第5話 雪朝
「相変わらず豪雪だな」
朝食を済ませ、外に出ると神使社務所の庭は雪で真っ白になっていた。池には熱交換式符が設置されているので凍結していないが、柊が大切にしている盆栽には雪が被り、松の木は雪化粧を施されている。
裡辺を基準として形成されている幽世は全地域が豪雪地帯で、この時期は大抵みんな雪に苦しむ。屋根の上では嶺慈が雪かきに駆り出され言霊で雪を吹っ飛ばし、かき飛ばしていた。
「うずうずする」
菘が雪を前に尻尾をウズウズさせた。ふかふかのコートを着て手袋までしていたのに彼女はあっけなく変化を解き狐の姿に戻ると、雪に突っ込んだ。
夜葉が「あらら」と言って雪原ではしゃぎ回る菘と、早速雪玉を作ってぶつけ合う桜花と雷疾を見遣る。万里亜は雪だるまを作ろうと決めたらしく、手袋越しに雪を転がし始めた。
蕾花は夜葉、潤花共々子供の世話を任されていた。今朝は眠たかった。昨夜寝たのは二時過ぎで、起きたのは五時半。三時間も寝れば妖怪なら十分だが、蕾花は妖怪にしてはロングスリーパーで、六、七時間は寝たいと思っていた。
潤花は三時間睡眠で充分らしく、「甘酒でももらってきますね」と言って参拝道の方に向かう。
蕾花は縁側に腰掛け、あくびを噛み殺しながら「池に落ちんなよ」と注意する。
一応薄い結界を貼って池をガードしているので問題はないし、夜葉がいるのだから滅多なことはないだろうが、だからって油断はできない。
と、菘がネズミを咥えていた。
「それ誰かの式神ならぺっだぞ」
「しきがみじゃない。やせい」
「さっき朝飯食ったじゃん。おかわりしてたじゃん」
「うん、だからにがす」
菘は白ご飯を二杯おかわりしている。子供用茶碗とはいえ大盛り二杯だ。最近は菘もよく食べる。冬だから、食欲が増しているのかもしれない。
一方で蕾花は最近また瘴気風邪を引いたのもあり、明らかにそのダメージが内臓に来ていて、食べる量が減っていた。周りから心配されるほどではないにしろ、快調時の六割しか食べないので竜胆から「嫌なことあった?」と心配された。
むしろ創作活動も順調でいいことづくめである。ただ、本当に運が悪いだけで風邪を引いたのだ。
一般的な妖怪は、通常疾病に対し高い耐性を持つ。だが穢れた瘴気を吸い込みやすい退魔師は、その瘴気の影響で独特の風邪を引くことがあるのだ。
蕾花は特に邪神の邪気と瘴気が親和性を持つが故、その結合速度が速く、なるべく高頻度で禊やお祓いをしないと、すぐに体調を崩す弱点がある。
潤花が戻ってきた。分身に甘酒を持たせて、みんなに配る。菘も少女の姿に戻って、甘酒を啜った。潤花の分身が霧状に溶けて消える。
常闇之神社の甘酒は、山でなる薬草を煎じた屑を入れることで有名だ。白い酒粕に混じって、薄緑色の薬草の屑が浮かんでいる。
妖力の回復を助け、身の内の瘴気を祓う、アヤカシシキミという霊草である。
霊的なエネルギーが高い場所にしか実らず、現世で言えば魅雲連山などの裡辺でも一部の霊山でしか見られない。
「にいちゃん」
「ん?」
「チュウした?」
「んえっほ!」
菘から唐突にとんでもない爆弾を落とされ、蕾花は咽せた。
「するわけないだろ。まだ一ヶ月だぞ」
「おくてだなあ。もっとがっついてそうっておもった。それこそみんな、てごめにするんじゃないかって」
「多分身から出た錆なんだろうけど、俺にそんな勇気があったら今頃竜胆は傷物だぜ」
「にいさんかわいそう」
何言ってんだこの兄妹は、と潤花は思った。
潤花は生前、結婚詐欺に引っかかった経験から奥手にならざるを得ない性格になっていた。
妖怪向けの婚活パーティというものが、裡辺にはあった。
妖怪が優秀な子孫を残す場を設けるという退魔師主催のパーティだったが、そこに人間の詐欺グループが食い込み、潤花はそれに騙されて散々な目にあっていたのだ。
端的に言えば金を巻き上げられ、穢され、それをビデオフィルムに撮られオンライン販売された。
妖怪もののAVは高く売れる、という魂胆で、妖怪は無辜の人間に手はあげてはならないという掟を逆手に取った悪辣な犯罪である。
蕾花は軽薄だし、何を考えているかわからないし、強いくせにめちゃくちゃ弱いし、甘えん坊で自意識の肥大した典型的なアダルトチルドレンだが、根本的に人間に懐疑の目を向けるという点は、潤花と同じ視点を持っていた。
それに彼は、子供が嫌いとか苦手とかいう割に、なんだかんだ優しくしている。その、妙に人間臭い、いかにも人間的な感性は、妖怪には珍しく真剣だった。
矛盾を恐れない言動というか、一貫性のありすぎるやつの方が怖いみたいな考え方は、潤花も同じだからだ。
「寒い……寒すぎる」
蕾花がそう言って尻尾を己に巻き付ける。着流しに羽織にどてらという格好で、潤花は黙って隣に座って子供達を眺める。
「いちゃいちゃしてる!」
菘がそういった。
「全然違うくないか。くっついてるだけだ」
「そうですよ」
「でもすごくうれしそうだよ」
蕾花と潤花は顔を見合わせた。
長らく当たり前の幸福と遠ざかって——あるいは、遠ざけて——暮らしてきた彼らには、その普通の感覚が妙におかしく、吹き出してしまった。
「いちゃいちゃしてるー!」
菘が、面白そうに言った。
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