第2話 常闇之神社——現状
「竜胆、俺の筆入れ知らねえか?」
「筆入れ? どっちの?」
常闇之神社総本社、神使社務所(居住所)の二階、居間。広々したそこは神使が一堂に会してもなおお釣りが来る空間があり、冬場の今、伊予のたぬき火の優しい、触れても焼かれない炎が暖房の役割を果たし、緑の光を湛えている。
竜胆が蕾花の質問に対しどっちの、と聞いたのは、意地悪ではない。
「普通の、シャーペンとか入れてるほうだよ。習字道具はちゃんと保管してあるし」
「兄さんの筆入れって、どっかの動物園で買った狼のぬいぐるみっぽいやつだろ? 見てないけど」
「伊豆アニマルキングダムで、確か二千円ちょいだったかな。……おっかしいな、居間の棚にノートと置いてたんだが」
「子供たちが落書き帳にしたとか」
「あー……怒る気はないが返してほしいな」
居間には蕾花と竜胆のほかに、常闇様の顕現体である夜葉が袴姿であぐらをかいて膝の上に菘を乗せ、上座では柊が脇息に肘をついて最愛の旦那たる善三を抱き寄せ、嶺慈が寝っ転がって半ばうたた寝している。
燈真、椿姫、蓮、万里恵——五隊総長格は蕾花以外いない。皆出払っている。
子供達は秋唯や狐春、オタク君や穂波が見ているから安心だ。
氷雨は竜胆の隣で、大きくなりつつあるお腹をさすっている。その中には男児が宿っており、名前ももう、
「ちなみにノートには何書いてたの?」
「いや、落書き。こう、なんかキャラっつうか、本当に抽象画みてーなのボールペンで」
「兄さん最近そういうの描くよね。心境の変化?」
「ってよりは、別に何もリアルな、ヒトを描くだけが絵じゃねえなってさ。それこそ桜花たちの絵って、そうだろ。あいつらの独創的な絵を見てたらなんか俺も、ってなったんだ」
「へえ。桜花たちなら外で他の子供達と遊んでるよ。雷疾と万里亜は、蓮と真鶴さんと狩りに行くって」
「狩り、ねえ。英才教育っつうか、蓮らしいな。狼の特徴を叩き込んでんだな。万里亜は明らか猫に寄ってるが」
蕾花は辺りを見回す。外に遊びに行く子供が置いてある筆入れとノートを持っていくとは考えづらい。
「部屋じゃないの?」
「式神たちにも探させたがねえとよ。おっかしいな。なあ柊、千里天眼で探してくれよ」
柊が顔をあげ、「なんでそんなことに眼を使わねばならんのだ」と呆れた。
「夜葉、お前も千里天眼できるだろ」
「似たことはできる。でもやるわけないでしょうが」
「菘、兄ちゃんのため、ここは神眼を、」
「やっ!」
当たり前と言えば当たり前の反応だ。
と、嶺慈がのっそり起き上がった。美麗な顔に似合わぬ大欠伸を決め、首と肩を回し、喉を唸らせる。
彼は〈雫天言霊〉という神代術式——現実を塗り替える言霊を使う。喉は命であった。
「体使わしてくれんなら探してやっていいぜ」
「ふざけるな。竜胆以外にはやらねーよ」
「いるかそんなもん」
困った、筆入れが行方不明だ。
「たでえま」
椿姫が帰ってきた。既に手洗いもうがいも済ませているのだろう。ハンカチで手を拭いながら入ってきて、菘が夜葉から離れて椿姫に抱きつく。
「おねえちゃん!」
「んー! 菘。私の癒し」
「ん……おねえちゃんのしっぽ、なんかはいってない?」
「そうそう、メモ帳代わりに棚にあったの持ってたんだよね」
椿姫が尻尾から手帳サイズのノートと狼の筆入れを取り出す。
「あっ、俺の!」
「え、あんたの? ごめん借りてた」
「はー、よかった、見つかった。ったく椿姫も狐が悪いぜ」
「ごめんて。てかあんた、予備のシャー芯ケース入れすぎじゃない? なんで同じ濃さのが二つも入ってんのよ」
「い、いいだろ。多い方が安心すんだよ」
「変なの」
椿姫が座布団に座った。菘が夜葉を見て、彼女が行きなさい、と頷くと、菘は椿姫にくっつく。
菘にとって椿姫は理想の英雄である。菘は生前、人間換算にして八歳——今の桜花より、少し歳を重ねた頃に呪術師に誘拐されたことがある。その時椿姫が単身呪術師のアジトに乗り込み、たった一人で二十人からなる悪党を斬り、菘を救ったのだ。まだ椿姫は五十代。人間で言えば、十四歳から十五歳である。既にその頃から剣鬼の頭角を表していたのだ。
