第5話 悪夢の前夜

 砕けた建物の残骸を駆け抜ける。


 足元には瓦礫と、散乱するガラス片。靴底を通して伝わる不快な感触が、全身の神経を張り詰めさせた。


 時折見える血痕と、瓦礫から突き出る様々な手足の先――生気を失った光景は、この街が音を立てて死んでいく様を、まじまじと焼き付かせるよう。


 鼻を突く鉄と血の臭い。それに火薬の煙が混じり、喉に焼けるような痛みが走る。


 汚染された空気が肺に広がるたび、吐き気を抑えるのに必死だった。


 敵軍の抵抗は想像を超えて激しい。迷路のように張り巡らされた防衛線、建物の陰に潜む狙撃手、通路を塞ぐトラップ、大通りから鳴り響く重機関銃の連射音。


 そこに耳を劈くような手榴弾の爆発音が、容赦なく加わって……。


「はぁ……」


 子供の小さな心臓が、胸を破る勢いで鼓動を刻む。手に持った銃剣は、緊張の汗で今にも落としそうになっていた。


 「クソ……トラップだらけだ」

 「敵だ伏せろ!」


 ダン! と、小道から飛び出す敵の胸をライが撃ち抜く。


 タルクレストに足を踏み入れてから、既に半日が過ぎた。胸のSCOREも既に全員が色付き、ヴァリスとライに至ってはオレンジ色――分隊等級まで至っている。


 私たちは敵の巧妙な罠と執拗な抵抗に苦しみながらも、指定ブロックの制圧を続けていた。ここまでの激戦で生き残ること自体が奇跡のようだったが……どうやら、それも終わりが近い。


