第29話 屋敷鷹――【ハエトリグモ】

 落ちていく。堕ちていく。

 わた■しの感情が落ちていく。


 感情が、体が、記憶が、思考が。

 すべてが無になっていく。


 そこは、暗がり、わた■しの世界。 

 ダンジョンの奥深く、暗闇の中。薄暗い木陰の下。ほこりにまみれた洞窟の中、蜘蛛の糸が一面に張り巡らされている。蜘蛛の巣に張り付くのは、小さな小さな蜘蛛の魔物。わた■しの――眷属。

 ずっと、ここに閉じ込められている。

 ずっと、ここから出られない。

 そう確信していた。


 わた■しはあの日からずっと、今でもずっと、ここの中にいた。

 失われた記憶の、上塗りされた記憶の中にある原型オリジナル。過去に取り残されたまま、いつまでたってもそこにいた。

 

 でもそれすらも、自分の物ではなかった。


 じゃあわた■しって一体何なの?


 ここはあの閉じ込められた部屋の中。見知らぬ世界に訪れて、見知らぬ人にさらわれて、お母さんも、お父さんもいない。

 知らない言葉、知らない空気。初めて知る、完全な孤独。

 背中が冷たくて、こわくて、さむくて、ふるえてて、これからなにをされるのかわからなくて。


 やだ。

 もういやだ。

 かえりたい。


 だけどここはもう異世界。帰るべき家などなく、友達にも、両親にも二度と会える事は無い。


 そしてわた■しはもうわた■しではない。


 大きな大きな体。ダンジョンの天井をぶち抜くほどの巨大な体。このダンジョンの、主。


 複眼。8つの目。人間と同じ視界はそこにはない。涙を流すことも。

 

 虫を食べるための顎が生えている。会話をするための口はそこにはない。


 頭から生える触覚。部屋中の感覚が流れ込んでくる。情報量を、処理しきれない。怖い。

 

 丸々と肥え太った腹部。いくら食べても太らない体質だったのに。

 

 翅は切り刻まれ、満足に飛ぶことはできない。何のための、翅なんだろう。

 

 複数に生えた足。それは節足。数節の足には毛が生えている。先は爪のようにとがっている。

 この手足では、武器を持つことも、誰かの手を握る事も。

 もう料理を作る事も、出来ない。


 それはクモ。ハエトリクモ。

 

 それは鷹でなかりせば、いうなれば座敷鷹。

 鷹のように獲物はとる事は出来ても、それは所詮ハエ。

 障子で囲まれた狭い狭い座敷の中で、得意げに弱弱しい虫を狩っている。


 ここは蜘蛛の糸で囲まれた薄暗い一室。

 そこで、いつまでもいつまでもあの人を焦がれ待ち続けている――


 でも、そんな奇跡はもう、二度目は起きないと。思っている。

 思い込んでいる。


 会うのが、怖い。


 次に会うときは、わた■しを、魔物みたいに、雑魚みたいに、やすやすと。

 変わり果てたわた■しを、魔物になったわた■しを。

 いとも簡単に、殺してしまうのではないのかと。

 虫のように。大量のスキルで、刻まれてしまうのではないのかと。


 わた■しだと、きづいて、くれないのではないのかと。


 再会した時――いや、異世界で、はじめてあったときのように。

 シン日本に迎えに来たあの時のように。

 わた■しを、わた■しだと、気づいてくれないのではないのかと。

 かなしかった。折角さいかいしたのに、気づいてくれなかったのが。

 その理由が、わた■しのほうが、にせものだからなんて。


 こわい。

 また、うらぎられるのが。


 ねえ、こないで。


 きづいてよ――




 


「来るよ」


 

 

 衝撃。

 壁がぶち抜かれる音がする。



「来るに決まってんだろ」




 敏感なセンサーが、その衝撃を自分の体中に響かせる。

 そして、どこかから、光が――

 

 


「来ないわけねえだろ。テイマーが」






 声。

 あの人の、声。





「困ってる事がありゃ相談してくれりゃいいのにさ。……まあ、そこをどうにかするのがテイマーの腕の見せ所なのに……」



 かつ、かつ、と靴音が近づいてくる。




「ごめんな、童子ちゃん。何とかしてやれなくて」



 そう言って、あの人は。




 華維さんは、頭を下げた。




 「ところで――待った?」 


 


 来ないと思ってたのに。



「俺は、童子ちゃんのテイマーだぜ? ミニオンを見捨てるなんてことあるかよ」


 こんな体になったのに?

 もう、魔物になったのに?


「……ミニオンって普通魔物だぜ、いまさら魔物相手に怖じ気ずくタマじゃないよ」


 倒さないの?


「倒さなきゃならん魔物は倒す。そうじゃない魔物は倒さない。ましてや、童子ちゃんに手を出す理由はないだろ」


 気づいて、くれないかと思ったのに。

 あなたを迎えに来た時みたいに。


「あーうん……ごめん、本当にな。でもさ……言い訳だけど。俺の【個人識別】ってスキルなんだけどさ。魂が同じ人間をそうと識別する感じのスキルなんだが、反応しなくってさあ……」


 

……つまり?

 



「別人って事だろ、小鳥遊童子は、鷹柁萌と全然違う、一人の個人として成立したって事だろ」



 ――。

 


「同じ人間、同じ魂、同じ記憶、それから生まれたコピーでも、異なる生き方をすれば、やがて別の人間になりえるって事さ。……だいたい鷹柁が使ってたのは【鷹】の魔物だったし、【蜘蛛】の時点で全然違うって言うか……」

 


 ……そっか。

 単なる、考えすぎだったんだ。

 わた■しは、わたくしであって、わたしではなくって。

 

 あなたは、わたくしをわたくしだと、見てくれたから。


「さみしかったろ、気づいてやれなくてごめんな。そんでもって……よく、頑張ったよ」

 

 近くにある柱に飛び乗り、そっと手を伸ばし、頭を、撫でられる。

 と同じように。


 これは、どのとき?


 これは、わたしが、華維さんがあの部屋から連れ出してきてくれた、あの時と――



 

 

 でも、涙は流れない。

 

 この体はもう、人ではない。

 もう、取り返しが、つかなくなって――



「……今からちょっデリカシーのない事言うけどさあ……ミニオンってまあ、レベル上げたら【進化】する訳よ。それで全然別の体になっちゃって困惑したりとかまあある訳だけどさ。……その分ステータスは上がってる訳よ。こっから育てたらもっと強くなるんじゃないかな」



 ……。

 本当にデリカシーないですね。

 


 

「でもさ、やなんだろ。人間の姿に戻りたいんだろ」


 

 ……。

 戻れる、の?


 

「人間、やろうと思えばなんだって出来るもんさ。そうと気づかないだけで」



 だからわたくしは。今は人では。



「やれない事をやるのに必要な事は、血のにじむような努力と、成功までの道筋と、それを導く他人の手助け。あとは……出来ると信じる事だぜ」



華維さんは、わたくしの触覚を掴んだ。

温かさが、伝わってくる。

 


「だから、テイマーの俺を信じな。そのくらい……あとはちょっと、童子ちゃんが頑張るだけさ」


 ――。


 でも。

 どうするの?

 どうしたらいいんですか?


 どうしたらまた……あなたに、料理を作って、あげられますか?


 

「そうだな……まず、このダンジョンを綺麗にする所からかな」



 ……。

 なんで?

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