常闇之神社の社務所日誌・真打

夢咲蕾花

第1話 されど一ヶ月、だけど一ヶ月

「りんっりんっどう! りんっりんっどう!」


 菘が尻尾をモッフモッフ揺らしながら歩いていた。両手に畳んだ洗濯物を抱え、自室に入ってタンスに服をしまう。それは着物の類ではなく、モダン和装——幽世で一般的に切られている、現代風和装だった。

 そうして自分の部屋を見る。

 桃色のカーテンと、白いモフモフの絨毯。立派なタンスに、本棚。モニターに、コンピューターマシン。稲尾家では二十歳を超えたら自前でマシンを持っていいことになっており、菘は今年でもう二十二歳であった。まあ妖怪なので外見は十歳児前後で、彼女は神眼という瞳術のせいで精神の成熟が遅いが、だからといってその芯が子供かといえばそうでもない。こう見えて意外と鋭い目線を持ち、術に頼らずとも本質を見抜く洞察力を持つ。


「りんっりんどう! りんっりんっどう!」


 部屋を出て行って居間に入る。菘の奇妙な鼻歌を聞いていた稲尾竜胆——彼の兄で、現在四十四歳、外見年齢十四歳前後の彼は、妹の妙な歌に眉を跳ねさせた。


「どうしたのさ」

「おなまえきめた?」

「名前?」

「こどもの」

「ああ」


 竜胆はこの若さで妻帯者である。妻は雪女の稲尾氷雨。彼女のお腹には、現在妊娠二ヶ月になる子供が宿っている。妖狐の血ゆえ、出産予定日は人間の十月十日に比べずっと早く、十二月中頃には生まれるだろうと言われていた。

 その氷雨は竜胆の隣で丸く膨らむお腹を撫で、微笑んでいる。


垂氷たるひにしようって決めたんだ。男の子でも女の子でも通用する名前だし、優しそうな語感だろ?」

「いいなまえだな……わっちはいいとおもうぞ」


 菘が座って、ぺたぺた這いずりながら竜胆の尻尾に擦り寄る。


「尻尾が触りたいだけだろ」

「まあね。にいさんのしっぽ、たいやきのにおいして、すき」

「たい焼きの匂いなんてするかな」


 すると氷雨が、「ほんのりしますね。あまい、あんこのような匂いが」と答えた。

 竜胆は己の三本ある尻尾のうち一本を鼻先に持ってきて、吸う。


「しないけど」

「じぶんのにおいには、きづかないよ」

「そうかな……」


 菘は竜胆の尻尾を両手に抱え、顔を押し付けている。妖狐の尻尾を存分に楽しんでいた。兄と妹という関係だから遠慮なくモフりあうが、実際に赤の他人が妖狐の尻尾を触る難易度は、その相手次第だが、基本的には至難と言っていい。

 と、そこに風呂上がりの燈真が戻ってきた。息子の桜花を伴い、彼に続いて雷獣・大瀧蓮とその息子、大瀧雷疾が続く。そして、男の姿で風呂に入っていた蕾花が最後にやってきた。


「鬼基準の温度のシャワーはいやーきついっすわ」


 蕾花がそう言って菘の隣に座った。菘は義兄・蕾花の尻尾をモフモフし始める。


「燈真基準のシャワーなんて火傷モノでしょ」

「五十度なんてありえねえだろ。癖になるぜ、とかいうから浴びたらあっつくてまじで魂ぬけそうになったぞ」

「おうかは、へいきなの?」

「ちょっと、あついかもっておもった」


 桜花は現在一歳。だが幽世の子供妖怪は、魍魎という外敵から身を守る一環で成長速度が早く、外見年齢はすでに七、八歳ほど。

 月白の髪に藍色のメッシュが入る燈真そっくりの髪に、狐耳と右の額からは燈真と同じ黒い角。瞳は父譲りの藍色である。

 燈真の妻は稲尾家の歴代二匹目の九尾である稲尾椿姫であり、本来稲尾家の子孫はその瞳は必ず紫紺に染まるのだが、桜花は藍色である。鬼神である燈真の血が、稲尾家の一千年の歴史を上回ったのだ。


「よう嶺慈。酌、してくれよ」

「くそ、燈真。御前試合でギリ勝ったくらいで調子こきやがって」


 嶺慈——東雲嶺慈。燈真の生涯の宿敵であり、好敵手。一ヶ月前の御前試合の最終戦において、彼らは半神としての力を解放して全力で激突し、互いに不死身を上回る傷を負った。