 「……マジかよ。おいアル! ここで戻って、一旦経路の確保を――なぁ!?」


 ライが撤退の提案を出したその時、物陰に隠れていた敵兵が彼に飛び掛かった。


 ――半壊した家屋の中に二人が消える。


 「不味い!」


 咄嗟に銃を構え直すヴァリス。しかし、狭い家屋の中、動きの速い敵兵と揉み合うライを正確に狙うのは難しく、銃口を揺らめかせるだけで引き金は動かない。


 焦りが胸を焼く。


 気が付くと、私はライを追って家屋の中に飛び込んでいた。


 室内の壁は崩れており、差し込む薄い光だけが頼り。ライと敵兵が激しくもみ合いながら転がり、床に散乱する瓦礫が耳障りな音を立てる。


 「クッソ! この、離れろ畜生!」

 「◇◇! ◇◇◇◇◇◇◇!」


 敵兵の顔は敵か味方か――誰かの乾いた血潮に塗れ、牙を剥き出すような憎悪に満ちていた。


 罵倒と共に蹴り飛ばされた敵兵の手が、何かを探るように動いた――腰のホルスターに。


 「動くな」


 私の肩に小銃を乗せたヴァリスが引き金を引く。頭に狙いを付けてから発砲までに掛かる時間は、僅か0コンマ数秒。


 耳元で火薬が爆ぜ、キーンという耳鳴りが頭を支配する。


 普段なら、早撃ちの達人とでも言いたくなるその動作。だが、今回ばかりは一足遅い。


 ライに向けられた銃口の狙いはまだ定まらず――しかし、その指は引き金に掛かっていた。


 「っああああ! 足が!」


 頭を撃ち抜かれた敵兵の人差し指が、曲がる。もはやそれは意志ではなく、脊髄反射の部類だろう。


 狙いの無い銃口。それでも、至近の的を外す事は無かった。


 ドサリと、物の様に倒れ伏す敵兵の音に弾かれ、アルが後ろから飛ぶように駆けだす。その先は勿論彼の弟、撃たれた敵の生死確認などやっている場合ではない。


 「おいライ! ……ああ不味い。手当てしないと!」

 「俺が診る」


 アルが彼のもとに駆け寄り、ヴァリスが後に続く。ライの足を軽く見たヴァリスは、安心した様にいつものゆっくりした口調に戻った。


 「貫通している。骨も無事だ……消毒と止血だ。手伝え」

 「ああ、待ってろ!」


 アルが腰ポケットから小さな袋を取り出し、それをライの太腿に振りまく。それの見た目は真っ白な粉で、一見砂糖や塩のようにも見える。


 サルファ剤と呼ばれる医薬品。


 分かりやすく言えば“抗生物質”。






 「よし……これで大丈夫なはずだ」

 「いや助かった……クソ、何で俺が! んんん……」


 ライは顔をしかめながら、地面に投げ出された脚を動かす。だが、すぐに激痛が走ったのか、彼は唇を噛みしめて呻き声を漏らした。


 「まだ動くな」

 「そうだぞ。痛みが和らぐまでじっとして……とは言え、ここじゃ目立つか」


 アルがどうしたものかと周りを見回す。


 ここは、半壊した家屋の入り口にほど近い。もし敵が前を通れば、一瞬でハチの巣になるだろう。


 今倒した敵の仲間が近くにいるかもしれないし、銃声を聞いて他の敵が来るかもしれない。


 どちらにせよ、隠れなければ見つかるだろう。


 「よし、一先ず二階に行く。ヴァリス、左肩を頼む」

 「ああ」


 アルがライの右肩を、ヴァリスが左肩を支える。私は敵の拳銃を構えて彼らの前を歩き、二階の安全を確かめて適切な部屋を探す。


 「いって……ああ、はぁ……」

 「ここなら大丈夫でしょう。少なくとも、上がって来なければバレません」


 家屋の二階は大きく崩壊していたが、運良く奥の物置は無事だった。


 物置は埃とガラクタにまみれて手入れもかなり疎か。


 ……この状況では天国とでも言いたい場所だ。物の多い部屋は外の空気と音を遮断し、束の間の安息をもたらしてくれる。


 「ライ、大丈夫か?」


 アルが慎重に彼を物置の隅に座らせ、傷の包帯が緩んでいないか確かめる。ライは荒い息を吐きながらも、口角を少しだけ上げた。


 「ははっ、まぁな。少し休めば大丈夫だ」

 「賛成です。全員少し休みませんか? 弾の再分配もやらないと」


 そう言いながら、私は腰から下げたポケットの中の弾薬グリップを床に置く。


 その数は2つ。10発分しか持っていない。


 「俺は1つと、3発」

 「あーすまん。俺もう弾無い」

 「7発だ」


 弾倉から弾を抜き、グリップの数を確かめる。


 私とアルは積極的に戦闘をしていないので余裕はあったが、ヴァリスとライには継戦能力がない。


 途中、銃を持たない私が何度か補給してはいたが、それでも足りなかったようだ。


 「取り敢えず、私の弾はヴァリスさんに渡します」

 「そうだな。そうしてくれ」


 床に置いた弾を動かし、二人の前に置く。腕の良いヴァリスには多く持たせて少し余裕が出たが、アルの残弾には不安が残る。


 ここまで来た道を戻れるかどうか……ライの怪我が無ければ何とか、と言ったところ。


 「補給が要るな。誰か一人、後方に行こう……ヴァリスとヴェレーナを残すのが一番だな。手当もできるし、俺にも少しは弾がある」


