるのは……もはや神業だ。

 

 そして、何よりも……。


 その綱渡りを

 

 (狂ってやがる……)

 

 やがて、一つの演目が終わるように鼻歌が止まり……『笑う仮面』の下で、少年の口角が吊り上がる。


 その姿に俺の全身が総毛立つ。


 (間違いない……この危機的状況を楽しんでやがる……)

 

 俺の目には……。

 

 


 そんな風に視えていたのだった。


 「……ヴィオラ、来られる?」

 

 突如、少年の軽やかな声が響く。

 

  あたかも誰かと会話しているかのような独り言。それに俺が疑問を抱いた時――。


 ――上空に浮かび上がる蒼白い光。それは新たな<魔方円陣>。

 

 そこから降りてきたのは、少年と同じ漆黒の外套に――『笑う仮面』。


 しかし、明らかに違うのは、その髪色だった……。


 綺麗な碧色のショートヘアの

 

 「遅くなり申し訳ありません。援護いたしましょうか?」

 

 「――いいよ♪ それよりも……」

 

 少年は<牛鬼オーグル>の猛追を躱しながら、片手間でこちらを指し示す。

 

 「承知しました」

 

 『仮面』の少女は、何かを察知して頷くと、すぐにこちらへと駆け寄るのだった。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 少女は俺の状態を確認し、使い古された冒険者服の裾をめくる。

 大きく抉れた傷跡から流れ出す鮮血。それはかなりの深手だった。

 

 「少し痛みます、我慢してください……」

 

 そう言いながら、彼女は患部に布を傷口に当て、手のひらで圧迫して止血する。

 そして、激痛で声を上げそうになる俺の口を小さな手で塞ぎ、詠唱を始めた。

 

 皮膚を焼くような激しい痛みと立ち昇る……俺の意識は徐々に遠のいていく。


 「こちらを……」


 その前に、少女は紫色の怪しい液体が入った試験管を差し出し、飲むように促してきた。

 俺は朦朧とした意識の中、いわれるがまま、その液体を口にする。


 「私の手に意識を集中してください……」

 

 握られた少女の手から伝わる温もりが、俺の全身を巡る。


 「そうです……ゆっくりと感じて下さい……」

 

 体が熱くなり、徐々に楽になっていく。

 

 (何を飲まされたんだ?)


 まるで嘘のように和らいでく痛み。そして、異常なこの


 「立てますか?」

 

 状況が理解できないまま、俺は「すまない……」と掠れた声で呟く。

 

 (声が戻った……!?)

 

 そして、少女の小さな肩を借り、なんとか起き上がるのだった。

 

 「…………♪」


 その声に……俺は顔を上げた。


 少年が無造作に手を払う動作を見せる。

 

 空中で勢いよく回転する大きな物体。

 

 よく視るとそれは……だった。

 

 二つ、三つ……と……首を失った巨体がよろよろと歩き……やがて地面に崩れ落ち……。

 

 勢いよく噴き出る血飛沫が、洞窟内に朱い雨を降らせていた。


 (……今……何を!?)


 少年の手から伸びる一筋の朱色の線。

 

 それがを形どる。


 そして……。


 『笑う仮面』を中心に、辺りは一瞬にして沈黙するのだった。

 

  突然灯される松明が少年の『笑う仮面』をはっきりと照らす。

 

 俺はその時、確かに見た。

 

 彼の『仮面』の隙間から、わずかに視える素顔は……。

 

 可憐な少女かと見紛うほどの中性的で整った顔立ち。

 血生臭さとは無縁そうな穏やかな微笑みを浮かべる。

 

 「ヴィオラ。もう、大丈夫だよ♪」

 

 それは、まだあどけなさが残る美しい少年だった。

 

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