 その末に全ての妖力を練れない状態でも立ち上がり、あとは、素の喧嘩で勝負を決した。

 時間にすれば、二十分。だが、互いの全てを凝縮した激闘は、燈真の右拳が嶺慈の顔面をぶち抜き、終わった。

 二人はその戦いで、ある意味で垣根を越え、苗字で呼び合うのをやめていた。


 燈真は椿姫の隣に座り、その反対に嶺慈が座る。彼は男であるが、女性のような大きな乳房を持つ特異な肉体を持つ上、かなりの美貌である。傍目には燈真は両手に花、という絵面に見えた。

 なんだかんだ言いながらも嶺慈はビールを注いだ。燈真はそれを美味そうに一気に飲み干し、息を吐く。隣で椿姫が「おっさんみたい」と呆れていた。


「そういえばさ、新人の……大守奏真つったか。この前、神闇道の帰依の承認に来たやつ。あいつ、面白いな」


 燈真がそう言った。

 そういえば十一月の半ば頃、氏子総代が目をかける新人がここに来た。彼は己を変える、という強い意志をあらわにした目を持ち、ここで神使から帰依の許諾を得ていたのだ。

 蕾花は燈真が新人教育に興味を持ったのかな、と思い、


「修行でもつけてやるのか?」

「俺はスパルタすぎるからダメだって柊に止められてんだよな。神使クラスでやっと着いてこられるくらいだ」

「あんたどんな教え方すんのよ」


 椿姫が二度目の呆れを披露した。

 上座で脇息に肘をつき、生前の旦那で、事実上冥婚状態の稲尾善三を抱き寄せながら、その柊——稲尾家始祖は言う。


「燈真の鍛え方は体で覚えさせる、という典型だからな。考えてもみろ、三女神が興奮するような戦いを魅せた鬼神が体に直接叩き込むんだぞ。並の妖怪なんて死んでしまうわ」

「さすがに加減はする。それに、格闘術で重要なのは筋力より技量だ。実際、格闘漫画でも殴る蹴るだけの主人公が投げ技や寝技のキャラに手玉に取られる展開は多いだろ?」

「例え方が高校時代から変わってないわよ」


 椿姫、三度目の呆れ。

 その椿姫が、でも、と続けた。


「私は暇な時に剣術師範をするけど、奏真と、あとその連れの狗麻呂って子はいい筋してるわね。あとは夜叉丸もいい感じ。あの三人はいい侍になる」

「椿姫の稽古もだいぶスパルタな気ぃすんだけど」


 蕾花がどぶろくを傾けながら言う。

 椿姫に限らず、稲尾家は基本的にスパルタである。どうも彼女らは脳筋一族、と揶揄されることもあるほどで、考える前に手が出る、と嘲る敵対家系も存在したらしい。

 まあ実際は考えもなしに手を出すことなんてないし(若い頃は今よりヴァイオレンスだったようだが)、子供ができて一年、椿姫も燈真もだいぶ丸くなっている。


「おねえちゃん。しっぽがしゅごい……」


 菘が蕾花から離れ、椿姫のところに行った。

 彼女の尊敬する妖怪は姉である椿姫であり、崇敬していた。目標とする女であり、越えるべき壁であると公言している。

 抱きついてきた菘を椿姫は優しく抱きしめ、尻尾で包み込む。


「姉妹百合は黄金比より美しいな」


 それまで黙っていた嶺慈がとんでもないことを言う。


「わっちはそんなめで、おねえちゃんをみてません!」


 それに対し、菘は猛然と言い放つ。


「悪いって。でも、お前らって仲良いよな。竜胆もなんだかんだ言いながら、姉貴のことは尊敬してんだろ?」

「まあね。実際に姉さんの功績ってすごく大きいし、僕らの指針になってくれる妖だしさ。まあだからって別に、一番尊敬してるかっていうとそうでもないけど」

「はあ? なに、お姉ちゃん以外に尊敬できる人がいるわけ?」

「燈真。僕は燈真をすごく尊敬してるんだ。まだ戦う力もなかった頃、身を挺して守ってくれたろ。生前の話だけどさ。あんなこと、並大抵の高校生にできることじゃないよ」


 燈真がバツが悪そうに頭を掻いた。


「あれは……そら、お前……実年齢はさておき子供が危なかったから勝手に体が動いただけでだな……」

「に、兄ちゃんは? 竜胆、俺は?」

「四番目かな。二番は姉さんで、三番は善三爺様。柊は五番」

「あんだとオウ、竜胆、妾が五番手だと」


 口調は怒っているが、柊は大笑いしていた。酔いが回っているんだろう。理由のないにへら笑いをしており、今にも寝落ちしそうである。

 とっくに夕飯の湯豆腐を済ませており、あとはひたすらのんびりするだけだ。


 さても——。

 常闇之神社は、あいも変わらず賑やかだった。

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