 早口で結論を出したアルがライの前にしゃがみ、彼の肩に手を置く。


 「兄貴、俺は大丈夫だって、これでも戻れる」

 「馬鹿言うな。傷口が広がったらどうする? 大丈夫だ。俺を信じろ……」


 ガシッとライの肩を掴んだアルが、ニッコリと笑う。それはいつもの楽しげなものではなく、酷くぎこちない偽りの顔。


 見てられない。


 「アルさん」


 彼が私を通り過ぎ、物置のドアに手を掛けると同時。私は彼に言う。


 「私一人が、適切です」

 「な……何言ってる! 君一人で戻れるわけ――」


 アルの言葉を遮る。


 「私はナビゲーターです! ……それに、アルさんは班長。皆の指揮を執らねばなりません」


 銃を持たない私は、常に地図を広げて確保した経路を記憶している。


 逐一皆に報告していたとは言え、私よりも正確に覚えている者は居ない筈だ。


 「それに」

 「それは……」


 私はホルスターに入れた拳銃を見せる。先程ライの足を撃った敵兵から取ったもので、弾倉には7発。


 重い小銃ならともかく、これなら私でも扱える。


 「納得、して頂けましたか?」






 ヴァリスとアルが小銃を手に、玄関から飛び出す。


 背中合わせに出た彼等は数秒通りを睨んだ後、私に「来い」と手招した。


 「すまん」

 「朝になって戻らなければ……」

 「……戻ってくれ」


 真面目な顔でそう言ったアルが、ニッコリと笑って親指を立てる。


 「お前は一番運が良いしな!」

 「ふふっ、行ってきます」


 彼らしい別れの言葉を受けて、私は後方に駆け出した。






 「はぁ……はぁ……」


 息が切れる。


 瓦礫の山を超え、燃え尽きたタクシーの間を駆ける。


 頭の中で、何度も経路を思い返す。確保した安全な道――いや、“比較的安全”と言える道を辿って……。


 しかし、その記憶も次第に霞み始めてくる。


 周囲はどこも似たような瓦礫と破壊された建物ばかりで、目印になりそうなものも乏しい――――その僅かに残った手掛かりも、闇の中に溶け始めていた。


 「ん、あれは……?」


 瓦礫の隙間に見えるもの。足を止めた私は、驚きに目を見開く。


 道半ばに倒れた味方の部隊。


 前線に物資を届けようとしたらしいが、ここで敵に襲われたらしい。


 荒らされ、焼かれた荷車の中から空の木箱が散乱している。


 いつの間に顔を出していた月明かり。照らされた残骸の奥で輝く光を私は見逃さず、駆け寄った。


 「……弾!」


 その輝きは、まだ汚れも付いていない新品の銃弾。他の物資は全て持っていかれたが、弾だけは雑な焼却処分だけで済んだらしい。


 「でも、何で弾だけ……ああ、そうか」


 摘まみ上げた弾をまじまじと見て、理解した。


 ルスヴィア軍の小銃弾とアルデガリアのそれには互換性が無く、敵の武器を鹵獲した時以外は役に立たない。


 ならば一応貰っておこう……とはならず、敵の武器は修理部品も整備用具も後方からの補給も無い。


 嵩張るだけで要らないものだ。それなら、嫌がらせに火を放つのは妥当だろう。


 「それにしても詰めが甘い。手間が省け――――な!?」


 瞬間、目の端に映る閃光。


 狙撃手が光らせるスコープが、月の光を反射して――


 「――――っ……」


 引き延ばされた時間の中で、私の眼は一直線に捉えていた。迫りくる鉛の弾頭。軌跡の先に小銃を構える敵の姿を。






===






 引き金から手を離す。一瞬、撃ち抜いた標的が自分を見ていたような気がしたが……。


 「気のせいか?」


 念のため、スコープで撃ち抜いた敵の姿を確かめる。


 身長は大体160前後。小柄な女性兵士かと思ったが、あの顔は幼い少女のようにも見えた。


 しかし、敵である以上性別も年齢も関係ない。情けは命取りだ。狙撃手の訓練では、それを徹底的に叩き込まれる。


 「……一応、確認するか」


 撃ち抜いた瞬間、標的は咄嗟に頭を揺らした。スコープで見てみると、倒れた少女の頭には血の溜まりが出来ているが……油断はできない。


 それに、あの胸元。


 撃つ前に見えた青銅の輝き。あれは、人を殺したという証だ。


 「念のためだ。腹に一発」


 ボルトを後退させ薬莢を飛ばし、もう一度構え直して引き金を引く――出ない。


 下を見ると、弾倉から落ちたエンブロックが冷たく横たわっていた。どうやら、少女を撃った事に夢中で残りの弾数を忘れていたようだ。


 まだポケットに弾はあるが、そろそろ限界が近い。


 …………頭部を負傷した子供の生死確認に、わざわざ少ない弾を使うべきか?


 要らないだろう。


 小銃に新しい弾を突っ込み銃剣を取り付けると、狙撃に使っていた民家の階段を降りて裏口から外に出る。


 狙撃兵が見つかるわけにはいかない。多少時間が掛かっても、狭い路地を歩くべきだ。

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