「なんか俺の筆入れが椿姫の米の匂いで上書きされてんな」
「あ? いいでしょ。炊き立てご飯の匂いって最高じゃん」
「お前の尻尾の匂い自覚してんのかよ。どうせなら竜胆のたい焼きの匂いが良かった」
「僕ってたい焼きの匂いすんの?」
氷雨が、竜胆の尻尾を手に取って鼻をモフモフのそれに埋めた。
「確かにたい焼きです」
「そんな馬鹿な。僕そんなに甘いもの食べないよ」
「にいちゃんはあまざけのにおいする。わっちは、しめなわのにおいらしい」
「しめ縄? 稲藁みてーな匂いか。神聖な匂いってこったろ」
常闇之神社の神使や氏子は、注連縄を綯うこともある。たとえば家やアパートを建てる際の地鎮祭、新居の飾り、祠を建てるときなどだ。
この仕事は神聖なものであり、禊を行い、体を清め、穢れを祓い、白装束で行う。
常闇之神社総本社で作られる本式の常闇注連縄は、そこに稲尾の血が希釈して塗布され、強力な魔除けを持つものになる。
稲尾の血はその成分をどう化合するかで、魍魎を消し去ったり、助長するものになるのだ。
崑。奴らがヤオロズを裏で操っているとすれば、そこには稲尾の血が使われていることを意味している。ヤオロズを封じた際、その身に——心臓に打ち込んだ楔は稲尾の血を凝固したものだ。
稲尾の血を使えば、あるいはヤオロズを式神の如く操れる。だから影法師は竜胆や菘を生捕りに従ったと、嶺慈は言っていた。
「どうしたの兄さん? お腹痛い?」
「あ、いや。崑はどこで稲尾の血を手に入れたのかなって」
「別の世界から誘拐してきたとか」
「なら歴史の歪みで特異点が起こる。常闇様が観測して、総長が最低二人出張るぜ」
「だよねえ……。兄さんは九尾なんだろ? 邪気でヤオロズを封じたりできないの?」
「無理だな。あれは異質すぎる。俺の邪気はまるで通じねえよ。九月に俺が現身して戦ったときだって、純粋なぶつかり合いだったろ」
現身とは、妖怪が仮初の姿を捨てた真の姿である。
蕾花の現身とは十七メートル、七十トン越えの半獣人邪神であり、本来は巨大な怪物である。
あれはまさしく怪獣大戦争、という絵面だった。
神社に損壊が出て、常闇様の御神体の石像がある神殿が半壊した段階で〈庭場〉が啓開され、そこで総長五人、嶺慈たち影法師一派がヤオロズと戦った。
だが、総力戦を持ってして挑んだそれで、やっと撃退である。
あの怪物は、殺せない。根本的な法則が異なる、別の宇宙のサイクルなのだ。
「いざってときは、俺が炎で分解し続けて嶺慈の言霊で限界まで圧縮して、封印するってのが最良の手だ」
「そこまで持ってくのは燈真だぜ。そのためにあいつに腕食わして言霊を大量ストックさせてやったんだ」
燈真の術式〈百鬼夜行〉は取り込んだ血肉の術式をコピーし、使用するものだ。模倣の術は柊も持つが、燈真のそれが特異なのは神代術式すらコピーできることである。ただし、コピー条件は血肉を食らうこと——つまり、共食いであり、さらに回数にストックがあることだ。
ヒト喰いは鬼らしいと言えばらしいが、燈真にとっては苦行だ。あの青年は、鬼にしておくには気の毒なくらい優しい男なのだ。
「ただいま。玄関に鬼猪あるから、柊、捌いてくれ」
蓮が帰ってきた。真鶴が「私も手伝います」といい、雷疾と万里亜が菘にひっついてキャッキャはしゃぐ。
「またお主は大物を仕留めたな……」
「山を降りそうだった、ほっときゃ禁足地まで来て子供が危なかったんだよ」
禁足地とは神社にある森などのことだ。これは現世の稲荷神社などにも存在するもので、神聖な神の領域である。
「晩飯はボタン鍋?」
竜胆が聞いた。蓮が頷く。
「とにかくでけえ。俺らだけで喰いきれねえから、夜炊き出しにも出す。竜胆、蕾花、手伝ってくれ」
「あいよ」「はーい」
常闇之神社は影法師と一応の和解——いがみ合い、殺しあうくらいならばと、赦す、という手段をとった。
しかし、ヤオロズという対話の余地すらない魍魎の王を従える崑、という新たな組織が勃興し、次なる壁として立ちはだかっていた——。
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