第6話 ゆめさきらいか

「小学生の頃にさ、やたらと俺の苗字でいじってくる同級生がいたんだよ」


 居間で、みんなが各々の雑談に興じる中、蕾花は燈真、蓮、嶺慈の男組と車座になってお茶を飲みながら、そんな話をした。

 三人の神使は「そういうのどこにでもいるよな」というふうに頷く。


「そんときは腹立って、なんか怒鳴って切れたんだけど、今思えばこの世界にここまでつまらん奴いるんだなって教えてくれてたんだなって思うんだよな。笑えるいじりなら俺も好きなんだよ。竜胆の毒舌とか絶妙じゃん、ああいうの」

「竜胆が毒舌なのって蕾花に対してだけじゃねえか? 俺竜胆に酷いこと言われた記憶ねえぞ」

「燈真は尊敬されてるからだろ。でも自覚してないいじりはあったんじゃね。いや、俺も二二九年生きてきてさ、こう……なんであの頃はあんなことでいちいち感情を上下させてたんだろうって思うことが増えてさ」


 蓮が、椎茸茶を啜って耳の裏をかく。肉厚の狼の耳が、ぴこっと揺れた。


「それはそれとして、あんなことさえなければって後悔も、やっぱあるだろ。俺は未だに、姉貴を傷つけた餓鬼どもを許せないし、もし目の前に現れたなら、多分姉貴が許したとしても俺は食いちぎって八つ裂きにする」

「家族を失った喪失感は、俺にはなかった。とっくに破綻してた家庭だったしな。でも、一番最初の世代の影法師が、円禍達以外を除いて死んだ時は……あれが原風景だよ。こんな不条理な世界ぶっ壊してやろうって思って、俺は全部叩き壊した」


 嶺慈が珍しく自分のことを語った。常世神に仲間の姿を幻視させられたことが、まだ尾を引いているのかもしれない。


「それはあるよ。こう、なんていうか……骨折とか、何針も縫うみたいな大怪我はないのに、小さい傷ばっか積み重なっていって、劇的なことは別になかったはずなのに、その小さい傷を放っておくからどんどん化膿して、自分が悪いのに被害者ぶるみたいな。そのくせ他人の傷も放って置けない変な道義心があるもんだから、同じ傷をトレースするように自傷して、悲劇に浸る悪癖とか」

「お前は心を自傷しすぎだ。妖怪だからって心まで超越的なものになるわけじゃない。体壊すほどコーヒー飲むのだって、ある種の自傷だろ。マジで、やめろよ。見てて気分のいいもんじゃない」


 燈真に真剣に叱られ、蕾花は「ごめん」と呟いた。

 そして、最近は叱られてばかりだな、と思った。妖怪としては大人だし、人間に換算しても成人だ。世間的にはお兄さんからおじさんに変わっていく世代で、だからこそ叱られることがみっともないと思う一方、きっと同世代のカタギの社会人はもっと理不尽に叱られているんだろうと思った。

 自分だけがなんだかこの中で酷く子供じみていて、幼稚で、ひたすらに純粋さを欲している気がした。人間とは汚いものだ、妖怪とは本能的だと嘯いて必死に理解したふりをしているが、その実どこかで聞き齧ったような知識を継ぎ接ぎして出力しているだけのエコーのようにも思えて、だからこそ、寝入りばな——潤花を抱きしめながら、みっともなく泣いて、「俺は何者なんだろう。幽霊なんだろうか」と漏らすことがある。


「みんな傷だらけさ。俺が見てきた明治の世も、大正も昭和も平成も令和も……妖怪も人間も傷だらけだった。転んだ時の受け身の取り方は何度か転ばないとわからんだろ。それに、咄嗟に受け身を取った先で貰い事故的に傷つくことすらある。お前だけが苦しいわけじゃないし、もちろん、お前が幸せになることを妬む奴がいたとして、じゃあ不幸せでいるので許してくださいってのは、俺は違うと思う」


 蓮は、そのように持論を展開してみせた。彼は続ける。


「俺は復讐者として牙を研いで、影法師にいたそいつらのうち二人を殺した。残る一人が離反者として抜けていると聞いて、俺の復讐は終わらないと思って、そんな奴が幸せになるのは間違いだと。子供は平等に恨めしいと己を洗脳し続けた。だけど菘や竜胆はそんなことお構いなしに、怖い顔した俺に懐いてきた。そのあまりにも純粋で優しいあいつらを見てたら、全部ぶっ壊れた。何百年、死してなお消えない怨嗟があっけなく吹き飛んだ」


 菘は椿姫の尻尾に、桜花と二人で沈み込んでいる。


「万里恵が俺の心の氷を溶かして、孤独を抱きしめてくれた。無性に泣きたくなって、俺は幸せになるべきじゃないって言ったら、万里恵にビンタされた。私はあんたと幸せになりたい、つって」


 万里恵らしいな、と思った。

 嶺慈は、己の手下の非道な行いを、全て知っている。その蟠りも、そこに向けられる周囲の憎しみも全部、一身に受け止めて、ここにいる。


「俺はもう、つらかったら円禍達に頼る。お前らとロジックが違うから、万年発情期でな。知ってるか、セックスにストレスを緩和する作用があるのは科学的に証明されているんだ。俺たちの関係が傍目には歪んでいて悍ましいことは理解している。だけど、今更自分のやり方を変える気なんてない。俺は傲慢でわがままだからな。抱きたいときは抱く。泣きたい時は泣く。大人だからって、プライベートでまで取り繕う必要ってあるか? その仮面は、格好をつけたがったりしたところで、自分を偽っていく恐怖しかない。俺たちだって弱い。それでいいだろ」


 蕾花は、少し、心が楽になった気がした。


「菘」

「んー?」

「お前の目には、俺は、どう見える?」


 菘は迷うことなく、言った。


「ゆめさきらいかにみえる」

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